◇自分を変える難しさ

何かに向かって自分を変えていこう・・・。
そういう心がけはあるんだけど、なかなか実現が難しいことって少なくないで
すよね?
(と同意を求めて、読者の皆さんが「え?そんなことねーよ」とか思ったらど
うしよう・・・なんて不安にもなりますが、いや、そんなことは無いだろう、
と思って話を進めます)
より良い自分になりたい、誰かとの関係性を良くしたい、○○を達成したい、
などなど、解決したいテーマがあって、それに向き合おうと思うんだけど、ど
ういうわけかするっと逃げてしまう。
そうして、それが「分かっちゃいるんだけどなあ・・・」なんて重みを持って
くると、それがコンプレックスみたいになってしまって引け目を感じるんです。
僕はペーパードライバーなんですね。
かれこれ免許を取って10数年が経つんですけど、その間の走行距離はきっと
30kmくらいで、ほんと純粋なペーパーです。
もちろんゴールドです!
都会に住んでるし、そんなに必要性も感じなかったので、自分が車を運転する
ってのはかつては想像外の世界でした。
「いざとなればタクシーで事足りるだろうし、友達をアテにすればいいし」
なんて思っていたんですね。
ローンや駐車場、保険や車検にかかるお金が、うちはかからないんだから、む
しろ、経済的にはとてもいいやん、なんて前向きに捉えてました。
でも、子どもが生まれると買い物でも遊びに行くのにも移動手段としての車は
必要なものになってきます。
電車に乗るにもベビーカーに階段は無理ですからエレベータを利用するように
なって遠回りをします。
車内でも泣き出さないかどうか気を使うし、ラッシュに当たってしまったら、
きゅーきゅーで、周りにも子どもにも申し訳ない思いをします。
そうすると、奥さんとの会話の中にも何となく「うちに車があったら・・・」
というニュアンスが漂ってくるようになりました。
(もちろん、それは投影で、僕が車に乗れないことをコンプレックスに感じ始
めたから、奥さんとの会話にも責められてるような空気を感じてしまうんです)
そうして以前は問題でも何でもなかったことが、徐々に嫌〜な感覚とともに問
題に変わってくるようになりました。
で、じゃあ、車に乗れるようになろう!と一念発起しようと腰を上げかけます。
出張先などで「車乗ります?」なんてさりげなく調査してみると、あっさり
「うちの辺では必須ですから、乗らなきゃやっていけないんです」とか返事が
返ってきて、思わず「すげー」と尊敬の眼差し。
「そっかー、みんな乗ってるんだし、きっと僕にもできるだろう」とか思って
みたりします。
これは第一段階のチャレンジで、ここですんなり動き出せたら、そもそも問題
にはなりません。
きっと今頃僕は普通に車を乗り回していることと思います。
でも、そうは言ってもなかなか勇気ができず、また、まだまだモチベーション
が十分じゃないので、こういうときの僕達はそーっと逃げようとします。
そういうときって巧妙な言い訳を使うんですね。
「うちの家の近所は駐車場代が3、4万くらいなので、それに保険代とか色々
入れたら膨大な額が毎月出て行くなあ・・・」
とか、
「家の近所はとても運転が荒い地域なので初心者はたちどころに追い出される
に違いない・・・」
とか、
「結局そんなに乗らないんだし、タクシーで十分じゃん・・・」
とか、やらないで済む理由を見つけて正当化します。
とてもいい言い訳が見つかったときにはホッとさえします。
また、「そういえば、あいつも車に乗らないよな」と同志を見つけて安心しよ
うとします。
つまり「本当はやった方がいいんだけど、今はちょっと無理なんだよね」とい
う結論に導きたいわけです。
大抵はそれで問題を先送りできて、「ああ、良かった」なんて風に押さえ込む
ことができるんですけど、その一方で天使の囁きが聞こえたりもします。
「でもさー、だんだん年取っていって、それで田舎に暮らすようになって、
それから車を乗りこなすのって難しいよね?」
とか
「レンタカーも近くにあるんだしさ、車持たなくてもやっていけるじゃん」
などなど。
極め付きは「沖縄で車乗れたら、もっと楽しいよね?」という「おぉー、ずる
いじゃん、卑怯だよ、そんなの・・・」と思わず絶句してしまう天使の説得力。
うだうだ考えているうちに頭の中がパンパンになって混乱してしまうのは、
ネガだけでなく、ポジな理由もでてきて、両者が拮抗するからなんですよね。
それに、そもそも“先送り”という時点で気持ちよくないし、後からはもっと
大きな問題となってやってくるんだから、気付いたときにチャレンジするのが
一番いいわけです。
友達に頼るなり、講習受けるなり、とりあえず実家に帰って練習するなり、何
らかの方法は考えられるわけです。
そんなことは分かってる・・・でも、腰が重たい。。。気が重たい。。。
で、だんだん自己嫌悪が強くなっていきます。
はっきりとコンプレックスを感
じて、「なんであの人も、この人も車を運転するのに僕は・・・」と勝手に落
ち込んでみたりもするんですね。
この辺はけっこう重たいです。
ヘビーになってきます。
段々鬱々としてきます。
そして、時には誰か悪者を探します。
「そういう奥さんが免許取ったらいいじゃん」
とか
「街中がもっとバリアフリーだったら、こんな苦労はしなくていいんだ」とか、
知らず知らずのうちにとっても偉くなってしまうわけです。
で、そんな自分に再び惨めになるわけです。
こうした葛藤を僕達は多かれ少なかれ繰り返してしまうものかもしれません。
夫婦のことで、もっとパートナーに伝えた方がいいことってありません?
健康のことで、もっとこうしたらいいのになって思うことってありません?
仕事でもそう。こういう風にしたら、ああしてみたらもっと良くなるのに、
とか、ありませんか?
何か大きな動きをしようとするときって、こういうぐるぐると巡る葛藤に嵌ま
ってしまいがちなんですね。
それだけ自信がなくて、怖いんです。
このメルマガを読んでくださる方の中には普通に運転できる方も多いと思うん
ですね。
むしろ、運転が好きって人も少なくないと思います。
そんな方にとっては「そんな大したことじゃないのにねー」と感じられるはず。
それも分かるから、「こんな大したことないことで悩んで、もぉ!」と自己嫌
悪することもあるわけです。
で、ますます袋小路にはまっていきます。
こうした葛藤がいつまで続くかというと何らかの行動を実際に起したとき。
シミュレーションではなく、実践したときですよ。
考えてるだけ、言ってるだけじゃ意味がなくて、実際に動いたときです。
重い腰を上げ、重い気を振り払って、ね。
その腰の上げ方というのは千差万別、ケースバイケースだと思います。
でも、ポイントとしては目の前のその問題ではなく、もう少し先を見てみると
ころかもしれません。
「どうのこうの言っても、ここまで思ったら僕は運転するようになるんだろう」
と自分の性格を元に「悟り」を開いてもいいです。
(いい意味での諦めですな)
「旅行が好きだしなあ、東京に行くならまだしも地方や海外に行くときはやっ
ぱり車に乗るんだろうなあ、それはそれで楽しいだろうしな」
と車に乗ることではなく、それが生み出してくれる楽しみや喜びを思い描くの
もいいですね。(ヴィジョンを描く、というとかっこいいですな)
間違っても「車に乗らなかったら、きっと奥さんと娘に愛想付かされて、いい
車に乗ってる男のところに逃げられてしまう」とか怖れを掻き立てないことが
大事。焦ってかえって失敗しますから(笑)
そして、人に公言するのはもっと効果的。
「実はそろそろ車を持とうと思ってさー、いや、今更なんだけどね」
なんて風に。(僕にとってはメルマガに発表することも、その一つだね)
人に言うのは一種の宣言であり、約束だから、どうしても外せないと思います。
この辺までくると、もうやるしかない方向になるので、あとは自分の性格や時
間、お金などの条件を見ながら方法を考えるわけです。
カウンセリングって手もあるし、とりあえず車を買ってしまうという手もある
し、駐車場を契約して逃げ道をなくしてしまうというのもあります。
そうして、ようやく実行に移りましょう。
この辺までハードルを下げてしまえば、あとは自然に動き出せることが多いと
思いますよ。
そう、要は色々考えることも、ヴィジョンを描く事も、友達に宣言することも、
その全てはハードルを下げることに目的があるわけです。
というわけで、僕は来る石垣旅行に向けてペーパードライバー講習なるものに
通い始めました。
で、右足が微妙に筋肉痛なのです(笑)
ああ、やはり自分を変えるってのは難しい・・・。

この記事を書いたカウンセラー

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