●家族への思い

最近、家族に対する思いが変化している自分が好きです(笑)。
僕は両親が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、家で酒に溺れる父。そのことで父をなじる母。
そしてその怒りを姉や僕にぶつけ、姉はその怒りを僕にぶつけていました。
家には居場所がない。
子供の時の僕にはそう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に小学生の時に作成した壁掛けがあったはずなので、
母に見せてほしいと頼のむと、捨てたと言いました。
僕は当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
母は言いました。
「あの壁掛け吐き気するくら嫌やねん。明るい色が全然なくて
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
僕がみても30秒が限界なのですから。
小学生の持つ明るさなどまったくなく、絶望という言葉がふさわしい
ような色だけでした。
そして中学、高校と表面的には普通の子供でしたが内面的にはどんどん
ゆがんでいきました。
変わることのない父と母。姉との確執。
その時の僕の望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁をお腹にあてたりもしました。
線路を越えたいとも思いました。
このまま目が覚めなかったらいいのにと毎日のように思っていました。
そしてある時僕は決めました。
「こいつらは赤の他人やと」
そして僕は一度だけ両親に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
両親は頭を下げました。
姉にもある仕打ちをしました。
姉が結婚をする時に当然のように結婚式や披露宴に出てくれと言われた時に
「お前の幸せなんか祝いたくないから、絶対に出席なんかせーへん」と
僕の中では姉もまた両親と同じくらい憎んでいたのです。
でもそんな僕でも今は少しづつ父も母も姉も許せていっています。
姉の場合は姉に子供が産まれ実家で子供たちと遊ぶようになった時に、
姉から
「ありがとう」と感謝をされたことで僕の中で何かがかわりはじめました。
父の場合は、僕の子供が死産として産まれてきた時に仕事を早退して
病院に駆けつけてくれ、その子供を病室で何分間も見ていた時に頬に
涙を流しているのを見ました。
父親の涙を見たのはこれが初めてでした。
なぜなら父親はどんな時でも人前
では泣かない人だったからです。
そして、
「残念やったけど、かわいい子やないか」と声をかけられた時に
心の底から感謝がうまれました。
なぜなら僕が父に求めていた、僕のことを思ってくれていると感じとれたからです。
母の場合もやはり父と同じで子供の死産のことがきっかけだと思います。
でもそれ以外にも僕が心理学の勉強をしだして、その当時の母の状況を自分なりに理解し
話をしたことで変化は出てきたようなきがします。
ただ家族の中で一番に距離が近かった分、まだまだ僕の気持ちの中ではうまく整理は
出来てはいないみたいです。
僕は子供の死産のことで地獄の苦しみ味わいました。
あの経験は誰にも味わってほしくはありません。
ですがその経験によって僕が得たものがありました。
それは
「子供に対する両親の気持ち」
僕がまったく理解できなかった心の隙間の部分。
子供のことがあってから4年。色々な葛藤や出来事がありましたが、
僕は最近になってある言葉を心の中に刻むことを許すことができました。
それは
「親孝行してみたいな」と。
時間はかかったけど、僕は大事な宝物を手に入れることができました。
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