お母さん、助けて

私の子供時代というのは、とても臆病で、怖がっているというそういう子供でした。
私が物心ついたのは幼稚園の時なのですが、その最初の記憶から、私はとても臆病で、怖がっていました。
ある時、同じ幼稚園の同級生に砂を投げつけられたことがあるのですが、そんな時も、臆病な私は、文句も言えず、ただ嫌だなぁと思っていただけ、そんな子供でした。
家に帰って、自分の母に「今日、幼稚園で○○君に砂をぶつけられた。」と話すと、母は、慰めてくれるとか、抱きしめてくれるとかをする訳ではなく、「なんでやり返してこないの!」と怒鳴ってくるような母でした。
私は、そんな経験から、自分は臆病で弱い。そして、臆病で弱いと人から攻撃されると考えるようになり、弱くて臆病な自分は隠さなければいけないと思うようになりました。
そんな私もだんだんと成長し、人付き合いもうまくなっていくと、友人が出来たり彼女が出来たりするようになったりして、あんなにも臆病だった幼稚園の頃の自分は、普段は全く意識することは無くなりました。
けれども、何かのきっかけで自分が臆病になったり、怖くなったりした時は、そんな不安な気持ちを友人たちに打ち明けることも出来ず、とにかく上手に隠し、一人で何とかしようとすることがパターンとなっていました。
けれども、上手に隠せれば隠せるほど、何故かそんな時ほど孤独な気持ちでいっぱいになっていました。
私は、そもそも幼稚園の頃、物心ついたとき既に、臆病で不安な気持ちでいっぱいだったので、「自分は臆病で怖がりな人間である。」と思い込んでいます。
なので、臆病な気持ちをなんとかしようとする発想が出ないんです。
そして、そんな臆病だった自分が、友人から砂をかけられ、母にも怒鳴られたという経験から、そんなにも臆病な自分は絶対に愛されないと思い込んでいました。
ところで、私がまだカウンセラーになる前、勉強のために心理学のセミナーに参加した時の事ですが、先生が参加者の悩みにその場で答えるという公開カウンセリングを行っていた時、ある方の相談が、今の自分の状況ととても重なり、心に響き、まさに自分も同じ状況だなと思った事がありました。
そして、その時先生がその相談者に伝えたアドバイスというのは「家族に助けてと言いましょう。」というものでした。
私は、それを聞いたとき、家族に助けてと言うのなんて本当に嫌だなと思いましたが、その時の自分は人生に行き詰っている感覚もあり、思い切って、このようなメールを母に打ちました。
「お母さん、もう疲れました。
助けて。」
その時の自分は、実際に助けて欲しいことがあったわけではなく、セミナーでの話を真に受けてメールを打っただけでした。
このようにメールを打つと、すぐに実家から電話がかかってきました。
さっきのメールのことだなと思っているので、私は出たくないなと思ってその電話を無視したら、今度は母からすぐにメールが来ました。
そのメールというのは、「健太郎、すぐに連絡してきなさい。」という内容でした。
その時の私は、そこではっと気が付きました。
「さっきのメール、自殺するとでも思われてしまったかもしれないな。。。」
そこで私は、急いで母にメールを返しました。
「さっきのはなんでもありません。ちょっと疲れただけです。

そうしたら、今度は妹からメールが来ました。
「お兄ちゃん、何があったの?借金でもした?」
私は妹に対しても、「ちょっと疲れただけで、なんでもないです。
さっきのメールの事だったらすいません。」と返事をしました。
翌日になると、今度は九州に住んでいる、いとこからメールが来ました。
「健太郎君、たまには九州に遊びにきんさい。」
私はそれにも、「ありがとう、また遊びに行きます。
」と返事をしました。
そして、その日の昼に、今度は父から電話がかかってきました。
「健太郎、何があった?お父さんに話してみなさい。」
その頃には、もうなんでもないというのにもうんざりするほどでしたが、私は、その時、家族から、めいっぱい愛されているだなという感覚になっていました。
そして、今までどことなく、家族から愛されていないのじゃないか、とりわけ母から愛されていないのじゃないのかなという恐れのあった私ですが、その日を境に、自分が家族から愛されいないなんて、微塵も思わなくなりました。
私は、幼稚園の頃の経験があってから、自分の弱さや、臆病な気持ちを隠して生きてきました。
そして、母は、臆病な私を愛してくれていないと思い込んでいました。
そんな、自分は愛されていないのではないかという思いは、自分がもっと強くなったり、よくなったりしても、全く消えないどころか、よけいに孤独に感じました。
なのに、助けてという声にこたえてもらえて初めて、私は、愛されいる気持ちでいっぱいになりました。
ところで、私の母というのは、幼稚園の頃に、砂をかけられて泣いた私に、「やり返してこい!」なんて怒鳴るような母なのですが、この母がなぜこんな風なのかは、今はなんとなく理解できる気がします。
私の母の生まれは九州です。
そして、就職のために名古屋に来たそうです。
そんな母は、きっと心細くて、不安で、仕方が無かったのかもしれません。
そして、そんな心細い状態の時に、誰も頼る人がおらず、どうしようもなくて、自分ひとりで頑張ってきた人なのかもしれません。
心理学を学んでいると、「人は誰でもその家族を選んで生まれてくる。」「両親を助けるために生まれてくる。」という話を聞いたことが何回かありました。
もしかしたら私は、そんな母の臆病で不安な気持ちを引き継いで、それを何とかするために、生まれてきたのかもしれません。
そして、不安で臆病な気持ちを何とかする方法、それは、誰かに助けを求めるという事なのかもしれないなと思いました。
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この記事を書いたカウンセラー