●お医者様への感謝

思えば私は、たくさんのお医者様や医療関係者の方々に助けていただき、暮らしてきました。
比較的丈夫なのですが、弱ってしまって、自然治癒力では治れないこともあります。
そんな時は、お医者様が頼りです。
でも、なぜか、病気やけがをお医者様が助けてくださるのは当たり前だと感じていて、深く感謝することがありませんでした。
とすると・・・もしかしたら私は、お医者様なんだから病気やけがを治して当然と思うのと同じように、親なら立派に育ててくれて当然とか、上司ならしっかりしてて当然というように、知らず知らずに身勝手な要求を持っていたのかもしれませんね。
そんな私ですが、深い感謝とともに目に焼きついているお医者様の姿があります。
それはもしかしたら、本来のお仕事かと思われる、病気やけがを治すというお仕事から外れたことへの感謝なのかもしれません。
特別な出来事が起きるまで、私は気付けなかったということなのかもしれません。
ちょうど一年位前のこと、母が背骨の手術をしました。
脊椎管狭さく症という病名でした。
背骨の中の複雑な部分を広げる繊細な手術だったのだと思います。
心配性の母が何度も担当のお医者様や決まった手術の方法を疑って、しつこく確認したり、無理な注文をしたりしていたのも知っています。
手術の時、父と私は、家族控え室で待っていましたが、なかなか手術は終わりませんでした。
予定時刻を確か1時間以上過ぎた頃、連絡が来て、廊下に出ると、手術を担当された主治医の先生が母のベッドを押して来られたのです。
おそらく、つい今しがたまで手術に従事されていたその手で、重いベッドを押してくださっているのです。
さらにその先まで私たち家族を伴って、エレベーターに向かい、ベッドを上手に載せてくださり、病室まで運んでくださったのです。
そのお医者様はベッドを物として扱わず、そこに寝ている大切な人と一緒に行くという感覚を持っていらっしゃったのだろうことが、今も伝わってきます。
病室に戻った母を看護士さんに託すと、すぐ私たち家族を説明を聞く部屋に呼んでくださり、手術内容をお話してくださいました。
当初予定していなかったけれど、母も望んでいた顕微鏡を取り入れての手術にしたので、時間がかかったことなどを、分かり易く説明してくださいました。
再び病室に戻ると、だんだん麻酔が取れてきた母に、確かな物腰で診察をされながらも、
「恐いことは何も起きてませんからね。」
とやさしい声をかけてくださっていました。
母は、手術前、ずっと不安を訴えていたのでしょう。
あんな母の態度では、お医者様を困らせるだけなのではないかと心配していた私でしたが、主治医の先生は、不安を受け止め、希望を最大限かなえてくださったのですね。
難しい手術を3時間も続けたすぐ後に、患者や家族への対応と気持ちのケアまでされている、
繊細な手術に使われたであろう手を、ベッドを運ぶのに使われ、やさしく体に触れることに使われている、
そんな姿がとても美しいと思いました。
そして、深い感謝をしています。
思えば、この時のお医者様のように、たくさんの医療関係者の方が、専門技術は当たりのことのように駆使されながらも、様々な用を当たり前のようにこなされ、人への思いやりまでを込めて診てくださっていたのかもしれないなあと、今思います。
母の手術にまつわる私の体験は、特別な出来事ではなかったのかもしれません。
そして、忙しい現場で、思いはあっても伝えることが出来ず苦しんでいる方もいらっしゃるかもしれませんね。
このコラムを書きながら、当たり前のようにしてもらってることには、なかなか気付けないものだなあと思いました。
ありがとうが、本当はこの世界にいっぱいあふれているんでしょうね。
特別な体験を書くつもりだったのに、最後には当たり前にしてもらってたことへの感謝のお話になりました。
不思議ですね。
気付かせていただき、ありがとうございました。

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