希望〜将来のわたしたち〜

今日は小雨が降っています。
梅雨前線が上昇しているようです。
優しい雨は、心にもしっとりと潤いを与えてくれるものだと感じることが出来
るようになったのは、私が少し年齢を重ねてきたせいでしょうか。
以前は目の前の事に必死であった私も、最近世間のニュースが気になるように
なりました。
地球は本当に温暖化してしまって人が住めなくなってしまうのかしら?
年金は破綻して、私たちの老後はどうなるのかしら?
どこの地域も医師が不足して普通は受けられる筈の医療が受けられない事が起
き始めている・・・。


今年は交通事故や自死でたくさんの人が亡くなった、地球の裏側で戦争が起き
ている、飢餓で苦しむ人が居る、など実際の日常に直結するものからしないも
のまで未来を不安に感じさせるニュースがたくさん飛び込んできます。
そしてその問題の只中に居たり、対処しようと挑戦している人たちはどんな未
来を感じながらいまを生きているんだろう、と。
会社員をしていた当時、3年ほど教育研修、主に新入社員の研修に携わる機会
がありました。今でも春になると今年は何をしてあげようか、まだ見ぬ後輩た
ち履歴書の写真を見ながら企画したり社内の手配をしていたことを思い出しま
す。
社会に出て、自分の才能が充分に認められない、策が未熟で採用されないなど
否定されたように感じることが多いとやはり人は傷つくもので傷は癒されぬま
まにしておくと行動にも作用するものですね。
特に数年で急速に拡大した外資系企業であったため、一社に骨をうずめるとい
うよりも独自の考え方をされる管理職が多く、また欧米的な雇用システム、年
功序列や日本的な情よりも短期的な成果主義を採用していたため常に勝ち−負
けの感覚に捉われやすい環境であったということも要因であったのでしょう、どちらか
というと内にこもり個人で成果を挙げることに注力される方が多かっ
たのを思い出します。
そのため、部署間のコミュニケーションは断絶されている感が否めなかったよ
うに思います。
私の勤めていた会社には、数学を司る方、外国から赴任されていた方、法律を
司る方、海千山千の営業のたたき上げ、科学者さん、研究者さんたち、色んな
職種の方がいらっしゃっいました。
それぞれを訪問したときの私の気分はまさに色んな星を旅した星の王子様のよ
うな気分でした。それぞれが自分自身の正しさや経験則を主張する『堅い壁』
に守られて、たくさんの人間が居るのにも関わらず ひとつの目標にむかうた
めにいまここにいるというつながりが感じられずに居ました。
ですが人は誰も‘託すもの、愛するもの’にはどのようなシチュエーションで
あっても勝てぬものだなと感じることもありました。
場の活性化には希望を感じる・・・ということが必要で、この『堅い壁』を崩
し風とつながりを持たせるために企画したのは新入社員と専門性が高い部門の
普段は広い部屋を与えられ人と接する機会が少ないいわゆる‘エライ人’たち
が接する場を設定すること。
是非とも今やっていらっしゃる仕事に関して、新人さんに語ってもらう機会を
作りたいんですと意向を伝える事がまずが壁を崩すための一番初めの勇気。硬
い顔つきでコンピューターに向かっておられたり、分厚いファイルの中に埋も
れていたりする方たち、始めの「人事系の人間がなにしにきたんだ?」という
戦闘体制を徐々に解いていってくださいます。こんな才能のある子達がいる、
こんな夢を語る子達がいる、と説得したとき時間はかかりますがあれも伝えた
い、これも伝えたい、一生懸命考えてくださるんですよね。彼らの「会社用」
の硬い顔が紅潮し、饒舌になり、色んな発想が展開していくのです。
伝えたいと言ってくださる内容のほとんどは研修専門のスタッフからは「専門
的すぎて理解できないだろうなぁ(苦笑)」というものであったりもします。そこで感じる
のはいかに自分たちのやってきたことを‘努力はしたかもしれな
いがたいしたことではない、偉大ではない’と感じすぎていらっしゃるかです

充分に誰よりも自分の経験や自分自身を受けとり、認めていらっしゃらないの
だなと今であれば思います。
もしも、自分自身が十二分に自分や経験を評価しそれを受け取っていれば、何
も出来なかった頃の自分と格差があることが分かるはずですから・・・。
それでも新入社員の疑いを知らない純粋さは、十分に社会の中でも‘大人にな
ってしまった’と感じている壁に囲まれた人たちの発想の扉を開いてくれたよ
うに思います。
もしかすると私たちがこの地球に生まれてきたときも本当は同じ状況がきっと
あったのでしょう。
自分自身が希望であった、自分自身が愛そのものであった、自分自身が弱く何
も出来なくとも誰かの命の源になっていた、そんなことを私たちは深い深い無
意識の中に沈み込ませてしまい自分を良くないもののように扱い自分も人も傷
つけてしまうこと、人と理解しあうよりも争うことを選ぶ、信頼するよりも疑
ってかかること、こういったことがどれほど多いことでしょう。
結婚されない女性が増えています。
私も今の時点では多分そのうちの一人。
深い意識では、『母になる』事への怖れがありました。
虐待連鎖という言葉があります。
お母さんの悩み事を聞くと‘こどもを必要以上に叱ってしまうんです。あたっ
てしまいます’が大半を占めます。まるで親のようになっていくことが変えら
れない運命のように、呪われているように感じてしまうこともあります。
ご自身の経験、体験をひも解くと十分に理解された、愛されたと感じられてい
ないことが徐々に浮き上がってきます。
こころの痛み、それが罪悪感であれ無価値感であれ、無力感であれ深い意識下
の痛みが癒されることを求めて出てきます。
そして、痛みを癒したときに、行動が変容します。
許された、と感じることが出来てはじめて人に優しくすることが出来ます。
なにかのどうしようもない事情で、保護されるべき幼少の時代に十分に抱いて
もらえなかた、泣くことも許されなかった、そんな状況があってもいまが本当
に成熟した身体年齢であっても誰かに十分に抱きとめられたとき涙を流すこと
を許されたとき生き返る愛があります。
そして、痛みが出来た頃には、貰えなかったもの、‘ない’と感じていたもの
これを自分の手で愛したい誰かに与えることが出来て初めて人生は自分で変え
られると自分を力強く感じることができます。
もしも、運命やカルマというものが存在するのであったとしても解消されるた
めに癒されるために呪いから解放されるためにそこに存在するのかもしれませ
ん。
いまわたしたちが生きているこの世界は何十年、何百年、過去に生きてくれて
いた人たちの夢が作り上げたものだとしたら、愛するものたちへ将来どんな現
実をいきてもらいたいでしょう。
いま自分よりも若い世代の人たちの現実を、私たちのマインドが作り上げ続け
ているとすれば私たちはどんな未来を夢見ればいいのでしょう。
現実と、夢との架け橋はどんな形で現れるのか誰にも予測は出来ないものかも
しれません。
私のために・・・と思うと、私たちは案外に力が出ないことがあります。
希望よりもあきらめを選んだほうがいいと感じることもあります。
それでも、愛するものたちのため、若い世代のために希望を捨てずに、夢を願
い続け未来を信じ始めたときに十年後、二十年後の私達の生きている世界も私
たち自身も変化するのでしょうね。
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