きょうだい

9月に入りましたね。
今年は本当に暑い日が多い夏だったようです。
以前にこの40代の心理学で書かせていただいた、‘精神病を持つ家族とそ
の関わりについて’ですが、思いがけずたくさんの方から反応を頂きました。
2つ違いの姉の病気との発症から、それと共にずっとあった私の気持ちについ
て表現したものです。共感していただいた方々の気持ちから私自身も、自分の
人生のに対する承認や応援を暖かく感じ心から感謝しています。
なので、今回は、具体的に自分の人生にどういう障害があったかなども含めて
書かせていただけたらなと思っています。


私たちは、自分に関わりのあることの中から、幸せでない事、うまくいってい
るように感じないこと、そのようなことを目にしたときにそれが自分が原因で
あろうとなかろうと罪悪感を感じるようですね。
例えば、どんなに受け入れらないことをされて別れた相手であったとしても、
その後幸せでないことを聞くと辛くなるように。
そういうお話を伺うたび、また目にするたびに、人の本質というのは実はとて
も優しく、他の人を愛したい欲求で出来ているのだろうなぁと感じます。
きょうだい、って不思議なものですね。
同じ親から生まれていながら、その後歩む人生は全く違うものであることが多
くあります。
それでも、同じ血を受け継ぐものとして、比較したり、なかには競争が起きた
り。
居てくれることで、その存在から受け取るもので豊かな人生にもなりえるし、
そうでないことにもなりえます。
年齢を重ね、たとえ自分が更に親になるような年齢になったとしても、はっき
りとは認識できなくとも影のように心の中にきょうだいの間での葛藤も信頼も
、生活や人生での選択に影響するもののようです。
初めに起こる葛藤のひとつは、誰でもが感じる‘保護者たる親がどちらをたく
さん愛してくれているのか’という子供らしい不安から始まる事も多いかと思
います。
あくまでも「親が何をしてくれたか」というのは、親側の主観でなく、こども
側の主観によってその後の記憶に残るもののようですね。
親の目から見たときに、きょうだいのうちそれぞれの個性やそれぞれの関わり
方があるにしろ、例えば性別によったり、どういったところに才能が見つかっ
てそれをどう親が‘認めた’ように感じたか、などで、意外と大人になっても
人の感情や人生への取り組み方は変化してくるものとなりえるようです。
例えば職場などであったとしても、同じ仕事を数人以上でしたときに、誰でも
感じること、‘誰が一番?’。
そして、人へ嫉妬したり、その裏側では引き立てられることに罪悪感を感じて
、あまり目立たないような行動を取ったり。そのような行動や感じ方のパター
ンを紐解いてみるとこころの影にあるきょうだい間の関係を、社会の中でもや
はり、映し出していることが多くあります。
‘精神疾患’という病気を姉が持っていることで、私の人生に知らず知らずに
影響のあったこと・・・。
不自然な男女関係を築いてしまうことも、理由が分からないうちには多くあり
ました。
まず自分の中での罪責感を深く溜め込んでいて、人に対して傷つけてしまうの
ではないか、見捨てているのではないかと感じることに対して非常に弱かった
こと。なので、相手にしっかりと自分にも嘘をつかないで向き合うというより
も、無理をしたり我慢をしすぎてしまい、その結果相手を愛せなくなってもそ
れでも自分に責任があるんじゃないか、と感じすぎてしまう。
相手の不誠実さを見ると相手を責めたくなるのだけど、それ以上に自分自身に
もとから罪悪感を感じているので、無意識に見ないようにしてしまう。
とにかく、それがどんな相手に対しても、相手が辛くなっているとつらい気持
ちを共感しすぎてしまうこと。
正直に自分が魅力を感じたり素敵だと感じる人よりも、‘助けが必要なんじゃ
ないか’というように自分の目から見える相手にばかり興味が向いてしまうこと。
姉の人生が壊れてしまったんじゃないか、と私自身が傷ついた瞬間から彼女の
分も私がなんとかしなくては、と勝手にした誤解から自分の好みと以前から姉
が求めていたものを混同するようになり、仕事や対人関係の中で2倍求めてし
まう癖も出来上がっていました。
そのため、自分が好きなものを選ぶ、というよりも姉が喜びそうなものを選ぶ
、ということも無意識的に選択してきたこともあったようです。
仕事に関しては、人から見て不自然に感じられるほどのハードワークを常に選
んでいたようです。
私が、どこか姉の人生を取り込んでしまう・・・という発想になっていたこと
に気が付いたのは、時間とそして、客観的に私を見守ってくれる目が本当に役
立ってくれたと感じています。
私が罪悪感から、それを埋め合わせるための生き方を選び続けたところで、ど
こかで繋がっている姉の感じることは、実は姉自身が病気になってしまったこ
とに対する更なる罪悪感だけなんだと理解できた時に、選択が徐々に変わり始
めました。
真実 私自身と、そして姉の両方がより楽に幸せに生きるために、罪責感や自
分には価値が無いという感じを持ち続けることよりも、解消し、解放し、手放
し、自分の人生の希望や欲求に目を向けていくような選択をし続けることが必
要なことを実感しました。
生まれてくる順番や、性別、個性、与えられた環境(どのように育てられたか
も含めて)を選ぶことは出来なくても、生き方だけは選ぶことが出来、変化さ
せることは可能なんだと思います。
同じ血をもって生まれてきた、数少ない人類であるきょうだいを、嫌なものに
せず喜びの源に変化させうることが出来ますように。
上西直美のプロフィール>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。