ずっと子供が嫌いだと思っていました

私は30代のころ、子供がとても苦手でした。

生まれたてから幼稚園くらいまでの小さな子供は、かたときもじっとしていないし、強いエネルギーを発しているような気がして、いるだけで気が散る、疲れると感じていました。

動きも声もうるさくて煩わしいと思っていて、電車に乗るときに、小さい子供がいると、車両を替えたこともあったくらいです。

子供には何の罪もないのに、嫌っている自分は優しくないとも思っていました。

子供を嫌がるわりには、実はそのころの私はまだ結婚していて、妊活をしていました。

20代で結婚したころは、このまま普通にお母さんになるものだろうと思っていました。
ところが30歳を超えても子供ができずに「あれ?こんなはずじゃなかったな」と思っていたのです。

当時の妊活は、もう30年も昔の話ですから、まだ専門の病院は少なくて、普通の産婦人科に行っていました。

当然ながら、来ている女性たちはみんなお腹が大きくて、診察室に入ると赤ちゃんの心音が待合室にも聞こえてきたりして、そのたびに耳をふさぎたくなりました。
当然私の番のときは何も聞こえないわけですから、通院することはとても悲しいことでした。

おまけに当時の夫の協力が得られなかったので、私ひとりだけの妊活で、先生に「ここから先はおひとりではできませんよ」と言われて、妊活の入り口を入ったところで中止ということになりました。

私の30代は、ほしかったものが自分には手に入らないということが受け入れがたく、お母さんになる人生から、自分の人生を軌道修正しなくてはならないけれど、いったいどこへ向かっていけばいいんだろう?と苦しんでいた時代でした。

そして40歳を目前にして離婚ということになり、1人で暮らすために仕事にまい進する毎日になり、私の世界から子供の気配が消えていきました。

朝の満員電車にも、都心のオフィス街にも、ビジネスマンであふれるランチタイムのレストランにも、子供はいません。

たまに平日、何かの都合で休暇を取って、穏やかな昼下がりに家の近所を歩いたりすると、公園やファミリーレストランにたくさんの母子がいて、ええ~この町にはこんなに子供がいたのか!と驚いたこともありました。
子供のいる時間帯ってあるんだなあと思いました。

そして同時に、子供のことはどうでもよくなり、たまに見かけたからと言って、逃げるように避けることもなくなりました。

そして現在60代。
子供がいませんでしたから、当然、孫もいません。
でも同級生には次々に孫ができる世代になりました。

心理学の学校で一緒に学んだ友達も、夫婦間のことで悩みがあったり、妊活で悩んでいたりしたのに、学びとともに成長していき、最近はベビーブームかしらと思うくらい、赤ちゃん誕生のニュースを聞くことが増えました。

そうなるとですね。
嫌いだ、煩わしいと思っていた私に、赤ちゃんを抱く機会ができたわけです。

赤ちゃんを抱いたらなんと。
いつの間にか私は子供が可愛くて仕方ないと思うようになっていました。

その小さな体をお母さんから預かって、ずしんと中身のつまった重さを感じたり、毛穴ひとつないようなすべすべのほっぺたがつやつやと光るのを見たり、何の濁りもないきらきらした瞳と目が合ったりすることが、本当に嬉しいのです。

日常生活のちょっとしたイライラや、人間関係の面倒くささなんて、赤ちゃんの前では吹き飛んでしまうような気すらします。
そして、この子の成長していく世界が、どうか平和で健やかでありますようにと祈らざるをえないのです。

私は頼まれてもいないのに、友達の子供の帽子を編んだり、もうちょっと大きくなったら遊びに連れていってあげたいと思ったり、「時々、写真を送って」と頼んだりしています。

そして、自分の孫でもないのに、他の友達に「見て、見て。この子かわいいでしょう!」「大きくなったでしょう!」と言って写真を見せたりしてしまうのです。

今思えば、あんなに子供が嫌だったのは、子供が嫌だったのではなくて、欲しくても持てないものが自分の人生にあることが嫌だったのですね。
なんで私は持てないのか、と自分をまるで欠陥品のように責めて怒っていたと思います。

でも今、孫がいるような気分です。
そして、嫌いだ嫌いだと思っていた子供が、全然嫌いじゃなくなっていることに、自分でもとても嬉しくなっていて、「嫌い」という重い荷物を降ろしたさわやかな解放感があります。

こっちが本当の自分だ、と今は思っています。
本当の自分で生きることは気分が良いものです。

よく、子供よりも孫のほうが無責任に可愛がりたいだけ可愛がれるから楽だなんていうことを言う人がいます。

祖父母だと確かに、発育とか教育とか現実の課題に対して、親よりは距離がある状態で接することができるようですね。

友達の子供だとなおさらです。

口をはさむ権利はないし、お金も出しませんから、「可愛い!」と抱っこして、泣いたら「はい、お母さん」と言って返してしまうのは、本当に無責任で楽ちんです。

そのくせ、どうやって「私がおばあちゃんだよ」と教え込もうかと狙っているのですが、やっぱりお金を出さないとだめでしょうか。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

離婚やハードワークによる鬱、親の介護など、さまざまな経験をしてから心理学を学び、【心が変われば、いつからでも人生は変えられる】ことを体験した。企業の人事や人材サービス会社など、人に関わる仕事歴30年。その人らしさを大切にし、新しい希望を見出すためのサポートをモットーにしている。