●秋の日の風景〜車窓の向こう側〜

 路線バスに乗りました。
久しぶりに乗ったのですが、良く使っていたの
とは少しだけルートが違い、大学病院の前を通ります。
そう言ったことも
あってなのか、ノンステップバス、という、床の低いバスでした。
 神戸の市バスは、左右に1列または2列のシートが前を向いて並んでい
るのが多いのですが、このバスは少し変わっていて、同じように前を向い
て並んでいる席と、電車のようにバスの窓を背に一列に並んでいる席、そ
して車椅子の固定場所があって、一つの席は進行方向と反対向き。更に一
つの区画はJRの新快速なんかのように向き合って4人座りの座席。私は、
実は進行方向と反対の席はあまり好きではないのですが、この日は何だか
楽しい気分で敢えてその席を選びました。
 床も低いし私から見れば後ろ向きに走るわけで、当然見える景色はいつ
もと異なりますね。あの、夏の元気だった並木も少し色が褪せ、でも紅葉
や落葉にはまだ程遠い・・・その隙間から高く真っ青な空が見える。通り
なれている道が違った場所、あるいはちょっと異国のような感じさえしま
した。そう、相乗りの辻馬車かなんかから見えたのはこんな風景かな、な
んて思いながら乗ってました。
 そういった路線のせいか、運転手さんがいつになく声をよくかけていま
した。この頃は、あれはなんていうのでしょうか、マイクをかけて手を離
さずに声をかけられるのですが、ちょっとした「気をつけてくださいね」
とか、本来は後ろから乗るのですが、お年寄りがやっとバス停にたどり着
いたのを見ては「前をあけたげるからこっちから乗りね」と声をかける運
転手さん、それに「ありがとう」と答えるおばあさん、それを見て席を譲
ろうと思った時、私の前の席の方がすっと立ち上がり、「私は次でおりま
すから」と本当にさりげなく席を変わる。今日のお天気を更にすがすがし
く感じるものになりました。
 この路線は私が子供の頃から使っている線で、多少通っているところが
変わる事はあるものの、ずっと続いている線で、須磨区の東の商店街付近
から神戸の真ん中辺りである神戸駅までを、約30分で走るコースと聞い
ています。
走るのは、「市道山麓線」と呼ばれる道で、文字通り、神戸の
町中の山に添って流れる道路なのですが、ひときわ高い場所も有り、建物
の隙間から海までが臨めます。
時間によれば、ポートタワーを含む夜景を
見ることもできるのです。
 普段車を使うことが多い私は、運転しているわけだからもちろん脇見も
できないし、目線も低いので感じることは少ないのですが、神戸と言う町
の立地を感じる場所でもあります。
東西に長く、南北が短い・・・つまり
北に山を、南に海を控えているわけですから・・・、そして高低差がある
ということを、私の乗るバス停からすぐのカーブで乗るたびに感じるので
す。そしてその一つ下を走る道辺りは、かつての私の遊び場所だったとこ
ろです。
子供の頃、私の基地だった場所には大きな団地が立ち、目印だっ
た祠のある大きなおうちは病院になっています。
踏み切りのそばにあった
汚くて臭い池はもう姿かたちもなく、整地されていて・・・あそこにいたザリ
ガニたちはどうなったんだろう・・・。
 そう、坂道があり、小さな路地が多く、震災後変わっていった眺めの向
こうに、子供の頃見ていた風景を思ったりすることも。ここそこにお地蔵
さんがいてはって、お花が添えられたり涎(よだれ)かけが変えられたり、
夏の終わりにはたくさんのちょうちんがかけられ、近所の子供たちがお地
蔵さんにおまいりに来てお線香をあげるとお菓子をもらえて・・・ふだん
は小さなささやかな祠も、このときは主役なんですね。小さくして亡くな
った子供さんのために作った、というお地蔵さんも少なくなくて、友達が
遊びに来てくれて嬉しい、そんな思いなんだと思うんです。
 バス道の一本下の道、今、友人が住んでいる辺りの近くに、小学生のこ
ろ仲良しだったお友達がいることを思い出していました。
 そのお友達・・・よしえちゃんというのですが・・・よしえちゃんのお
うちには小さな祠があって、カワイイお地蔵さんが収まっていました。

く遊びにいってましたが、まずはお地蔵さんにご挨拶。なぜなら、このお
地蔵さんはよしえちゃんの弟さんだからなのです。
よしえちゃんは幼稚園
のころから美人さんで、幼稚園から遠かったことと、お母さんの体が弱く
って歩いて帰ることができなくて、時には遠いとは言え歩けないことはな
いと子供の私にも思われた距離を、タクシーで帰ることもありました。

となってはあまり覚えていないのですが、きれいな声で歌を歌うよしえち
ゃん、そしてハスキーな声で美人のお母さん、何だかとても好きで、いつ
も行っていた気がします。
そしてよしえちゃんのお家に行ってはお地蔵さ
んにまずご挨拶。うちの母とはまったく違うタイプのよしえちゃんのお母
さんと話すのが好きで良く行っていましたが、学年が進み、クラスも変わ
り、会うことも減りました。
中学校は別々になり、風の噂によしえちゃん
のお母さんが病気で亡くなったと知ったのは、腹違いの弟か妹をベビーカ
ーで連れている彼女を見かけどうしても声をかけられなかった想い出と共
に、本当に忘れていました。
 バス停の近くにも、仲良しだったお友達がいました。
このひろみちゃん
は、運動神経が抜群で、小学生の頃から何キロも泳げました。
お父さんが
水泳がとても上手で、そのトレーニングの結果なのですが、惚れ惚れする
ようなきれいなフォームで泳ぐんです。
ひろみちゃんのおうちにはお母さ
んがいなくて、お父さんとひろみちゃんの二人暮らしでした。
でも週末に
はよくおうちに呼んでもらって、「もう食べられへん!!」と言うくらい
たくさんのお好み焼きを作ってもらったり、足の悪い私に水泳を教えてく
れたり、登山に誘ってくれたり、本当にかわいがってもらったなぁ。ひろ
みちゃんのお母さんも病気で亡くなっていたのですが、どれだけきれいで
優しいか、そして大事にしてくれるお父さんとひろみちゃんのためにお母
さんが頑張っていた話など、たくさん聞く機会をもらっていました。
 よしえちゃんもひろみちゃんも大好きな友達で、タイプは違うけど、歌
や水泳や私にはないものをたくさん持っていて、でも、うらやましいとか
そんな気持ちより純粋に「すごいなぁ」「かっこいいなあ」と思っていた
な、って今も思うのです。
どうしてるんだろう?結婚しているだろうな。
子供はいるだろうか?私みたいに離婚したりはしてはいないよね(笑)、
なんてちょっと心の中で対話してみたり。
 今年に入って小学校時代の、それも8歳の頃の友人と再会し、会う機会
が増えて本当に嬉しいのですが、三つ子の魂百までって言うけれど(彼女と
は八つ子の魂、なんていってみたりするが)、本当に今も波長が合って…
子供の心って本当に素直だったなあ、と思うのです。
損得なしのお友達で
すから。失くしたくないと願っていたものの一つなんですね。彼女にはい
つか逢いたい、って実は長い間考えていました。
今年の1月、本当に偶然
に再会し、これは奇跡や!と思いました。
彼女は今もそうですか、かわい
くて頭が良くて、良く伸びる歌声に憧れていました。
本当に素敵な声。互
いに成長と共に変わっていったこともあるし、成長と共に愛しいものであ
ったり・・・。子供の頃のことって案外覚えているんですよね。大人から
見るとそうでない気もしたりするのだけど、子供時代の記憶って、儚かっ
たりどこまでが現実なのかと言うこともあるのだけど、ちょっとした光景
や情景や・・・いろんな機会が昔の本当に純粋だった自分にも逢わせてくれて
いる。
 いつの間に、忘れていたんだろう。自分が子供だったと言うこと。いや、
忘れていたわけではないんだけど。純粋に誰かのことが好きで一緒にいた
くて、そのことが楽しくて、どの友達のおうちの事情も知っていたり知ら
なかったり、感じていたり、でもそんなことはどうでも良くて。ただその
お友達や家族がいて、私もいて、私の家族もいて・・・みんな家庭の環境
もその後の進路も人生も全然違うのが当たり前。なのにいつからか社会の
波にみんな少しずつ飲まれていって・・・。
 今もバスから見える風景の中に、私やよしえちゃんやひろみちゃんや、
再会したくみちゃんや、皆の家族に、私の家族に、いる気がします。
私の
目に今写る景色は違うけど、その向こうに想い出と、他のものに変えがた
い何かを持って皆がいてくれる。そんな気がしました。

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