意味を求める心理~無意味感を超えた先にあるもの~

物事を深く思索し、追究し続けていくと、ある種の空虚感や無意味な感じにぶつかるときがあります。

また、人生の道中でそのような時期を迎えたときには、無気力になったり、鬱的になったりして、何もする気が起きなくなるでしょう。
意味や意義、達成感、充実感、自己の存在証明・・といった人生の「クライマックス的要素」に翻弄される原因とは?

そして、私たちの『意識』は最終的には何処へ向かおうとしているのでしょうか?
今回は頂いたご相談をもとに、空虚感や無意味感を超えて、より『リアルな自分』に帰るための在り方・生き方についてのお話です。

◎リクエストを頂きました◎
===================================
私は考え癖というか、何事に対しても意味を求めてしまい、その結果、大抵のことというかほとんどのことが意味のないように思えてしまい、虚しさに体中の力が枯渇していくような状態が常のようにあります。
考えてる意識は全然なく自然にそう心が思ってしまいます。

だから、ほっておくと本当に何もしなくなってしまい落ちるところまで落ちてしまうので、昔は危機感から自分を震い立たせて何とかやってきました。
しかし、ある時期から気持ちが緩んでしまいなし崩しに怠惰で無気力な状態になって来てしまいました。

伸び切ったゴムのように張りがないような状態です。
物事に『意味』を求めてしまう心理にはどういった背景があるのでしょうか?
それからそんな心理から抜け出していく考え方は具体的にはどのようなものがあるのでしょうか?
===================================

リクエストをありがとうございました。
まず頂いた言葉から、ご相談者のお気持ちを見つけていきましょう。

「何事に対しても意味を求めてしまい、その結果、大抵のことというかほとんどのことが意味のないように思えてしまい虚しさに体中の力が枯渇していくような状態が常のようにあり」

物事の本質は「空」であるという真理が、仏教の教えにもあります。
ご相談者の方は、どこかで『究極の○○』『永遠の○○』といった世界を求めていらっしゃるのかもしれません。
精神性・スピリチュアリティの分野に大胆に向かっていかれるといいかもしれませんね。

「ほっておくと本当に何もしなくなってしまい落ちるところまで落ちてしまう」
「昔は危機感から自分を震い立たせていたが、ある時期から気持ちが緩んでしまいなし崩しに怠惰で無気力な状態」

世界に本当に興味がなくなっているのかもしれませんね。
精神的な目醒めの直前は、鬱的になったり、漫然とだるさが続いたりすることがあります。

先人の言葉にもあるように、私たちの心も、「夜明け前が一番暗い」ようです。

●あるがままのあなたを認めましょう

「人は誰でも意味を与えに生まれてくる」という言葉があります。

あなたの存在そのものが、既に世界に違いを創っているということを認めましょう。

疲れたら、時間の観念を手放して、十分満たされるまで休んでいましょう。

怠惰さや無気力な状態を少しも責める必要はありません。

精神的にですが、「古い自分の死」を通過する期間は、とても深いレベルで意識の層がシフトしてゆくのです。

私たちが眠っている間にしか整えられないくらいに無意識的なものですから、よく休んだほうがいいのです。

●自分自身に帰りましょう

自分自身の在り方が『リアルではない』と感じているときに、わたしたちは意味や特別さを求めるようです。

私たちは皆、自分自身の心の内面世界を、目に見える世界に投影しています。
リアルでないものを虚しく感じることは、自然なことでしょう。

『リアルである』ということは、本物であるということです。
抑圧的ではなく、隠すこともなく、判断や裁きもほとんどないので犠牲や欺瞞がありません。
本質的であり、自分が深く解放された状態でいることです。

自分がリアルで、自分の中心に存在しているとき、私たちは満ち足りています。

何者かになろうとする『個人的で特別な意味探し』を辞めたとき、
自分が存在していること、自分がただいることへのリアルな感じが増し、
自分を取り巻く世界との壁が、薄くなってゆくのが分かるでしょう。

善悪の区別はなく、有能か無能か?などの隔たりもなく、完全さと一体感があり、懐かしい感じのする場所をハートの中に見出すでしょう。

メーテルリンク作の「青い鳥」には、外側に探すべきものなどなく、道はここにあるという目醒めのことが比喩的に物語られています。

ご相談者の方は、もう既に意味を探し回ることに疲れ果てたのですから、あとはハートの故郷に帰るだけなのでしょう。

●ハートに意識を向けましょう

どんなときでも、常にあなたのハートを大切にできるよう、心がけましょう。
ここが生命エネルギーの源になります
ここと距離がある度合いだけ、私達の人生は複雑になっていきます。
休むことなく思考に翻弄され、意味を探し回り、迷子のように動き回り過ぎて、とても疲れてしまいます。

あなたがあるがままでいるとき、虚しさに突き動かされて意味を追い求めていません。
あるがままの状態、無垢で無心の時のあなたはそのままで「存在意義」を体現しているからです。
行くべきところはどこにもなく、探すべき意味などなく、ただ内側からハートが生き生きとし、喜びに溢れています。

そのように思考が停止したときに
外の世界や誰かにではなく、自分自身の中に安らぎと平和の場所が存在することに深く気づくでしょう。

●永遠の初心者でいましょう

自分の中心ポイントと深く繋がり始めたら、あらゆるものを手放し続けることができるようになります。

自身のパワーの源は決して尽きることがないと知り得ると、
『永遠の初心者』として生きる準備ができます。

あなたが今どんな「成功者」であれ、「失敗者」であれ、「凡人」であれ、
あなたが初心に帰ったように生きる謙虚な姿勢は、あなたの人生と周りの人たちの人生、そして世界に対して、新たな意味と価値を創り出しています。

本来、「クライマックス・シーン」とは求めるべき人生のメインなのではなく、「おまけ」なのです。
基礎となる毎日のルーチンワークを愛し、楽しみ、実践すること。
そこに道と意味を見いだせる人こそ、人生の達人なのでしょう。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

対人関係、恋愛、個性、才能、感情の問題など、様々なお悩みに対応するベテランカウンセラー。 深い意識を熟知し、問題を根本解決へと導く。 世界各国で長年にわたり精神世界を学ぶ一方、大手芸能事務所の番組制作協力をワンクール担当する等、豊かな感受性を生かしてカウンセリング生活を楽しんでいる。