◇「インディ・ジョーンズ・最後の聖戦」より

カウンセリングの時に、時々映画の話を例えとしてお話することが多いんですけど、
特にこの映画のラストシーンをお話することが多いので、改めてご紹介したいと
思いました。
インディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)とお父さんのジョーンズ博士
(ショーン・コネリー)のやり取りも面白くて、全体的にユーモアも
満載なんですけど、“最後の3つの試練”でハリソンフォードが聖杯を
手に入れに行くシーンが印象的なんです。
ヒトラーに睨まれつつも集めた聖杯の情報を元に最後の砦に入っていくんですね。
しかも、お父さんが銃で撃たれてしまって聖杯を手に入れなきゃ、お父さんを
失ってしまう状況になります。
その砦には3つのトラップが仕掛けられていて、先に到着したナチの関係者が
何人かチャレンジしましたが、皆、首を吹っ飛ばされてます。
しかも、その情報というのが曖昧で抽象的な古文書なんです。
「悔い改めて通れ」とか「神の言葉を話せ」とか「飛び込んで勇気を示せ」とか。
(記憶が曖昧なので、正確じゃないかもしれませんが、だいたい、そんな意味です)
一つ一つのトラップをその意味を解釈しながら乗り越えていくんですが、最後に
断崖絶壁が目の前に広がり、その向こう側に聖杯の並んでいる洞窟が見えている
ところに出ます。
落ちたら当然命はありません。
でも、ジャンプしても乗り越えられそうにない崖なんですね。
古文書から書き写した絵には空中を歩いている人の姿が描かれています。
そして「飛び込んで勇気を示せ」みたいなことが書いてあるんです。
でも、どこにも橋らしきものもないんですね。
元々聖杯を伝説として信じていなかったインディ・ジョーンズには、
最後の最後で「やっぱり聖杯は伝説上のもので実在しないのではないか?」
なんて思いもよぎったことでしょうか?
だから、どうしてもなかなかその一歩が踏み出せないわけです。
もしかしたら、どこかに隠しスイッチがあるのかも?と思って探して辺りを
見まわしてみても見つからないし、そんな一文は文書の中にはありません。
そして、迷った挙句、インディージョーンズはその古文書を信じて、
その崖の上から足を大きく一歩踏み出したんです。
すると、そこには無いはずの橋があったんです。
どういうことかというと、周りの景色にうまくカモフラージュされていて、
見た目にはそこに橋がかかってるなんて分からないんです。
僕が思い切り感動したシーンです。
(出来すぎといえば、出来すぎなストーリーですけどね)
ここまで書いてしまえば、何を言わんとしたいかは分かっていただけるかと
思うのですが・・・。
自分を信じる、そう、それに尽きるわけです。
もし、インディージョーンズが自分を疑ってしまっていたとしたら、
その断崖は乗り越えられません。
そうすると目的(聖杯を手に入れること=お父さんを助けること)は達成される
ことはないでしょう。
カウンセリングをしていて、その一つ一つのプロセスには必ずそんなシーンが
やってくることが多いんですね。
勇気を振り絞って何かにチャレンジしたり、決意することが必要になったり。
相手の気持ちを受け入れたり、誰かのために痛みを手放したり、恐れを乗り
越えて誰かに与えてみたり。
そして、その大きなチャレンジが、状況を一気に好転させたり、自分の気持ちを
大きく解放してくれる効果があるんです。
でも、なかなかそんな勇気ってもてません。
自分を信頼できなかったり、あまりに恐れが強すぎたり。
でも、インディジョーンズのように、目的を達成することを本当に望んだ時に
その勇気は得られるのかもしれません。
全てを失うかもしれない、でも、そうであっても手に入れたいものがある、と
思えたときにその勇気は得られるのでしょう。
これがコミットメントなんだろう、と思います。
僕自身も以前、そんな経験をしたことがあるんですよね。
全てを失うかもしれない、それでも欲しい、そう思った時に、恥もプライドも
外聞もほとんど気にならなくなりました。
だから、その問題は乗り越えられたんだろうと思いますね。
そうした経験があったので、安定した職業を手放して、不安定だけど魅力的な
今の仕事を選んだときも、全然悩みませんでした。
時々妻から「ほんま、恥知らずやねえ」なんて言われるんですけど、
それは褒め言葉のように受け取っているんですね。
それほど手に入れたいものがある、ということ自体が素晴らしいことなのかも
しれませんが、時に問題を乗り越えるには、そんな勇気を必要とすることも
少なくないのかもしれません。
そんな時ってのは、ほんと神様に試されているような感覚すらするから
素敵です(^^;
by 根本裕幸

この記事を書いたカウンセラー

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