母の背中を追い続けて 〜しなければならないを手放した後に〜

みなさん こんにちは。
前回(2007/07/11)に〜手放すことで得られたもの〜と言うコラムを書かせて
いただいたのですが、今回はその後に起こった心の葛藤について書いてみたい
と思います。
いきなりですがみなさんのお母さんはどんな人でしたか?
お母さんにどんな影響を受けましたか?
良い影響、良くない影響人それぞれだと思いますが、私の心の中の母はいつも
働いていました。
私が幼かった頃は自営業を営んでいた父の仕事を手伝い、父が自営業を辞めて
就職してからはパートに出て家計を支えて来ました。
そのパートは私が中学生の頃から40歳を超えるまでずっと続きました。


3人の子供を育てながら、そして一時期は寝たきりの義父の介護を一手に引き
受けて働く姿を今でもはっきりと覚えています。
よう働くなぁって言う度に「私は仕事が好きやねん」といつも言っていました
。母から仕事を取ったら何も残らないなぁ・・・と本人も家族も思っていたよ
うに思います。
働き続けた期間もさることながら、私が一番凄いと思っているのは仕事を休ま
なかったことなんです。
どれだけ体調が悪くても、どこかが痛くても「私は休むのが嫌いやから」と言
って仕事に出て行きました。
母がゆっくりと音楽を聴いたり何か趣味を楽しんでいると言う記憶が私の中に
は全く無く、いつも忙しそうに働いている姿ばかり思い出します。
あの頃は当たり前のように見えていた家事と仕事を両立させることのしんどさ
を私が理解したのは、自分が結婚してからでした。
外で仕事をし、家に帰ってから食事を作る。
子供の頃には当たり前のように見えていた母の仕事は、本当はすごく大変だっ
たんだなぁって自分が同じ立場になって初めて分かりました。
私が中学生の頃、母が仕事から帰るといつも言っていた言葉は、「ご飯炊いと
いてくれた?」でした。多分自分で何でもやってしまう母が唯一頼みたいこと
がそれだったのだと思います。
でも、私の答えは大抵の場合「ううん。炊いてない。」でした。
すると母は「何でやのん?ご飯さえ炊いといてくれたらおかずは何とでもなる
のに!」と怒る・・・いつも同じ事の繰り返しでした。
ご飯を炊いておけば母が喜ぶことが分かっていたのに、その頃の私は分かって
いてしなかったのです。
いつも自分に「分かっているのに何でしないの?」と問いかけては罪悪感を感
じながら「でもしたくない」と思っていたことを覚えています。
その頃の私は何故か掃除も食事の支度もお母さんがやるもの!と思い込んでい
たようで、自分が手伝うことをとっても強く拒否していたようです。
母が忙しい分家の中もあまり綺麗ではなくて、小中高の学生時代私は友達を家
に呼んだことが殆どありませんでした。
普通なら家族みんなで協力して片付けるのが当たり前なのに、家の片付けもお
母さんがするもん!と何処かで強く思っていたのです。
その上「お母さんちゃんとしてないやん!!」と・・・
そしてその事に対してとってもとっても怒っていたんですね。
今になってみればそんな風に思い込んでしまうにはちゃんと理由があったんだ
と分かるし、そこには大きな悲しみが隠れていたんだと言う事も見えるのです
が、その当時の私には全く分かりませんでした。
毎日「ううん。」と返事をしながら、情けない思いをしている母に大きな罪悪
感を感じていました。
また、「あの母にどうして私みたいな子が??」と思うくらい私は学校を良く
休みました。不登校と言われるほど長く休むわけではありませんが、何かちゃ
んとした理由があるわけではなく、いきなり行きたくなくなるのです。
1日だけのときもあり1週間のときもあり何となくサボってるという感じでい
ましたが、今から思うと立派に不登校気味の子供でした。
何が嫌なのか自分でも分からなくて、でも学校に行きたくなくて様々な仮病を
使って休んではただゴロゴロと横になったり、テレビを見たり本を読んだりし
ていました。
母が帰ってくる時間になるとダラダラしている自分と一生懸命働いている母と
を比べ、またまた大きな罪悪感と劣等感を感じて凹むんですね。それなら学校
に行けばいいようなもののそれが行けない・・・
自分みたいなぐうたらした人間は最低やなぁっていつも思っていました。
それでも、父が単身赴任で居なかったことや、母が自分のことで精一杯でうる
さく言わなかったことは当時の私にとって大きな救いだったと思います。
何しろ自分で自分のことを思い切り責め続けていたので、それだけで精神的に
は十分追い詰められていたんですね。
結婚してからは仕事と家事を両立しなければと一生懸命で、ここでもまたまた
疲れてしまいました。
あまりのしんどさにやりたくないことをしないと決めてやっと楽になったのに
、今度は楽になろうとしている自分を責め続ける私が出てきました。
仕事で疲れて休んでいると「何もしていない!」と責める気持ちが込み上げて
きて辛くて苦しくて全然休めない。「ちゃんと出来てない」「全然やってない
」自分の出来ていない所ばかりが目に付くのです。
どうしてこんなに苦しいんだろう?
いったいどうすれば休めるんだろう?と自分に問いかけ続ける毎日でした。
今から思えばその苦しさはずる休みをして自分を責め続けていたときと同じ苦
しさでした。
そんな毎日が随分続いたと思います。問いかけては答えが出ないと言う毎日の
繰り返しの中で、その答えが出たのはある日突然のことでした。
通勤の為、駅まで自転車を漕ぎながら「何でそんなに自分を責めるん?」と自
分に問いかけたとき「お母さんはもっと働いてた!」と私の中の私が答えまし
た。
「へっ???」
「お母さんは全然休めへんかったのに、あんたはダラダラしてばっかりやん」
「お母さんにちゃんとしいや!って怒ってたくせに自分は全然ちゃんとしてへ
んやん!」と言うんですね。
あーそうだったんだ。
私は母をずっと追いかけていたんだ・・・
決して勝てない母と自分をずっと比べていたんだ・・・と気付きました。
母が出来た事が自分には出来てないと自分を責め、頑張り続けた母と頑張って
いない(と思い込んでいる)自分を責め、家事は母がやるべき事だと勝手に決
め付けて完璧に出来ていない母を責めていた分、自分の不完全さも同じように
責めていたんだ。
人から見ると当時の私はとっても頑張っていたようで、仕事も真面目にしてい
たし、家事も出来るだけのことはやっていたようなのですが、誰よりも私自身
がそれを認めることが出来なかったんです。
そこには大きな怒りと寂しさが隠れていました。
漸くその事に気付いて出てきた言葉は
そうだったんだ・・・
お母さんごめんね・・・
そしてもういいよねぇ・・・でした。
長い間抱え続けてきた苦しさの原因が漸く見えて、やっと自分のことを許して
あげてもいいよねと思えるようになりました。
今では楽な気持ちで休めるようにもなりました(笑)
子供の頃からずっとずっと出来なかったことです。
頭では分かっていてもどうしても許せないものが自分の中にある時、私たちは
何かに怒っているのかも知れません。
大きな哀しみや寂しさが隠れているのかも知れません。
でも、自分ではなかなかその事に気付けないときもあるようです。
私はその事に気付くまで本当に長い時間が掛かりました。
とてもとてもとてもしんどかったです(笑)
自分の本当の気持ちに気付けた時に初めて別の道が見えてきたり、新しい価値
観で自分を見てあげることが出来るのかも知れません。
自分を責め続けて疲れ果てているあなたに・・・
いったい何に怒っているのでしょう?
その後ろにどんな思いが隠れているのでしょう??
このコラムが少しでもヒントになれば本当に嬉しいです。
ここまで読んで下さったことに感謝します。
ありがとうございました。
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