相談者名 | さくらんぼ |
こんにちは。いつも、楽しく拝見しています。 私は小学生の時に、よく先生が、『これは誰がやったの?』など、犯人探しをしたりするときに、自分がやっていなくても、教室の雰囲気が嫌な空気になると、それがたえられなくて、自分がやっていなくても、手を上げてしまおうとする気持ちになっていました。 結局は勇気もなく、上げられないのですが、あの、犯人探しの雰囲気がとても嫌いでした。 それは、今でも続いていて、学校の役員決めの時も誰もやる人がいないと、やりたくなくても、手を上げてしまおうと思ってしまいます。 この気持ちはどこから来ますか? | |
カウンセラー | 近藤あきとし |
さくらんぼさん はじめまして。 私はカウンセラーの近藤あきとしといいます。 どうぞよろしくお願いいたします。 本当はそんなことしたくないけど、周りの空気を感じて、つい自分が手を挙げれば 犯人探しの時には誰がやったのかということよりも、みんなが誰かを疑っている、 役員決めの時にもやる人がいなくて、みんなが心の中で誰か手を挙げてくれないかと さくらんぼさんは、本当は嫌だなと思うけどけど、嫌われたくないから または、相手を悲しませたくない苦しめたくない、 例えば友達とカフェで飲み物を頼もうとした時に、ホントはオレンジジュースが こういったことを心理学では「犠牲」といってます。 じゃあ、どうして自分が犠牲者になっていいんだと思ってしまうのでしょうか? ・人に嫌われることをとても恐れている場合(好かれるコトよりも嫌われないコトを ・無価値観が強い場合(自分をとてもちっぽけに感じる、だから周りの役に立てない ・罪悪感が強い場合(過去に助けられなかった誰かがいる、それが許せなくていつも この内のどれだとしても、心理学的にはさくらんぼさんとご両親、ご家族との 私たちは子供時代に感じた「恐れ」にコントロールされて、何かを選んでしまう すると成長するうちに、お父さんを怖いと思っていたハズだったのに、 気遣いをすることは素晴らしいなコトですし、周りとの調和をとれるコトは それはつまり、自然に「恐れ」を避けるように自分の行動を選んできたということ これは一つの例ですから、他にも色々なことが考えられますので、 その中でヒントになることや、象徴的な出来事が見つかるかもしれないので、 さくらんぼさんは誰かが痛みを感じることを、とても悲しいと感じてあげられる人 ただもしも、既にさくらんぼさんがみんなの為にたくさん犠牲をしていて、 誰かで一人でも犠牲をしていると他のみんなも幸せな気持ちになれないのです。 犠牲からくる愛は、痛みを生んでしまうものなのです。 そうならない為に、これからは自分を大切にしながら相手も大切にしてあげる そうは言ってもどうしたら良いの?と思われるかもしれませんが、 ただネガティブな感情が絡んでいると痛みも出てくるので、 自分を知る、というのは簡単なようで難しいのかもしれません。 人の痛みを知り、周りの喜びと平和を願える、そして自分も周りも誰ひとり 今回はご相談ありがとうございました。 近藤あきとし |