●出逢い、そして旅立ちのとき~~一瞬の輝きを永遠に~~

 海が煌めいている。少し沖を行き来する船々からここが見えるだろうか。
先ほど挙式を終えたばかりの友人夫妻が、中庭に出てくる。手に手に花びら
を持った家族や友人達が、二人のために待ち構える。それぞれにこの日を色
んな場所から立場から応援してきた。お互いに面識のない人も居る。でも、
この二人を祝うという同じ目的の下、ここに集っている。ここから始まった
り復活する関係性も少なくないだろう。人の繋がりの美しさを形にすれば、
こんな風になるのだろうか。
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 結婚式に出させていただく機会が以前より増えました。
昔からの友人も居
れば、ともに学んだ仲間や同僚であったり、親類であったり。式の参列から
始まる場合もあれば、パーティーへの出席、ということもありますが、いず
れにしろ、色んな顔・環境や状況、想いを知る人の至福の顔は周りへも幸せ
を広げてくれます。
結婚式というのは本当に素敵なイベントです。
祝福を受
ける側だけではなく、集った面々にとっても大きな喜びです。
「ここ」に至
るまでの経緯を知るものにとってはなおさら、なんですよね。
 イベント、と言えばこの季節、卒業式・そして入学式の季節です。
ほんの
三年前までは見送ったり迎える立場に居た私ですが(在職した年数以上の入
学、卒業を体験しているのです。
わが子の分もあり、2回ずつの入学式・卒
業式を行う学校もあるからです。
)、毎年、そう変わらない準備をしたりもす
るのですが、卒業・入学の側からすれば、人生の一大イベントのひとつであ
るわけですから、失敗は許されません。
 学校ごとに大きな違いがあるか、と言えば、個性的でもあり(必須の部分
があるので)同じようでもあります。
いずれにしろ地域やその時々の事情も
ありますが、卒業式はその学校での締めくくりですし、入学式はそこから何
もかもが始まるわけですから、ひとりひとりに良い思い出を創ってあげたい
と言う、職員の意気込みがそこにあるわけです。
昨今の式典や音楽会などの
学校行事では、保護者の涙をいかに・・・と言うのも職員たちの想いの中に
あるような気がしますが、ところを変えれば彼らも保護者。きっとわが子の
行事でエライ目に遭っているに違いありません。
 そんな二十回以上もの卒業式・入学式を経験している私ですが、涙が出て
仕方がなかった式があります。
それは・・・ 次男の中学校の卒業式だった
のですが、きっかけは一枚の写真でした。
 一人ひとり名を呼ばれステージに上がるわが子やその友人。よく知る顔も
あれば、あまり馴染みのない顔ももちろんあります。
でも、この三年間で間
違いなく大きく成長した子供たち。本当ならそこにあるはずの、ある元気な
顔が、同級生の胸に写真となって抱かれていました。
その写真の主は、幼い
頃からよく知る、息子の幼馴染。保育所から一緒に過ごしてきたので、本当
に幼い頃から私もよく知っているのです。
その笑顔を見た途端、涙が止まら
なくなってしまいました。
 彼は急な心臓の病気の悪化で亡くなったのですが、息子とはとても仲がよ
かったのです。
今も息子の部屋には、彼の写真が貼られていますが、彼に
とっては本当に大切な友だちだったらしく、転居の際に何よりも早くこの写
真の場所を決めていました。
やんちゃそうな優しい笑顔が、今も息子と一緒
にいます。
小さい頃から道で会うと礼儀正しく挨拶をしてくれる彼の、元気
なときの姿を覚えているのは私だけではなく、保育所時代から彼のことを
知っている母親仲間は皆泣いていました。
 式の後に、近くの公園に集まってそれぞれが写真を撮ったりするのです
が、保育所から一緒にいたメンバーが亡くなった彼を入れて六人ほどいたで
しょうか。呼ぶとは無しに集まって、みんなで写っています。
私のカメラに
ももちろん、彼らは納まりました。
そこでまた、涙が止まらなくなってし
まった私。亡くなった彼や保育所からの仲間をよく知る先生に近づき、お礼
の挨拶を伝えようとしたのですが、私は先生にとって危険な存在です。
きっ
と一緒に泣いてしまうもの。先生は話もそこそこに、離れていきました。
 私の涙が止まらなくなった理由は、彼にまつわるイベントをいくつか思い
出してしまったからなのですが、・・・実は私は彼の葬儀にとても行けな
かったのです。
息子は通夜にも参列し、棺の中の友の顔を見て、揺すり起こ
したら起きてきそうな気がした、と悔しげに話してくれました。
その頃私
は家で泣きじゃくり、見る影もないほど目を腫らしていたんですが・・・。
 
行けなかった理由は唯ひとつ。その数年前、彼のお母さまを同じ式場で
見送ったから。
彼女の元気な姿の最後の記憶は、保育所の親子遠足でのこと。スカーフで髪
を覆い(確か放射線治療の影響だったと記憶しています)、喉の気管切開の
痕を少し見せてくれました。
できる時に何でもしておきたい、と言っていた彼女の面影を、今でははっき
りとは想いだせない私なのですが、穏やかな中にも強さと深い愛情でくるん
だ消えてゆく悲しみを、そしてきっぱりと生きている姿を、今も想います。
あと少ししかない、と思うよりも、まだこれだけある、と考える彼女の姿勢
は、今も私のお手本です。
 私が子どもだった頃には、私自身はそういった式典や行事にあまり積極的
な気持をもてなかったのですが、そしてわが子の写真もそうたくさんは撮っ
ていないのですが(実際のところ、記録より記憶、と言う考え方も持ってい
るので)、人生の節目節目にははっきりと刻まれるような行事がある方が素
敵だ、と今は思っています。
そして、やっぱり一緒にいた記念に、写真があるともっともっと素敵だな、
とも思っているのです。
息子の部屋にある、照れくさそうな笑顔の写真の主
は、これ以上大人になることはありませんが、いつまでも息子の親友として
生き続けてくれることでしょう。一緒にいた時間を切り取ったような趣で、
これからの彼の人生の一こま一こまへのエッセンスになってくれるのではな
いでしょうか。
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花嫁は、両親にむかって手紙の朗読を始めた。あんな思い出、こんなエピ
ソード・・・そこここに彼女らしさが溢れている。披露宴会場はそれ以上に
笑いでいっぱいになった。
 「で、要は何が言いたいのかと言うと・・・お父ちゃんが大好きです!」
 
 その直前の『出し物』の影響なのか?彼女本来の持ち味なのか?音楽にお
構いなしに(そんなにスローな音楽でもなかったが)両親にドレスの裾を
蹴っ飛ばしながら歩み寄る花嫁。あっぱれ、としか私には言葉はなかった。
 今までに重ねられた二人の物語を持ち寄って、さらに素敵な物語をこれか
ら創っていく姿をこれからも見せ続けてくれることだろう。どんなアルバム
を増やしていくのだろうか。それは、息子の部屋の笑顔の主とはまた違った
形になるが、幸せな時間を共有した人たちのこれからの人生の優しい一こま
として輝き続けることだろう。
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 それぞれが織り成す物語は何ものにも変えがたいものです。
特に、周りで見
守る人々にとっては。たとえ思ったとおりでなくても、少しくらい時間がかか
ったとしても、自分らしく生きている姿は何よりも美しい、と私は思います。
それがたとえ写真のような形で残らないとしても。
 形のある記録より、心に刻む記憶を胸に抱き、この春、新しい世界へ飛び
出していく人たちに、心からの祝福をこめて。

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