“人の傷みは真実を遠ざけてしまう”
私が自分自身に向き合う過程で、一番思い知ったことです。
自分が辛くて苦しいと、人はそこでしかものを考えることが出来ません。
冷静な判断、第三者的な目。
でもそれは、当事者にとっては難しくて当然かもしれません。
だから、いろんな人に聴いてもらう、そして意見を聞く。
それはとても大事なことだと思うのですが、日本人は本当に頑張り屋さんの方が多くて、自分ひとりで抱え込み、何とかしようって思っちゃうようです。
だけど、向き合うことで知って行く真実というのは、自分が思っている以上に優しいことが、多いような気がします。
◆幼少期の環境によって抱えてしまった傷
・親子関係の影響
家族というのは人生の基盤のようなものだと思うんですね。
私たちは生まれた時から親やきょうだいとの生活で、
・ああ、こう考えるんだな。
・ああ、そうするものなんだな。
ということを、自然と学んでいくと思います。
例えば、お父さんとお母さんの口論や喧嘩をよく見てしまったのなら、仲良く人と関わることが分からなくなるかもしれませんし、仲のいい男女関係も分からないかもしれません。
例えば、誰かに怒りがたくさんあるお父さんや、不満をたくさん抱えてしまっていたお母さんを見てしまうと、楽しい事って少ないんだな、嫌なことがこの世の中には多いんだな。って考えるようになるかもしれません。
そんなふうに、家族の中で見て来たことや体験したことというのは、誰しも多少の影響は持ってしまうと思うんですね。
私の父はアルコール依存症でした。
父の怒鳴り声や母との喧嘩、人とよくトラブルになる姿をずっと見ていましたので、私は男性に怒りや嫌悪感がたくさんありました。
それを証明するかのように、私の男女関係にも分かりやすく出ていました。
警戒心や猜疑心を常に持っていて、大好きな人なのに、ちょっとしたことで不安になるような恋愛ばかりでした。
母はそんな父を一生懸命サポートしていましたが、その姿にいつも私はイライラしていたんですよね。
こんな最低な父と別れようとしない母に対しても嫌悪感があったんです。
そんな親を見て過ごしているうちに、自分自身もいつもイライラして、人との関りも分からなくなっていました。
家族は嫌で、人の笑顔が嫌で、社会も、世の中も、全て消えて欲しいという思いばかりでした。
・向き合うことで知る事実
始めてカウンセリングを受けたのは、ただの興味本位です。
よく映画では聴くけど、実際にはなんだろうって。
それで人生を変えようとか自分に向き合おうとか。そんな気持ちは全くなかったです。
だけど話を聞けば聞くほど、自分の発想にはなかったことで、あまりにも刺激的で、夢中になっていろいろ教えてもらいました。
ある日こんな話をカウンセラーはしてくれたんです。
“お父さんはね。家族をただ守りたかったんだと思うよ。” と。
それに対して私は、「それは違うわ。何を根拠に言うんだ?」と思い、
“お母さんもお父さんも愛してたし、あなたたちも同じように愛してたから、家族を何とかまとめたかったんじゃないかな。”
それに対して私は、「知りもしないのに、なんでそんな解釈になるんだろう。」
そんなふうに始めはね。
あまりにも突拍子もない話ばかりを聞かされて、私も相当態度が悪かったのですが、それを次々と証明され、納得せざるを得なくなっていったんです。
次第にね。
そうだったらいいな。そうかもしれない。
って、少しずつ思うようにはなるのだけど、
でもあの時あいつはあんなことを私にした!
っていう怒りの方がやっぱり強くてね。
だけどそのたびに、
どれだけあなたを愛していたのか。
あなたはどれだけ愛されていたか。
それをカウンセラーに証明をされると、やっぱり納得せざるを得なくなる。
私が悪い態度で何を言っても、ぶれずに話をしてくれる。
悔しいけど、それを信じたいと思うようになったんです。
だけど自分のこころはまだまだ納得出来ていないところも多くてね。
許せない許したくない自分と、
だけどそうかもしれない。そう思いたい自分もいて、すごい葛藤が起こるんです。
◆優しい事実を、信じたい思いと許せない思い
・受け入れていく難しさ
真実を知りたい。
本当はどうだったのか。
親は私を愛してくれていたのか。
あの父は私に対してどうだったのか。
私が昔からずっと思っていたのは、日頃の自分のイライラをお酒で解消し、それでも足らず家族に怒りや苦しさをぶつけていた、最低な男であり親だったということです。
だけど子どもの頃の私たちのこころというものを、カウンセラーにたくさん教わりました。
いつもそばにいてくれて、ご飯を作ってくれて、自分のお世話をしてくれる人。
それは、すごくすごく大好きなお父さんとお母さんです。
だから、例えその後、親がどんな態度で自分に接していたとしても、親と自分に何が起きようと、子どもの頃は、
親が…。
ではなくて、それは結局、自分が悪い子だったからじゃないかって受け止めてしまうようです。
大好きなお父さんお母さんの方が正しくて当たり前だと思ってしまうから。
自分よりもいろいろ知っていてなんでも出来る人。
幼い自分にとってそれは事実です。
だからそんなお父さんが間違っているはずがないって。
お母さんが正しいって。
だとしたら、間違っている方、悪い方は自分になっちゃうよね。
私が悪いからこうなるって考えてしまうことが多くなってしまうようなんですね。
私もそうでした。
私が何かしたんだろうか。私が原因なのかって。
でも大きくなっていくにつれて、その辛さは自分の心の中でぱんぱんに膨らんじゃう。
苦しくて苦しくて、
どうせ私のせいだ、私が全部悪いんだ、私なんでしょ!どうせすべて私のせいだ!
苦しすぎて、どんどん言いたくなる。
あんたたちだってそう思ってるんでしょ!?
だから愛さなかったんでしょ!
愛さなかったから私はこうなった!
だから、こうなったのはあんたたちのせいだ!
って。
そして同時に、本当はこうでありたかったのにという悔しさもたくさん出て来てしまうんです。
そんな気持ちになってしまったら、この自分ではをもう愛せない。
だから愛するのを辞めちゃう。
その方が楽になる気がして。
怒りでもういいわってあきらめた方が楽になる気がして。
だけど時々ふと思い出す。
そしてその辛さは人間関係においていろんなカタチで出てしまう。
その苦しさがなくならないの。
そんな時に誰かに話す機会があって、その相手がこころの専門家。
実はこんなことが起きていたんだと思うよって伝えられる。
それは思ってもいない言葉。
自分の中にはなかったこと。
あり得ないと思うほどのこと。
驚くほど優しい解釈。
それをすぐには受け入れられない。
そんなの当然なんだよね。
でも何度も何度も聞くんです。
それは、子どもだった自分にはあまりにも分からないことが多すぎて。
だからこそ自分が悪いと考えざるを得なかったこと。
子どもには難しかった大人の事情。
ひとつずつしっかり教えてもらっていると、今だと大人として解釈出来る部分もある。
ただ子どもだった頃の過去の記憶が騒ぎ出す。
それでも辛かった悲しかった。
それも間違いない事実。
だけど親なりにそこに愛情はあった。
暴力的な親であっても、口うるさいだけの親であっても、親なりには必死で生きていた。頑張っていた。
親もそれが精一杯で、あまりにもあの頃は余裕がなさすぎた。
親も傷ついていたし、悲しかったから。
だから本当は、子どもをもっと抱きしめたかった、愛したかった。
それが真実。
それを受け入れたい。信じたい。
でも許せない。苦しい。
その葛藤は当たり前。
だからこそ何度も何度もその苦しさを、許せない思いを吐き出すの。
そして、何が起こっていたのか。何度も何度も聞いてごらん。
それを繰り返していくと、きっとこころは少しずつ楽になっていくものです。
・そして自分を誰よりも優しく扱うこと
それでもなかなか落ち着かない自分の怒り。
時々思い出すあの頃の傷み。
でもそこは責めなくていい。
今のこの状態の自分に対し、出来る限り優しく丁寧に扱ってあげること。
怒ってる自分も否定せず、許せない思いも否定しないで。
今はまだこういう感情なんだということを、ただ受け止めて感じてあげるだけ。
そして、
美味しいものを自分に食べさせてあげよう。
ゆっくりと自分をお風呂に入らせてあげよう。
リラックスして自分が眠れるようにしてあげよう。
それは、やれるときにやれる分だけで充分です。
子どもの小さな頭で、こころですごく頑張っていたんです。
親に迷惑かけたくない、役に立ちたいと思っていたからこそ、子どものあなたは優しくて。
だからこそたくさん傷ついてしまったの。
だけど恐らくこんなことが起こっていたんだろう。
それは今までの自分の考え方よりも、ほとんどが温かく優しい事実のようです。
難しくとも、それを少しでも受け止めた方が自分は楽になれるかもしれません。
そして大人になったあなたがそこからやることは、
そんな環境の中で、今日まで必死で生きていた自分に誇りを持つことではないでしょうか。
例えどんな環境であったとしても、一生懸命生きていたと思う。
頑張って前を向こうといろんな努力をしたと思う。
そんな自分をたくさん褒めてあげて欲しいと思います。
◆向き合って、変化する見え方
自分の傷みや過去に向き合って、優しい解釈を受け止められるようになっていくとね。
どうせ私なんか…という感覚が、頑張ってきたんだ私。という実感に変わります。
頑張ってきた私は、これからもきっとなんとか出来る。
こんな辛さを体験して生きて来たのだから、これからだって何とかする。
それは“自信”になっていくの。
まあ、大丈夫やろ私。って感じにね。
私は父親が嫌いで憎くて仕方なかったけれど、今は分かります。
お酒におぼれるしか出来なかった父のこと。
会社でのパワハラ、上からの圧力、命令。昭和世代のことですから、今とは比べ物にならないほどのことが、父の会社内では起こっていたと思います。
毎日どんなに辛かったか。
どれだけ毎日行くのが苦痛だったか。
その苦痛から逃れるために、お酒で苦しさから逃げるしかなかったんじゃないかと。
でも結果、そのストレスが、身近な存在にぶつけるしかなくなってしまう。
ただ冷静になった時にきっと思う。
またお酒に飲まれてしまった。
また暴力を振るった。
きっと娘たちは私を恐れ、嫌い、憎んできっと許さない。
妻もきっとそれは同じ。
そして自分を追い詰めまた飲んでしまう。
なのにその元凶である会社には行き続けていたのは、きっと私たち家族のためです。
せめて高校はきちんと卒業させてあげたいという私たちへの思い。
その責任感。
だから母は協力した。
お酒を少しでも辞められるように。
少しでも父の苦しさが消えるように。
夜中も何度も何時間も父の愚痴の相手をして。
自分が父の矢面に立っていたんです。
私たちに父の傷が暴力として極力向かないように。
そして、その母は、これほどの状況でも笑顔の方が多かった。
私はそれを自身の傷に向き合って初めて思い出しました。
私は最高の親を持っていたんだと思うんですよね。
確かに日々暴力があったのは事実です。
その恐怖も覚えています。
私が子どもの頃からだから、私にはどうしようもなかったし、ただ泣いて怯えるしかなかった私には、今は“頑張って生き抜いたな”という自負しかありません。
どんな方の傷も、きっとあの頃には気づかなかった優しい事実がきっとあると思います。
そして、もしそれを少しずつでも理解出来るようになれたなら、皆さんの傷もそんなふうに自分の誇りとして欲しい。
私はそう願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。