女性を楽しんで生きる

子供の頃、学期末毎に返ってくる通信簿の「担任の先生からのコメント欄」に、高確率でこんなことが書かれていました。

「情緒が常に安定している。」

当時の私はそれを見て、へぇ、先生から見たらそんな風に見えているのか、と思ったのと同時に、そう見えるように振舞っているから当然だし、そう見えているなら成功しているな、とも思っていました。

なんだか小学生とは思えないような、大人びた一面を持っている子供だったなぁ、と我ながら思うのですが、情緒が安定して見えるように振舞っていたのは、感情的になってしまうことに対して、強い嫌悪感があったからなのです。

我が家には、感情の起伏が激しい母親がいました。

母の機嫌が良い時は、私が何かやっていようがお構いなしに話しかけてくるくせに、機嫌が悪くなると、私が話しかけても「うるさい。黙って!」と強めに制止されたり、話しかけるなオーラを放って近づけない雰囲気を醸し出したり、無視されたりすることもありました。

母の機嫌が良くなるのか悪くなるのか、というのは、きっかけも理由も分からなかったですし、いくら気を遣っても、話を聴いてあげても、昨日はうまくいったけど今日は失敗だった、ということも多々あったので、こんな風に振舞ったら正解、というものがなかったんですね。

たぶん子供ながらにものすごく頑張ったんだと思います。

でも、報われないことに疲れた私は、
「母親だと思うからガッカリするんだ。この人は子供なんだ。頭にきても、はいはい、ごめんなさい、って言っておけば良いんだ。」
と心に決めたのを、割とハッキリ覚えています。
私が9才の時の出来事です。

それ以来、感情的になることを禁止し、自由に感情を表現する人を見ると、気分が悪くなるようになりました。

特に、女性に対してそのような嫌悪感を感じるようになったのですが、その理由は、

自由に感情表現する母が自分勝手に見えて嫌い
その要素を自分にも強く禁止している
母親を嫌っている自分のことも責めている(罪悪感)
自由に感情表現出来る女性を羨ましくも感じている(嫉妬)

これらが入り混じって、外の世界にそれらを映し出して気分が悪くなる、ということになっていたんだろうな、と思います。

私は中学生になった頃、当時アイドル全盛時代で人気だった、松田聖子ちゃん(あえてちゃん付で呼びますが)が大好きだったんですね。
ある日歌番組に登場した聖子ちゃんを初めて見た時、「なんて可愛い子が出てきたんだろう!」と、衝撃を受けました。
華奢で、歌声も振り付けも可愛くて、すぐに魅了されていったのですが、学校では、「松田聖子?特に興味ないかな。むしろ、かわいこぶりっ子だから嫌い。」と、大好きなのに嫌いなフリをしていました。

自分が禁止している要素を全て持っている彼女。
私とは正反対の魅力(華奢、女の子らしい可愛らしさ、可憐さ、儚い感じ、無邪気さ)を持っていて自分にはない。
憧れと同時に嫉妬や劣等感もあったので、素直に大好き!とは言えませんでした。

そして長い間、自由に感情表現をしたい、という欲求は封印されたまま、時は流れていきました。

その約25年後、自身の離婚問題に直面した時、
「女性が自由に感情表現をする」という部分は、男性からするととても魅力的な要素なんだよ、
それを表現するだけで、愛されやすくなるんだよ、
ということを心理学を学ぶ中で知ることになったのですが、長年禁止してきた事項だったので、最初は取り戻すのに恥ずかしいやら怖いやら、大変な葛藤がありました。

しかし、禁止していただけで、元々私の中にはしっかりその要素はあったんですね。

なぜなら、自分が持っていないものは、魅力も感じなければ羨ましいとか嫉妬する、という感情も起きないからなんです。

そして、怖いながらも少しずつ感情表現するようになっていくと、意外と良い反応が返ってくるし、一緒にいると楽しいね、安心するね、と言ってもらえたりするようになりました。

そんな体験を重ねながら、迷惑をかけるのではないか、不快にさせるのではないか、という思い込みも、徐々に減っていきました。

たぶん、感情をうまく表現出来なかった以前の私は、「何を考えているのか分からない、愛しづらい人」だったのだと思います。
私が愛しづらい人だったがために、自ら人を遠ざけていたのかな、とも思います。

慢性的な孤独感も感じていた理由は、そんなところにもあったのかもしれません。

自分が、人から愛しやすい存在になっていくうちに、自然と人が近づいてきてくれるようになり、私からも、人に近づくことに抵抗がなくなっていきましたし、必要ない人は自然と離れていくし、必要な人とは繋がっていけるんだろうな、という、根拠のない信頼のようなものも感じられるようになっていきました。

そして50年生きてきた現在。

13才の娘は、むちゃくちゃ自由で感情表現豊かな姿を、毎日見せてきます。
それを見ても、気分が悪くなることはありません。
むしろ、一緒になってメイクやオシャレな情報を共有(ほとんど娘に教わっている)したり、動画を見たりゲームをしたりして楽しんでいる私がいます。

中学生の時に無理やり嫌いになろうと封印した、好きなものを好きだ、と素直に表現することを、今の私は娘を通して出来るようになっているんだな、と感じます。

私の母はすでに亡くなっているのですが、先日娘に、
「おばあちゃんも、感情表現が豊かな人だったのよ。」と話したら、
「そうなんだ。おばあちゃんが生きていたら、色んな話をしたかったなぁ」と言っていました。

母は子供とゲームをしたりして遊ぶような人ではなかったです。
そんな心の余裕がなかったのかもしれませんし、母も、感情のコントロールがきかない自分を持て余し、嫌っていたのかもしれません。

母娘では上手く出来なかったことも、孫とは自由に素直に、女同士おしゃれを楽しんだり遊んだり出来たのかもしれないな、と思ったりもします。
母が出来なかった分まで、感情表現豊かに、女性を楽しんで生きていきいたい。娘を見ていて更に、そう願う私がいるのです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

櫻井 朱実

『日常でも使える具体的なアドバイス』を提供し、お客様が気付いていない才能・魅力に光を当て、 自らが輝いていけるような、パワフルな”応援力”を備えている。 圧倒的な受容する力を持ち、心理面からの分析・アプローチと、直観力を使ったバランスが良いカウンセリングスタイルが好評。