寂しさについて

相談者名
ユーリ
こんばんわ、ユーリです。
よろしくお願いします。私の苦しみは、愛されているのが解っているのに何故淋しいのか…という事です。
夫もいて、子供もいて、両親も健在で、なのになぜ、こんなに淋しいのでしょう。

電話でカウンセリングも受けました。
イメージで過去の自分と対話しました。それは小さい頃の自分でした。
彼女は、話してくれませんでした。笑ってくれましたが、笑ってあげた方が
この人は楽になるだろう、と考えて笑ってくれたのが解りました。
『私は、あなただからあなたの気持ちが、本当によく解るよ』そう言いました。
でも、彼女の心には届いていません。黙って言う事を聞いていれば、そのうち
終わるだろう…と思っているのです。
「あなたに、私のナニが解るのだ」・・・そう言って怒鳴ってくれた方が
マシでした。
では、自分がどうされたら素直になれたのか?と考えてみましたが・・・
同じでした。私も、頭の中で「早く終わらないかなぁ」と考えてしまうでしょう。
幼い頃の私と、一緒に遊んでも気休めにしかならないのです。
彼女の心を本当にほどく事ができるのは、彼女の両親の笑顔だけなのです。

ずっと、両親の不仲に傷ついてきました。
母に。父に。それぞれに、とても愛されてるのは感じます。でも、私が欲しかったのは
仲の良い両親。暖かい家庭です。
夫は、とても強い人です。自分の弱さを見せる事を、恐れません。
愛されているのも、とてもつよく感じます。
なのに、私はどこかでまだ信じきれないのです。
まだ、怖がっているのです。

いい年をした大人なのに、夫の愛も、親の愛も、解っているのに。
こんなに愛されている、と思えるのに。
何故、いつまでも淋しいのでしょう。

心を開いてくれない自分と向き合うのは、どうしたらいいのでしょうか。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、ユーリさん。
はじめまして、源河といいます。> 私の苦しみは、愛されているのが解っているのに何故淋しいのか…という事です。
> 夫もいて、子供もいて、両親も健在で、なのになぜ、こんなに淋しいのでしょう。

わけもないのに、淋しく感じてしまう・・・
これは、ユーリさんの心の奥底から「ねえ、出ようよ」というサインが送られて来ているからなのかもしれません。

> イメージで過去の自分と対話しました。それは小さい頃の自分でした。
> 彼女は、話してくれませんでした。笑ってくれましたが、笑ってあげた方が
> この人は楽になるだろう、と考えて笑ってくれたのが解りました。

どうして、それが解かったのかは、もうお気づきのようですね。
ユーリさんは、人に対してずっとそうしてきたんですよね。

> 『私は、あなただからあなたの気持ちが、本当によく解るよ』そう言いました。
> でも、彼女の心には届いていません。黙って言う事を聞いていれば、そのうち
> 終わるだろう…と思っているのです。
> 「あなたに、私のナニが解るのだ」・・・そう言って怒鳴ってくれた方が
> マシでした。

私たちは、本当に心から淋しいと感じている時には、
なかなか、その気持ちを素直に表現できませんよね。
もしも、そのことを言葉にしたとしても、それがただ”言う”だけなら、
その思いは伝わらないものです。

「私の何が解かるのだ」
もしも、経験されてきた辛い感情を心に閉じ込めているとしたら、
どんなにやさしい言葉をかけてもらっても、こう言って頑なに相手に対して、
心を開こうとはしたくなくなるのも、私たち人間です。

> では、自分がどうされたら素直になれたのか?と考えてみましたが・・・
> 同じでした。私も、頭の中で「早く終わらないかなぁ」と考えてしまうでしょう。
> 幼い頃の私と、一緒に遊んでも気休めにしかならないのです。
> 彼女の心を本当にほどく事ができるのは、彼女の両親の笑顔だけなのです。

ということは、ご両親に対して怒っているユーリさんがいるんですね。
「笑ってないじゃない!」
「笑ってくれないと、安心してオープンになれないじゃない!!」って。

> ずっと、両親の不仲に傷ついてきました。
> 母に。父に。それぞれに、とても愛されてるのは感じます。でも、私が欲しかったのは
> 仲の良い両親。暖かい家庭です。

心が休まる場所が、幼いユーリさんにはなかったんですね。
そして、今も心のどこかで震えてじっと耐えている・・・
「ねぇ、まだ?まだなの?」
「ひとりぼっちで淋しいよぉ・・・」

心の中の、震えているこの子のために、ユーリさんは、
愛する人と家族を持つことを選んだんじゃないでしょうか?
暖かい家族のなかに、この子を迎え入れてあげるために。

> 夫は、とても強い人です。自分の弱さを見せる事を、恐れません。
> 愛されているのも、とてもつよく感じます。
> なのに、私はどこかでまだ信じきれないのです。
> まだ、怖がっているのです。

勇気が要ります。
「本当に、もう大丈夫?」
と不安げにその子が問い掛けたら、ユーリさんはなんて答えてあげるでしょう。
「大丈夫だよ、私は夫を愛しているし、子供も愛している、もちろん私自身であるあなたもよ」
と言ってあげる準備はできていますか?

> いい年をした大人なのに、夫の愛も、親の愛も、解っているのに。
> こんなに愛されている、と思えるのに。
> 何故、いつまでも淋しいのでしょう。
>
> 心を開いてくれない自分と向き合うのは、どうしたらいいのでしょうか。

”心を開いてくれない自分”
ユーリさんには、選択が迫られているようです。
だんなさまに対して、お子さんに対して、感情面でも心を開いていく事。

頭で理解していても、心はそれについてこないことが多いものです。
でも、淋しさは、心と心をつなげる接着剤の働きを持っています。
今、感じている淋しさをだんなさまとコミュニケーションしていくといいですよ。
理解しあえたと”感じられる”まで、向き合っていくこと、
これは、イメージではできないことです。

ユーリさんのご両親は、この選択ができなかったからこそ、
お互いに傷つけ合ってきたのではありませんか?
でも、ユーリさんは乗り越えていくことができますよ。

また、お返事お待ちしていますね。

相談者名
ユーリ
こんばんわ、源河さん。
ていねいなお返事、ありがとうございます。
よろしくお願いします。>>イメージで過去の自分と対話しました。それは小さい頃の自分でした。
>>彼女は、話してくれませんでした。笑ってくれましたが、笑ってあげた方が
>>この人は楽になるだろう、と考えて笑ってくれたのが解りました。
>
> どうして、それが解かったのかは、もうお気づきのようですね。
> ユーリさんは、人に対してずっとそうしてきたんですよね。

そうです。
いつからか、気が付くといつもそうして人と接してきました。

>>では、自分がどうされたら素直になれたのか?と考えてみましたが・・・
>>同じでした。私も、頭の中で「早く終わらないかなぁ」と考えてしまうでしょう。
>>幼い頃の私と、一緒に遊んでも気休めにしかならないのです。
>>彼女の心を本当にほどく事ができるのは、彼女の両親の笑顔だけなのです。
>
> ということは、ご両親に対して怒っているユーリさんがいるんですね。
> 「笑ってないじゃない!」
> 「笑ってくれないと、安心してオープンになれないじゃない!!」って。

今現在の両親に対しては、怒りを感じる事はありません。
一緒に住んでいた頃…まではそうだったかのように思います。
特に、父親に対しては「浮気」のせいで家族が捨てられた…と思っている部分が
あります。帰って来ましたが、なかなかショックは癒えません。

小学校低学年の頃、母親に家を出て行かれたことがあります。
妹の手を引いて、母親の後を付いていきました。知らない道を、トボトボと
歩いて、とても心細かったです。
母は、何度も帰りなさいと言いましたが黙って後を追いました。
途中で母は、タクシーに乗ると私達を置いて行ってしまいました。
妹の手をぎゅっと掴んで、ただ見送りました。
様子を見ていた通りかかりのオバさんに「今の、お母さん?」と聞かれました。
私は「違う、知らない人」と答えました。理由はふたつありました。
自分が、母に置いていかれるような子供ではない事。
母が、子供を置いて行くような人ではない事。
もし、母親だとバレればお母さんは「ひどい人」だと思われて可哀想だと
思いました。
でも、私は結局、父親にも、母親にも。見捨てられたのだなと思います。

今の二人は、お互いに努力をしているように見えます。
でも分かり合う努力ではなくて、我慢をする…自分を抑えるよう努力を
しているような気がします。その事が、いつも不安なのです。

過去に怒りは感じていたとしても、今とは関係ないのだと思っていましたが
時々、TVで見る両親の不仲で子供が苦しんでいる映像を見ると
自分でもおかしいくらい動揺します。最後まで見れなくて、チャンネルを変えます。
その感情は怒りで、それを思うとやはりまだ怒っているのでしょう。
傷が、開くのです。

> 心が休まる場所が、幼いユーリさんにはなかったんですね。
> そして、今も心のどこかで震えてじっと耐えている・・・
> 「ねぇ、まだ?まだなの?」
> 「ひとりぼっちで淋しいよぉ・・・」

そうです。ずっと、ずっと前から待ってるのです。
妹の手を引いて、部屋から出て両親のカンケが終わるのを・・・・。
深夜に響く二人のケンカの声に、眠れない夜が終わるのを、待っているのです。

> 心の中の、震えているこの子のために、ユーリさんは、
> 愛する人と家族を持つことを選んだんじゃないでしょうか?
> 暖かい家族のなかに、この子を迎え入れてあげるために。

そうなのでしょうか。
迎え入れてあげることは、可能なのでしょうか。
私にはまだ、1人で寒空の下、いつまでもケンカが終わるのを待ってる彼女が
見えるのです。

> 勇気が要ります。
> 「本当に、もう大丈夫?」
> と不安げにその子が問い掛けたら、ユーリさんはなんて答えてあげるでしょう。
> 「大丈夫だよ、私は夫を愛しているし、子供も愛している、もちろん私自身であるあなたもよ」
> と言ってあげる準備はできていますか?

答えてあげたい。
口で言うのは簡単ですが、彼女にはウソが一目でわかってしまうでしょう。
私はまだ、準備段階なのかもしれません。

> 頭で理解していても、心はそれについてこないことが多いものです。
> でも、淋しさは、心と心をつなげる接着剤の働きを持っています。
> 今、感じている淋しさをだんなさまとコミュニケーションしていくといいですよ。
> 理解しあえたと”感じられる”まで、向き合っていくこと、
> これは、イメージではできないことです。

夫と話をしていると、自分はコミニケーションが下手なんだなと思います。
どうしていいか解らないので、彼に「NO」と言われると極端に走りそうになる
自分に気付きます。白がダメと言われると、「じゃぁ、黒にすればいいんでしょ」
と口に出しそうになるのです。そういう事ではないと、頭では解っているのに・・・
その方法が解らないのです。

> ユーリさんのご両親は、この選択ができなかったからこそ、
> お互いに傷つけ合ってきたのではありませんか?
> でも、ユーリさんは乗り越えていくことができますよ。

乗り越えたい。
変わらないでいてくれる夫にも、応えたい。

ただ、まだ解らないのです。
彼女が行きたい場所は、両親のいる家庭。
私の居場所に迎え入れても、それで彼女が淋しさを感じなくなるのでしょうか。
不安なのは、いつか過ぎていくのでしょうか。

心のこもった、暖かい返事をありがとうございました。
源河さんに聞いてもらいたいと願っていたので、とても嬉しく思います。
勇気を掴む為に、夫と自分の心に向き合っていきたいと思います。

カウンセラー
源河はるみ
こんにちは、ユーリさん。
お返事ありがとうございます。> そうです。
> いつからか、気が付くといつもそうして人と接してきました。

> 特に、父親に対しては「浮気」のせいで家族が捨てられた…と思っている部分が
> あります。帰って来ましたが、なかなかショックは癒えません。

私たちは、とても傷ついた心を差し出して、
「ほら、こんなに傷ついたのよ!!」と言って、その相手を許す事をためらいます。
それは、どうしてそんなに傷ついたのかを、自分ではなく、
相手に認めてもらいたいからです。
でも、そうすればするほど、傷は深まる一方なんです。

それは、ちょうど交通事故の加害者に、
「私は、あなたのせいで怪我をした。だから、お医者ではなく、あなたに治してもらう」
「そうでなければ、気がおさまらない」
と言っているようなものだからです。
これでは、一向にその傷は癒えませんよね。

そして、その気持ちが強ければ強いほど、他の誰にも自分を愛させようとはしたくなくなります。
人に対して、笑顔をつくって見せてきたのは、「愛されないように」自分を守るためだったんですね。

> 自分が、母に置いていかれるような子供ではない事。
> 母が、子供を置いて行くような人ではない事。

お母さんを信じたかったんですね。

> もし、母親だとバレればお母さんは「ひどい人」だと思われて可哀想だと
> 思いました。
> でも、私は結局、父親にも、母親にも。見捨てられたのだなと思います。

「ひどい人」だと思ったのは、誰だったんでしょう。
信じたい気持ちと、その信じたい人を「ひどい人」だと感じる気持ちが、
ケンカをしていますよね。
葛藤です。

でも、どうして”信じたかった”んでしょうか?
それは、ユーリさんがお父さんのこともお母さんのことも、
大好きだったからじゃないですか?

でも、「ひどい人」を愛し続ける度量が自分にはない、と感じていると、
その葛藤は、恐れをつくり出すばかりです。
淋しさも、そこからきています。
こうして、自分の中にあった、両親を愛する気持ちを、その傷ついた心をもって、
拒否しつづけること・・・
「私を見捨てたのに、どうして私が愛さなきゃならないの?」
という怒りに変わりますね。

> 今の二人は、お互いに努力をしているように見えます。
> でも分かり合う努力ではなくて、我慢をする…自分を抑えるよう努力を
> しているような気がします。その事が、いつも不安なのです。

ユーリさんも、ふたりを愛することを我慢していませんか?
そして、そのことが不安を掻き立てるんです。
「私が愛さなかったせいで、壊れてしまったら・・・」と。

> 傷が、開くのです。

ずっと心の奥にしまってきた傷は、
いったん開かなければ、その腫瘍を取り除く事はできませんよね。
でも、それは閉じてきたハートがオープンになろうとしているだけなんです。

> 深夜に響く二人のケンカの声に、眠れない夜が終わるのを、待っているのです。

> 迎え入れてあげることは、可能なのでしょうか。
> 私にはまだ、1人で寒空の下、いつまでもケンカが終わるのを待ってる彼女が
> 見えるのです。

その彼女を、ユーリさんは見捨てたりはしないはずです。
どうして、待っているのか、ユーリさんにはわかりますよね。
信じたい、好きだから、信じたい、
そんな彼女の気持ちは、ユーリさんに受け入れてもらう価値はありませんか?

> 答えてあげたい。
> 口で言うのは簡単ですが、彼女にはウソが一目でわかってしまうでしょう。
> 私はまだ、準備段階なのかもしれません。

これは、その傷ついた少女から、大人の自分になることへの、恐れです。
だって、もしも母親をひどい人だと思っていたとしたら、
自分が母親になっていることを認めることが、自分がひどい人になるような気がしてしまうんです。
そして、抵抗してしまう・・・
でも、ユーリさんがお子さんに対して持つ愛情は、ウソではありませんよね。
自分と同じ目には絶対遭わせたくない、と思っているはずです。

自分がかつて持っていた、「信じたい」という気持ちに応えてあげるのは、
ユーリさんが自信を持つことで、癒されていきます。
でも、愛さなければ、そこに自信を持つことはできません。
待っているかぎり、その子も待ち続けることになるんです。

> 夫と話をしていると、自分はコミニケーションが下手なんだなと思います。
> どうしていいか解らないので、彼に「NO」と言われると極端に走りそうになる
> 自分に気付きます。白がダメと言われると、「じゃぁ、黒にすればいいんでしょ」
> と口に出しそうになるのです。そういう事ではないと、頭では解っているのに・・・
> その方法が解らないのです。

怒りがあって、自分を愛させないように守っているときには、
こういう態度で接してしまうものです。
そして、自分や両親を愛していないことへの罪の意識が、
だんなさまに自分を愛させない理由に使われています。
それは、「この人もそのうち私を見捨てるんじゃないか・・・」という不信感にもつながります。

だんなさまを信じてあげましょう。
信頼があれば、たとえ怒りをあらわにしたとしても、そこからコミュニケーションが始まるんです。
そんなときこそ、チャンスだとも言えます。

> 乗り越えたい。
> 変わらないでいてくれる夫にも、応えたい。

乗り越えましょう。
だんなさまに応えること、それはユーリさんが幸せを実感するだけでいいんです。
それ以上も、それ以下もありません。

> 私の居場所に迎え入れても、それで彼女が淋しさを感じなくなるのでしょうか。
> 不安なのは、いつか過ぎていくのでしょうか。

不安は、実は心から消えてなくなる、ということはありません。
心の中には、子供の部分、大人の部分、両方あることは確かです。
でも、それでも、同じ自分のひとつの心には変わりはありませんよね。
彼女の居場所は、ユーリさんの心の中でしかありえないんです。
その淋しさを、自分のものとして、誰かに満たされるべきものだ、
という見方を変えていきましょう。
私たちは、自分の心しか、変えていくことはできないんです。

> 勇気を掴む為に、夫と自分の心に向き合っていきたいと思います。

自分の心の内に目を向けることは大切なことです。
でも、それよりももっと大事なのは、だんなさまに目を向けることなんですね。
だんなさまに向き合うことで、ユーリさんの淋しさは、彼がなんとかしてくれます。
自分でなんとかしようとはしなでください。
ゆだねてみましょう。

こちらこそ、しっかりと自分の心に向き合ってくださるユーリさんの意欲に、
勇気をいただきました。
これからも応援していますね。
ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

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