「喪失」の乗り越え方(1)~もう一度自分の人生を取り戻すために~

「喪失」の痛みを癒やすことは、もう一度、自分らしい人生を取り戻すこと

喪失体験は「愛する」ものを失う悲しみです。それが辛すぎて「愛する」ことに臆病になると、愛を受け取ることもできず、人生が面白くなくなります。喪失を癒やすことで、もう一度、自分らしい人生を取り戻しませんか。

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生きていて何が辛いかといえば、愛するものを失うという喪失体験ほど辛くて苦しいものはないのではないでしょうか。

にもかかわらず、愛するもの、大切なものを「失う」という悲しい体験を免れる人はいません。多かれ少なかれ、私たちは愛するものとの「別れ」に直面し、それを乗り越えることを求められます。それがどんな「別れ」であったとしても、簡単なことではありません。

この4回シリーズでは、喪失体験に伴う感情とどう向き合ったらいいか、掘り下げてみたいと思います。

大切なものを失ってどう生きていけばいいのだろうと悩んでおられる方も少なくないでしょう。悲しい「別れ」から立ち直り、もう一度、自分の人生を取り戻すことに少しでも希望と意欲を持っていただけたら、嬉しく思います。

 

「喪失」の辛さは、人が「愛したい」生き物であるからこそ。

私たちは、日常的に、いろいろなものに「想い」をかけます。恋人、夫や妻、子供や孫、親、兄弟姉妹のような家族、友人や仕事仲間、家族同然のペットなど、日頃からよく関わっている知人、友人はもちろん、大切にしている趣味のものたち、お気に入りの服や靴、記念の写真や大切な人からのプレゼントなども、私たちの愛の対象になります。

大好きになると、その相手は、人であれ、ものであれ、あなたにとって「特別」なものになります。それは、あなたが寄せた「想い」を形にして見せてくれるからです。心のレベルでは、あなたの身体を超えて、あなたの「想い」の全部を「あなた」だと感じますから、あなたが想いを寄せた人は、あなたの心のかけらも同然です。

パートナーや家族、ペットとの死別、離婚や別れは、身を引き裂かれるような気持ちになります。それは、愛する人やものを失うと、自分の愛のもってゆく先を失うから、そこに寄せていた自分の心の一部までも失ってしまったように感じるからです。

喪失体験には、長年連れ添った伴侶の死のような、生活を一変させるような大きなものから、お気に入りのお茶碗が割れてしまったといった他の出来事への影響が小さいものまでありますが、どれも、「もう、この人(モノ)を愛せない」ことが悲しいし、辛いのです。

そう見てくると、つくづく人って「愛したい」生き物なのだ、と思います。

 

「愛せない」のは辛すぎるから、もう「愛さない」?

何度も、喪失の悲しみを味わうと、もう二度とあんな辛い思いをしたくない、と思いますから、「愛する」のが怖くなります。「失う」くらいなら、はじめからなくていいと思うので、人にもモノにもなるべく関心を持たなくなります。

大人ならば、社会のエチケットはわかりますから、礼儀作法を守り失礼のないように人と接すれば問題はなく、職場などではかえって「いい人」と思われて評判が良いかもしれません。つかず離れずの人間関係は、ストレスが少ない面もあります。家族、親族が集まる時は、「お母さん」、「お父さん」、「お姉さん」。「お兄さん」、「愛される子供」など、その場で暗黙のうちに求められているキャラをやれば、収まりが良いこともあるでしょう。

でも、生きていて楽しいですか?

人といる時は、笑顔で楽しい気分になっても、一人になると長く、深いため息をついている、なんてことはありませんか?自分の人生なのに、映画館でモノクロの映画を見ているかのような錯覚に陥ることはありませんか?

愛することに臆病になると、「私の仕事のポジションがコレだから」とか、「お父さんだから」とか、「お母さんだから」など、役割をこなすように生きてしまうので、何をやっても楽しめず、真面目な頑張り屋さんほど、燃え尽きてしまうようです。

「愛する」ことが怖いと、「愛される」のを待とうとしますが、これはあまりうまくいきません。愛されたいし、愛されようともしますが、心の深いところで、実は、自分方から愛そうとしていないのを知っているので、そんな自分が愛されるわけがないと思ってしまいます。そんな「愛していない」自分を、まわりの人たちに投影しますから、まわりの人がたとえ愛情をかけてくれても、それは見えず、人の好意がなかなか受け取れないのです。

 

「喪失」の痛みを癒やすことは、もう一度自分の人生を取り戻すプロセス

「喪失」の体験は、「愛する」ものを失う悲しみです。「愛する」ことができないと思うと、その「愛する」ものに寄せていた自分の「心」まで私たちは投げ捨ててしまいます。もう二度とこんな思いをしたくないと思うと、自分の「愛する」心まで封印してしまいます。

私たちは、幼い子供の頃から、何度も、大小さまざまな「喪失体験」を通して、「愛さない」と決めたこと、「やらない」と決めたこと、「関心を持たない」と決めたことがたくさんあります。そんな無数の心の傷を後生大事に持ち続けることで、恋愛に臆病になるだけではなくて、人生そのものを面白くないものにしているとしたら、それはもったいなくないですか?

「喪失」の痛みを癒やすことは、あなたが、もう一度、自分らしい人生を取り戻すことでもあります。

あなたは「愛されない」のではありません。「愛する」ことが怖くなったから、愛を受け取れなくなったのです。

このシリーズをきっかけに、「喪失」の痛みに囚われた世界から抜け出して、自分の人生を取り戻す意欲と勇気を見つけていただけたら、とても嬉しいです。

>>>『「喪失」の乗り越え方(2)~「自立」している人ほど悲しめない~』へ続く

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