自分が犠牲者でいい

相談者名
さくらんぼ
こんにちは。いつも、楽しく拝見しています。

私は小学生の時に、よく先生が、『これは誰がやったの?』など、犯人探しをしたりするときに、自分がやっていなくても、教室の雰囲気が嫌な空気になると、それがたえられなくて、自分がやっていなくても、手を上げてしまおうとする気持ちになっていました。

結局は勇気もなく、上げられないのですが、あの、犯人探しの雰囲気がとても嫌いでした。

それは、今でも続いていて、学校の役員決めの時も誰もやる人がいないと、やりたくなくても、手を上げてしまおうと思ってしまいます。

この気持ちはどこから来ますか?
教えて下さい。お願いします。

カウンセラー
近藤あきとし
さくらんぼさん はじめまして。
私はカウンセラーの近藤あきとしといいます。
どうぞよろしくお願いいたします。

本当はそんなことしたくないけど、周りの空気を感じて、つい自分が手を挙げれば
その場が救われるんじゃないかという気持ちになってしまうのですね。

犯人探しの時には誰がやったのかということよりも、みんなが誰かを疑っている、
そんな目でお互いを見なくてはいけないことにとても心が痛んでしまうのかも
しれません。

役員決めの時にもやる人がいなくて、みんなが心の中で誰か手を挙げてくれないかと
押し付けあっているような空気がとても辛くて耐えられないのかもしれませんね。
そしてさくらんぼさん自身も嫌だけど、自分が手を挙げて(実際に挙げることは
無かったそうですが)丸く収まるのなら、そうしてしまいたい気持ちになることに
自分自身でも理由が分からなくて、どうして?と思われるのですね。

さくらんぼさんは、本当は嫌だなと思うけどけど、嫌われたくないから
何かしてしまうことって今までにありませんでしたか?

または、相手を悲しませたくない苦しめたくない、
もっと相手を笑顔にしたい喜ばせてあげたい、
相手の気持ちをたくさん考えてしまって、自分の気持ちとしてはしたくないことでも、
嫌な気持ちをグッと我慢したり、自分の欲しいモノをあきらめたりして、
自分の本当の気持ちを抑え込んで、相手の為にしてあげたことはありませんでしたか?

例えば友達とカフェで飲み物を頼もうとした時に、ホントはオレンジジュースが
飲みたかったけど、友達が「私コーヒーにする」と先に決めてしまったら
「あ、じゃあ私もコーヒー」って言ってしまうようなことです。

こういったことを心理学では「犠牲」といってます。
ご相談のタイトルにしてくれたことと同じですね。

じゃあ、どうして自分が犠牲者になっていいんだと思ってしまうのでしょうか?
理由はいくつかあると思われます。

・人に嫌われることをとても恐れている場合(好かれるコトよりも嫌われないコトを
選んでしまうなど)

・無価値観が強い場合(自分をとてもちっぽけに感じる、だから周りの役に立てない
コトを感じたくない)

・罪悪感が強い場合(過去に助けられなかった誰かがいる、それが許せなくていつも
周りに助けたい誰かを見つけてしまう)

この内のどれだとしても、心理学的にはさくらんぼさんとご両親、ご家族との
関係が深く関わっていると考ることが多いです。

私たちは子供時代に感じた「恐れ」にコントロールされて、何かを選んでしまう
ことがあります。例えばお母さんに、「悪戯したらお父さんに叩かれるわよ!」
と言われて、痛い思いをしたくないから良い子になってしまうこともあります。

すると成長するうちに、お父さんを怖いと思っていたハズだったのに、
先生に叱られない為や、友達に嫌われない為に周りに気を使ったりして、
「恐れ」から無意識のうちに周りの空気を読んだり、顔色を伺ったりして
犠牲をしていくようになったりします。

気遣いをすることは素晴らしいなコトですし、周りとの調和をとれるコトは
人間関係を築くうえではとても大切です。むしろ良いところなのですが、
それが過剰になってしまうと「犠牲」になってしまうのです。
本当の気持ちを我慢したり、感情を抑えてしまうことを自然に続けてしまう
ようになるのです。

それはつまり、自然に「恐れ」を避けるように自分の行動を選んできたということ
だと言えます。自分の欲しいモノより、みんなの望んでいるモノを感じ取って
それを差し出していく、それが「恐れ」を感じなくて済む方法だったのかもしれません。

これは一つの例ですから、他にも色々なことが考えられますので、
過去の感情を深く掘り下げていくには、カウンセリングなどでさくらんぼさんの
子供時代やこれまでの人生を信頼できる人を相手に話してみてください。

その中でヒントになることや、象徴的な出来事が見つかるかもしれないので、
そこで出てきた過去の「恐れ」、心の痛みをセラピーなどを使って解放して
いくと良いでしょう。

さくらんぼさんは誰かが痛みを感じることを、とても悲しいと感じてあげられる人
なのだと思います。みんなが平和で幸せになれたら良いのにって思える人なのだと
思いました。深い愛情を持った優しい人なんだろうなと私には感じられますよ。

ただもしも、既にさくらんぼさんがみんなの為にたくさん犠牲をしていて、
家族や友達がそのことを知ったとしたら、どんな気持ちになるでしょうか?
オレンジジュースが飲みたかったのに、気を使ってコーヒーを選んでいたことを
友達が知ったら、その友達は何となく申し訳ない気持ちになるのでは
ないでしょうか?心の底そこから「おいしい」とか、その場を「楽しい」とは
思えないですよね。

誰かで一人でも犠牲をしていると他のみんなも幸せな気持ちになれないのです。

犠牲からくる愛は、痛みを生んでしまうものなのです。

そうならない為に、これからは自分を大切にしながら相手も大切にしてあげる
ことが必要かもしれませんね。

そうは言ってもどうしたら良いの?と思われるかもしれませんが、
先ずはさくらんぼさんが過去にどんな出来事を経験したのか、
そしてどんな感情を感じていて、どんな想いを持っていたのか、
その部分と向き合っていくことが大切だと思います。

ただネガティブな感情が絡んでいると痛みも出てくるので、
なかなか思い出せないこともありますし、自分を抑えてきた歴史が
長い分だけ気づきにくいモノもあったりします。また自覚している
つもりの感情でも、ちゃんと見つめ直してみると新しい気づきや発見が
できることもあります。

自分を知る、というのは簡単なようで難しいのかもしれません。
しかし、自分の痛み苦しみを知った上で乗り越えていけたら、
今度はそれがさくらんぼさんの強みに変わっていくんですよ。

人の痛みを知り、周りの喜びと平和を願える、そして自分も周りも誰ひとり
傷つくこと無く幸せになれることを行動で示せる。そんなさくらんぼさんに
なっていけると思います。

今回はご相談ありがとうございました。

近藤あきとし

この記事を書いたカウンセラー

About Author

超自立男性との恋愛・コミュニケーションに関わるお悩み・慢性的な生きづらさの解消などを得意とする。 理論的な“心理分析”と、感覚を使った“心理セラピー”を活用する多面的なサポートが好評。 問題の裏に隠れた「真実の物語」を読み解き「自分の本質を生きる」ことを目指すカウンセリングを提供している。