他人の顔色を窺う癖が抜けない~私の中の「大人」のイメージから~

あなたの中の「大人」という心理要素はどんなイメージですか

子供の頃に両親から暴力を受けた。しかし悪いだけでの両親ではないと理解して今は許している。しかし、子供の頃から続く、人を顔色をうかがったり、目をそらす癖が抜けないといったリクエストをいただきました。今回はこのお話を「あなたの中の大人のイメージ」という視点で解説しています。
もし、あなたが何かしらの理由で「大人」に失望したから、「大人」から距離を置きますね。ただこれは、あなたの日常で出会う「大人」から距離を置く、という意味だけではありません。あなたの心の中の「大人の要素」からも距離を置く、という意味にもなりえます。その結果、あなたが今も「大人」という心理要素を使いこなせなくなっている可能性もあるのです。

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◎リクエストを頂きました◎
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私は親から暴力を受けて育ちました。殴る蹴るといった肉体的な暴力も受けましたしお前なんて産まなければよかった、お前が出来たせいであの男と結婚しなくちゃいけなくなった、お前のせいだ、などと言葉の暴力も受けて育ちました。
ご飯は食べさせてもらえましたし、高校も高い私立に通わせてもらえましたので、悪いだけの親ではありません。
でもそういう育ちであるから仕方がないのか、他人の顔色を窺う癖が抜けない上に、おかしな顔色を読むと触らぬ神に祟りなしとばかりに目を合わせないとか避けるとかをやってしまいがちです。
私が親から暴力を受けていた時には親から逃げることで自分の身を守りましたので、それはかつては有効な自己防衛のための手段でした。でも、それを30年が経った今、職場でやると自分の評価を落とすばかりで情けなく思います。
最初は私は割と良い評価を受けることが多いのですが、徐々に徐々に評価は下がり、職場で浮いていきます。
ちなみに、親はすでに他界しているので現実問題として親と分かりあうことはできませんが、親のことは許しています。
(一部編集させていただきました)
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リクエストありがとうございます。

今回はいわゆる倫理的な観点ではなく、心という観点から見た「一つの考え方」という意味合いでテキストを書かせていただきますね。

両親からの暴力について、もし心理的な影響だけを考えるとしたら、それはひどい痛みと罪悪感でしょう。

もちろん暴力を受ける側には肉体的な痛みがもたらされますし、攻撃を受けることで他者から自分の存在を否定されたと感じることだってあるわけです。これはとてもつらいことですし、それこそ癒やされるべきものだと思います。

ただ、暴力を受けた側の心理面を考えますと「もしかすると暴力を受ける自分も悪いのだろうか」と感じるようになります。

ここに罪悪感が生まれるのです。辛い出来事があると「自分にも悪いところがあるのではないか」と私たちは考え、感じるようになるわけです。するとうまく自己肯定ができなくなったり、自尊感情が整わなくなることも考えられます。

これがオトナになった私たちの中に色濃く残る感情・感覚となっていると、つい「人との距離をとりたくなる」事がありますね。自分が傷つくと感じると、不安を感じ、それに備えるように防衛的な反応をするわけです。

こうなると、人の不穏な表情、怒りそうな気配、不快感を示すような態度、などに敏感に反応して意識をそらすかもしれませんね。

ただ、今回いただいたリクエストには、「悪いだけの親ではありません」「親のことは許しています」と書いてくださっています。そういった思いを持つことができるご依頼者さんの心を思いますと、なんとも懐の深さのような感覚を私は感じています。

どこかたくさんの辛い経験を乗り越えてこられて「許している」とお伝えいただける心の大きさを思うと、「それこそが周囲の人が見ている大らかなあなた」ではないでしょうか。

しかし、私たちは人と関わる時、相手はどう思っているだろうか?と気にすることがありますね。それはきっとあなただけじゃないのかもしれません。

すると、あなたが悪意はないとしても、つい人の表情を見て警戒したり目をそらすといった行動に出た場合、あなたの事情がわからない人はあなたを「警戒」するようになるでしょう。

あの人は、何故そこまで関わらないのか?目を合わさないのか?話さないのか?と相手側が不安を感じ、警戒心を持つのです。その結果、不信感を覚える可能性もあります。

ここでのポイントは、

あなたの中でつい自分を守るための心の反応が起きていること。
あなたのその態度を見て人が恐れを感じ警戒していること。

こうなると、あなたの事情を知らない職場の人にとっては、「あなたに警戒され、避けられている」と感じざるをえなくなるわけです。

ただ、これがいいか悪いかは別にして、リクエストにも書いていただいてあるようにあなたの警戒心ゆえの反応は、「子供の時のまま」なのかもしれませんね。

それが今のあなたを困らせているとしたら、次のようなことを考えてみていただくと良いかもしれません。

■「大人」のイメージの影響

私たちは何かに失望すると、その失望したものを自分でいいものだとは感じなくなりますね。

例えば、あのお店はいいよ!と噂を耳にしたレストランに行ったけれど、ものすごくがっかりするような対応をされたとしたら、そのお店に期待していた分失望し、そのお店から距離を置くかもしれませんね。

このお店の部分を、「大人」に置き換えてみてください。

※これは「親」や「母親」「父親」「周囲の大人」といろんな要素に応用が効く考え方です。が、今回はあえて「大人」に絞って解説しています。

あなたが「大人」に失望したから、「大人」から距離を置く。

これは、あなたの日常で出会う「大人」から距離を置く、という意味だけではありません。

あなたの心の中の「大人の要素」からも距離を置く、という意味にもなりえます。

なので、実際のカウンセリングでも、いろんな事情があって「大人の要素」が使えないので、つい対人関係でも「いい子・いい人のエネルギー」で接してしまう。その結果、どこか「大人」として自己主張をしたり、大人どうしの対等な感覚を持つことが難しい、といったご相談を伺うこともあります。

リクエストにあるご両親との関係や過去の出来事、そしてそのご両親を許す、という偉大な思い。

子供として親を理解し、感謝し、許す、ということは癒しに大きく関係していますし、とても素晴らしいことなのです。

ただ、もし「両親の子供」という視点で「親」を許している、ということであれば、これはあくまで「子供の意識」であって、「一人の大人」という視点で許しを出しているわけではない、というケースも実際にあります。

その結果、自分の中の大人のイメージがネガティブに偏ったり、怖れ、不安、怒りなどといったイメージと「大人」というイメージが心の中でくっついてしまうと、自分の中で「大人」というイメージを使いこなせなくなることがあるわけです。

どこか受け入れがたいわけですね、大人というイメージ、感覚、観念そのものを。

その結果、子供時代から使い続けてきた自分の身を守る方法を使い続けるしかなくなるかもしれません。

しかし、よくよく考えてみると、大人とは子供を守る人、要素ですよね。

コレが自分の心のなかで機能しない、受け入れられないということは、繊細な子供の感覚・意識のまま社会の中で過ごしているとイメージできないでしょうか。

私の心・繊細な感情を守るものがない、といった感覚。これが一つの生きにくさを作ることもあるようです。

今回のケースでは両親を許している、という前提のお話で書かせていただいています。

であれば、あなたの「大人」というものに対するイメージに興味を持ってみるのはいかがでしょうか。

ここで、自分が大人ではないのか?といった自己否定を持ち出す必要はありません。

純粋に「自分の中の大人のイメージ」はどういったものだろうか?と興味を持ってみても良いかもしれません。

大人は怖いもの
大人は大変
大人はすぐ怒る
大人は苦しそう
大人は自由
大人は好きなことができる
大人は・・・・

普段は気づいていないかもしれませんが、思い出そうとするといろんなイメージが浮かんでくると思うんです。

その上で、いいイメージは残し、解放したいイメージは手放す。

コレを繰り返す中で、あなたが「どんな大人のイメージを持ちたいか」を考え、それを受け入れ、表現していくことも一つの考え方ですね。

あなたの中の「大人」のイメージを扱えるようなプロセスを歩むようなイメージで。

ただ、もしあまりにもネガティブなイメージや、怖れ、怒りなどの強い感情を感じるなら、無理はなさらず、人に相談したり、そういったあなたの中にある大人のイメージを浄化や解放しながら、あなたらしい「大人」のイメージを作り上げるほうが安全かと思います。

今回は以上です。何か参考にしていただければ幸いです。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

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年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。