母と私と罪悪感

心理学を学び始めて10年以上の月日が経ちました。

漠然とした生きづらさや慢性的な倦怠感から、このままでは私の心が壊れてしまうと脳裏に沸き上がる思いをひしひしと感じ、藁にもすがる思いで心理学の世界へ突入しました。

心理学の学びはとても楽しくて飽きる事なく10年の月日が流れていきました。

自分の心と向き合い七転八倒しながらでも、心が楽になり楽しい気分が増えていく事は私の人生を豊かにしてくれます。

今まで苦手だなと思う人との関係も、自分の苦手で嫌悪している事を受け入れていく事で、苦手に思う人がどんどん減っていき日々楽しい時間を過ごす事が増えていきました。

天然な自分・そそっかしい自分・ネガテイブな自分、沢山の自分を受け入れて行く作業はとても辛いのですが、受け入れた先にある心が楽になっている自分と出会う事がとても楽しいのです。

つい最近、母を愛していなかった自分と出会いました。
それは母に対する罪悪感です。

母が亡くなって6年以上の月日が経ちました。

最近父の体調が優れず入退院を繰り返しています。

母が亡くなった今、同じ敷地内に住んでいる私が主に父のサポートをしています。

父のサポートをしている時、否応なしに母がガンになり入退院を繰り返す中、母のお見舞いに殆ど行く事が出来ずにいた自分と心の中で出会います。

私の遅れてきた反抗期で母に対する嫌悪感から、母にお見舞いにいけない自分がいるとずっと思っていました。

母に対する嫌悪感は私の罪悪感を隠れ蓑としていただけで、凄く弱っていく母を見たくなくて、お見舞いに行けずにいた事に気がつきました(笑)

幼い頃から私は愚痴と文句が多い不平不満ばかり言う母を、思っている事と言っている事が全く違う母を、兎にも角にも嫌いだったのです。

表向きは「ようこそ我が家へ」なんて愛想よいくせに、お客さんが帰った後は「なんでこんな時間にきてほんと迷惑だ」と言っている母が心底嫌いでした。

今は母がただ不平不満を言っていただけという事を、理解できるまでに私はなりました。

人間という生き物は不完全ですから、不平不満があるのは凄く当然の事です。

私が心理学のセミナーに参加し、とある公開カウンセリングを見ていた時の事です。

公開カウンセリングでセミナーの講師の方が、「「貴方はお母さん一緒だね」という思いを抱いているかもしれませんね。」と、お話されました。

「お母さん一緒だね」という言葉が、私の心に突き刺さりました。
あれ、、、私もそう思っていたかもと思ったのです。

どいう事かと言いますと、母は家族の為にと自分の事を後回しにしてあくせく働いている、私も自分の事を後回しにしてしまうタイプ、えーーーー私、母の気持ちを真似て同じようにしていたのかも!!!!そう思うとびっくりです。

散々自分と向き合い癒しを進めてきたのに、まだこんな気持ちあったのかと思うと愕然とする自分がいました。。。

もしかして私が楽しむ事をついつい遠慮してしまう事も、母に関係があるのかなぁと内観していくと母を愛していない罪悪感と出会ったのです。

母を見捨てた思い・救えなかった思いの罪悪感です。

罪悪感は2種類あって、してしまった罪悪感としなかった罪悪感があります。
私は後者の罪悪感を心の奥底にしまい込んでいました。

罪悪感は罰せられるべきは自分と思い、自分を許せず幸せになる事や楽しむ事をしてはいけないという深層心理があります。

高校を卒業して実家を出ていく前日、母は私に「車買ってあげるから家に残らない」と打診してきました。

私は辛気臭い実家が嫌いで兎にも角にも家を出たかった思いが強く、母の打診を「嫌!!!」と一喝し家を出て行ったのです。

当時を思い出し私は涙が溢れました。

母を置き去りにする罪悪感、母を見捨てる罪悪感、今ならわかる子供と離れる寂しさ「あーーーお母ちゃんごめんなさい」

「あーお母ちゃんごめんなさい」と感じていくと、今の私なら母と楽しく過ごせるのにという後悔がどんどん押し寄せてきました。

「なんで死んじゃったの!もっと一緒に居たかったのに!私はお母ちゃんの役に立ったの?私はお母ちゃんの救いになったの?なんで答えてくれない!」とまたもや母親に詰問している自分の心と出会いました。

あいも変わらず子供でいたい自分がいるのねと、もう自分で自分を笑うしかありませんでした。

私は母が病気で弱っていく姿を受け入れられずにいた、母を救う事が出来ない自分と出会いたくなくてお見舞いにいけなかった事に気が付いたのです。

母は亡くなっているので、物理的に話をする事は二度と出来ません。

ですが、母は母の人生を生きた・母の人生を尊重しようと思うと私の心は少しずつ落ちついていきました。

母が今の私を空から見ているとしたなら、思いっきり人生を楽しんでいて欲しいと思っているそう思えるようになっていきました。

それは私が母親という立場で考えた時に、子供に対してそう思う気持ちがあると痛いほどわかるからです。

母が病気で入退院を繰り返したのち亡くなった時、悲しかったと同時に苦しみから解放されたように感じる母がいて少しほっとしている自分がいたように思います。

母の苦しんでいる姿を見なくてすむ自分の心の奥底には、母に何も出来ない罪悪感を感じている自分ともう会わずにすむから、ほっとしているのかもと今ならわかります。

罪悪感は誰も幸せにする事がない感情と言われています。

残念な事ではありますが、罪悪感はなくなる事がない感情でもあります。

ですが罪悪感にハマらないようにする事は出来ます。

何故なら人間は自分で感情の選択を出来る生き物だからです。

貴方が幸せで楽しい時・人生を過ごせるヒントになりましたら幸いです。

貴方の心が少しでも楽になりますように!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛、人間関係全般のカウンセリングを得意とし、安心感と受容をクライアントに常に提供し、何でも話せると好評。より楽に心が軽くなるカウンセリング。感受性が高くクライアント本来の輝きを導き出すことも得意。カウンセリング信条は「諦めなければ願いは必ず叶う」である。