●さくら〜心の定点観測〜

ぼつぼつ桜便りが聞かれる季節です。
開花予報によると、今年は去年に比べて少し開花時期が早いようですね。
今年も綺麗な桜が見られるといいですね。
さて、僕は毎年どこかで満開の桜を目にしていますが、ここ何年かは、その時「来年はどこで、どんな自分がこの満開の桜を見ているのだろうか?」と思います。
お花見に行って満開の桜を楽しんでいるわけではありません。
ちょっとした通りすがりの公園で見かけたり、道ばたで咲いているのを見たり、といった感じです。
桜の花を見てそんな感情を抱くのは、思えば入学式や卒業式といった人生の節目、節目にはいつも桜があったからかもしれません。
小学校の入学式、今でも覚えているのは、ワクワクドキドキしながら、着物姿の母親と一緒に学校へ行ったことです。
僕はやんちゃ坊主というか、落ち着きがないというか、何かじっとしていられなくて、ぴょこぴょこジャンプしながら、そして母親にそれをたしなめられながら、学校に行きました。
学校に行く道には、大きな桜の樹があり、丁度桜が満開でした。
これから広がっていくであろう未知の世界、勉強や、新しい友達などに心を膨らませながら、新鮮さやすがすがしさを感じた事を覚えています。
中学校の入学式、やはり桜が満開でした。
中学生ぐらいになると、小学校の時のような新しい環境へのワクワクドキドキ感は既にありませんでしたが、何となく大人になった気分とともに新鮮さを感じたことを覚えています。
そして、当時は随分と長く感じた小学校の6年間をやっと終わった満足感もあったような気がします。
その後、満開の桜を様々な状態で見ていますが、その中でも特に鮮明に憶えているのは、大学生の頃、両親と伊豆へ旅行に行ったときです。
僕は当時、神奈川県に下宿していたんですが、自分の選んだ進路が本当にこれで良かったのかどうか、この専攻が合わないのではないかと疑問に思い続けていて、少し閉塞気味な感じを持っていました。
そこで、心機一転、下宿先を移る事にし、その手伝いに両親が来てくれました。
引っ越しが終わって、両親とともに、車で伊豆半島を一周しました。
西伊豆の辺り、桜の花が満開で、綺麗な富士山がはっきりと見えたことを覚えています。
新しい下宿に移り、気分一新勉強するぞ!という意欲をみなぎらせていた時でした。
どうやら、記憶に残っている桜は、新鮮な自分を感じているときなのではないかと思います。
さて、去年は、大阪のとある公園で満開の桜をゆっくりと見ました。
休日の昼下がり、たまたまその公園の近くにいて、天気も良かったので、桜がきれいなその公園に行ってみようかな、という気分になったんです。
公園の中では、バーベキューを楽しんでいるグループ、赤ちゃんをバギーに乗せている若い夫婦、走り回る元気な子供達、ベンチに腰をおろしている老夫婦など、様々な人々が、様々な感じ方で桜の花を楽しんでいました。
僕も独り、ベンチに腰掛け、それら桜を楽しんでいる人々にとけこんで、満開の桜を楽しみました。
ほんのりとピンクの花びらもあれば、ちょっと濃い目のピンク色をした花びらもあります。
花びら1枚1枚がそれぞれ微妙に個性を持っています。
それらがまとまって1本の桜の樹になり、全体の優しさや柔らかさを醸し出しています。
風が吹くと、ひらひらと花びらが宙を舞います。
既に地面に落ちている花びらは、気まぐれな風に弄ばれつつ、地面を這い回ります。
それぞれ違う表情の桜は、しかし、ぞれぞれの美しさを持っていました。
僕はそれら美しい桜を見ながら、やっぱり「来年はどこで、どんな自分がこの満開の桜を見ているのだろうか?」と思いました。
さて、今年、僕はどこで、どんな自分が満開の桜を見ているのでしょうか?
そして、皆さんは、どこで、どんなご自分が満開の桜を見られるのでしょうか?
大谷常緑のプロフィールへ>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。