●ドキュメント:6月某日〜そして、誕生〜

2007年6月某日・・・それは、ボクにとって忘れない1日となりました。
〜AM 4:30 〜
「・・・・・きて〜〜」
「・・・・起きて〜〜」
「たぶん、破水したと思うから、起きてっ!!」
「エッ!エッ!!なにぃ〜〜!!!」
ボクは明け方の夢心地から一転、慌てて飛び起きるのでした。
「私は病院に電話するから、行く準備してちょうだい。」
この困惑した事態の中で、慌てるボクに比べて、冷静に物事に対応する妻の
おかげで、非常にスムーズに病院へと向かうのでした。
その裏側では、いつくるか分からないこの日のために、日ごろから必要なも
のを1つにまとめて、用意周到に準備していたからこそ、慌てずに対処でき
たようだったのです。
〜AM 5:15 〜
明け方の道は、ほとんど車も走っておらずスムーズに病院へと着くことがで
き、早速診察された妻は入院を言い渡されるのでした。
妻:「今から入院って言われたよ。」
その表情からは、不安とも緊張ともとれる面持ちで入院する覚悟を決めたよ
うに感じるのでした。
〜AM 5:30 〜
こちらの産婦人科は、すべて個室となっており、ボクと妻の二人は誰かの目
や気を遣うこともなく入院し、個室の部屋とベッドを与えられたのです。
そして、妻は早速ベッドに横になり自身の身体をいたわりつつあったのですが、
破水とともに陣痛を伴っており、その陣痛の間隔もこの段階で、5分間隔となっていたのです。
妻:「うぅう〜〜っ。」
大声をあげるでもなく、静かに陣痛の痛みを感じているように見えたのでした。
〜AM 6:55 〜
今まで、陣痛の痛さのときは顔をゆがめていたものの、比較的穏やかな表情
で、ボクと応対していたのですが、この頃になると陣痛が3分おきになり、
非常に辛そうな表情になることが増えてきたのです。
妻:「もぅ、痛みが3分おきになってきたから、ナースコールするわ。」
ここで、ナースコール。
3分おきに陣痛がきていることを看護士さんに伝えたものの、あまり深刻に
は思われていない感じがした。「ゆっくりと下の階(分娩室)に来てね」と
のことを言われ、僕たち二人は、ゆっくりと壁を這うようにして分娩室へと
向かったのです。
〜AM 7:00 〜
分娩室に入ると、ヒーリングミュージックがかかっており、部屋も薄暗くさ
れていた。ここで、助産師さんの診察をうけると、すでに子宮口が7分開い
ているとのことを伝えられたのです。
頻繁に顔を歪める妻は、本当に辛そうでなのです。
しかし、子宮口が7分開いていると言われても、果たして、それが良いこと
なのか、悪いことなのか、早く先生を呼ぶべきなのか、呼ばないべきなのか
・・・、ボクにはさっぱり分からないのです。
陣痛がくると、悲鳴とも叫びともなんとも言えない声でもがくのである。
「旦那さんは腰を押してあげてください。」
と、助産師さんに言われ、腰を押すものの陣痛による激痛は相当なもののよ
うで、自分の無力感を、ただただ感じるのでした。
「後、何分で終わるの?」
と、泣きそうになりながら助産師さんに聞くも・・・
「そうね〜、まだまだよ。でも、初産にしてはいい感じよ。」
などなど、まだまだ悲痛の叫びは続くのである。
〜AM 9:40 〜
この時点の診察で子宮口が全開になったことを伝えられる。
「では・・・」
と、本格的なお産の準備が始まるのである。
「いきんでいいからね。」と助産師さん。
「フン・・・フ〜〜ン!!」といきむ妻。
「ハー、ハー、フ〜っ。。。」と一息つく妻。
このくり返しを幾度となく繰り返すのである。
そして、妻は本気で泣くものの、もう戻れないのである。
まるで、遊園地のフリーフォールやジェストコースターに乗ったはいいが、
もう、終わるまで戻れない・・・なんか、ボクにはそんな感じがしたのです。
それくらい不安と恐怖感は絶頂を迎えるのである。。
〜AM 10:30 〜
「お母さん、もぅちょっとよ!深く息を吸って!!」
激痛に顔を歪めながらも、助産師さんの言うとおりに深く息を吸う妻。
「トゥ・トゥ・トゥ・トゥ・・・」お腹の中の子供の心拍数を図る機械の音
と、「ハァ、ハァ、ハァ〜〜」と大きく息を吸う妻。
「お母さんの空気を赤ちゃんが吸うからね。しっかり息を吸ってね。ほら、
頑張って!上手よ、上手いわよ。頑張って!!」
「あぁ〜〜〜っ!!はぁ、はぁ、はぁ・・・」
「トゥっ、トゥっ、トゥっ、トゥ、トゥ、ト、ト・・・」
妻の激しい呼吸と、力強く生まれてこようとする子供の心拍数が合い重なり
ます。
さらに、
「頑張って!もぅちょっとよ!頭が出てきたよ!!赤ちゃんも頑張ってるよ!」
と助産師さんの励ましてくれる声・・・。
妻の力強い叫びと、生まれてこようとする赤ちゃんの強い心拍数の音を聞き、
さらに、助産師さんの励ましの声を聞いていると、本当に熱いものがこみ上
げずにはいられなくなりました。
「頑張れ!頑張って!もうちょっと、もうちょっと・・・」
ボク自身も、妻の手をとり、なにも出来ないながらも励ましました。
〜AM 10:50 〜
「ほ〜ら、さぁ出てきたよ〜(^^)」
途中から、院長先生も加わり、ずっと付き添ってくれた助産師さんとともに、
わが子を取上げてくれました。
一(ひと)呼吸おいたくらいでしょうか。
「ォギャ〜、オギャ〜、オギャ〜!!!」
と、初めは小さく遠慮したように、それから元気よく自分の存在を僕たち夫
婦にアピールするかのように、産声をあげてくれました。
僕たち夫婦が、今にも崩れ落ちそうなその身体を、不器用ながら、怖々しな
がらも抱きしめたとき、本当によかったぁと、この子が僕たち夫婦の間に誕
生してくれたことに感謝せずにはいられませんでした。
妻はいつも、お腹の子に、
「3000gを過ぎたら出てきてね。そして、パパがいるときに出てきてね。」
と、まだ見ぬ我が子に話しかけてきたそうです。
その声は、まるでお腹の子が本当に聞いていたかのように、3062g!
ちょうど、ボクの仕事がお休みのときに誕生してくれました。
破水から出産まで、わずか6時間20分の素晴らしい出産のドラマでした。

フト・・・周りを見回してみると、人の数だけ出産の数があることに気付きます。
あなたが愛すべきパートナーも、苦手な人も、みんなみんな・・・長時間の
陣痛に苦しむママと、それに付き添うなにもできないと無価値感になるパパ
のドラマがそこにあることに気付きます。
そして、助産師さん達の数え切れないほどのエールを受けて、無事に出産さ
れるのです。
もちろん、自分自身もそうして生まれてきたんだと思うのです。
先日、子供を見せに実家に帰りました。
こっそりと、自分の生まれたときのアルバムを開いてみました。
そして、思うのです。
ボクは、今、自分の子供を思うように、両親にも同じ気持ちで見てもらって
いたんだなって。ボクが自分の子供を見るのと同じ眼差しを、両親がくれて
いたんだなって気付くのです。
我が子は、おしめが気持ち悪ければ泣き、おっぱいが欲しければ泣き、不快
な気持ちになれば泣きます。
最近は、手足をバタバタさせて全身で怒りをあ
らわにします。
シラーっとした顔をして、おしっこもウンコもしてくれます。
先日などは、なかなか寝付いてくれないわが子を、意識が朦朧とした中で抱
っこしていると、ボクの意識が途切れそうになりました(^_^;)
もぅ、自分のコントロールは利きません。想定外だらけなんです。
ほとんど寝てません。かなり過酷です。
本当にサバイバルだなって思います
(^^)
でも、こうして我が夫婦はパパとママになり、幼子は元気に育っていくんだ
と感じるのです。
ボクが、こうして幼子から大人になっていくように。。。
そして、いまだからこそ、両親がボクにしてくれなかったことやできなかっ
たことを理解することができるのです。
さらに、許すことができたのです。
たまには、小さいときのアルバムを開いてみませんか??
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