親子

生まれたばかりの息子を抱いたとき、もろくて壊れそうだと感じました。
これまで出会った何者にも似ていない赤ん坊はただ弱々しく震えるばかりで、私はかたまってしまいました。
人の命をこれほど間近に感じたのは初めてでした。
祖父母が亡くなったときだって、もう少し頑丈だった気がします。
無事に育ってくれるかどうか不安でたまりませんでした。
いま1歳になった息子は毎日笑顔を見せてくれます。
ときどき実家に帰って父に会います。
月並みですが、老けたなと感じます。
子どものときから、父とはあまりいい関係を築いてきたとは言えません。
いま父を見て、不器用な人だなと思います。
摩擦も多かったことでしょう。
ときどき、父の中に自分の姿を見ることがあります。
息子も、どこかで私に似るのかもしれません。
勝手に学校や仕事を辞めてしまうかもしれないし、知らないうちに家族を作っているかもしれません。そうなったら多少苦労するだろうなとは思います。
ただ、何があっても戻れる場所を作っておこうとも思います。
まだ息子がこの世に存在する前に、もし障害を持って生まれてきたらということを考えました。
もしかすると父もまた、同じことを考えていたのかもしれません。
日々の生活は確かに子ども中心になっています。
妻との会話もほとんどが子どもがらみの話です。
人の子はこんなにも愛情を必要とするものだったのですね。
今もまた腕の中で眠ってしまった我が子が、そんなことを忘れて自立した後でも、親の方にはいつまでも記憶が残るものでしょう。
今はまだ親の指を握るのがせいいっぱいのその手のなかに、そのまた子どもを抱える日が来るのでしょうか。
誰もが、誰かの子どもです。

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