ちょっとした闘病記~~もうひとりの私へ~~

 カウンセリングをお仕事にさせていただいていると、ご相談させていただ
いている問題の中に、いろんな想いを感じることが少なくありません。
それは時に、自分自身の問題に似ていることから感じる気持ちであったり、
かつての自分のように感じていることもあれば、あるときの情けない自分で
あったり、うまくいっている時の自分であったり・・・と、実に多様な心の
動きを、カウンセリングを通して追体験している、とも言えるかもしれませ
んね。
 そう言った経験だけではなく、少し違ったことから自分の内側を見てしま
う『破目』になり、しんどい想いをした分、何かを掴もう、と思っているん
です。


このあたりが、昔の私よりも僅かにでも成長した証かもしれない、と今は
言っておきましょうか。
そのきっかけとなった出来事は、体調の不良からなのですが、不幸中の
幸い、と言うか、災いを福に転じさせたい、と心から願っている私なのです・・・。
 このところ、少し崩した体調のおかげで、体力が落ちているのを良いこと
に、ゆったりとした時間を増やすことが出来ました。
と言うより、そうせざるを得なかった、と言うのが事実。
でもそのお陰で、と言うべきなんだと思いますが、今まで置き去りにして
た感情や、そんな感情を持つことが嫌で、何かを後回しにする悪い癖をとて
もとても責めている自分と遭遇してしまったのです。
 それはまるで、高熱の間にさまよっていた悪夢か、あるいはそれ以上の嫌
な感覚でした。
 実際に、1週間ほど40℃近い高熱が毎日出ていたので、殆ど寝床にいた
ために、ちゃんと起きている時間は1日のうちあまりなく、気分は重病人でし
た。
概ね回復した今から思うと、そりゃ大げさな・・・と思わないでもないで
すが、高熱と倦怠感、全身の関節痛に止まらない咳。
 食欲はそれ以前の問題で、辛うじて水分の補給が出来ていた状態なので、
このまま何らかの病気が見つかるか重篤な状態に移行するかも・・と言う
不安も出てきてしまって。
 はたして夢なのか現実なのか、とにかく焦りと不安と、物理的にも脂汗
にまみれた感覚で過ごした時間になりました。
 もし私が作家として、画家として、音楽家としての豊かな才能を持ってい
たのなら、ちょっとした作品になるのかもしれないのですが・・・。
 実際に寝こんでいた間に、ずっと不安を感じていたわけではありません。
寧ろ、少し回復しだした時に出てきた感覚なのですが、このまま消えてし
まったらどうなるだろうと言うような想い、同時に、「し残した」感覚が、
底のほうから上がってくる感じでした。
 それは、今までにあったいろんな出来事の中でも、自分が自分に許してい
ない部分が束になって襲いかかって来るような。
あるいは今までの人生の中で、自分なりに解決してきたと思っていた事
の中からも溢れてくるような、本当にやり切れない嫌な感覚でした。
 
 何もかもが遅すぎたのではないか。そんな想いと焦る心とは全く裏腹に、
自分に動くことを許可できないかのごとく、動けない身体。
 
 子どもの頃から抱えていた恐怖心の核は、動けなくなることだった、と、
思い出してしまったんです。
 大怪我の後、手術やリハビリ、家族や周りの人たちのおかげで、何とか一
人で歩けるようになり、今のように自由に動いている、と言う想いは、い
つか動けなくなる恐怖と貼り合わせにして心の奥深くに沈めていたことを、
思い出してしまったんです。
 実際に、具体的な何らかの出来事に関して、と言うよりも、自分が完了で
き得ていないものが、もちろん有って当然なんですが、現れては消えまた次、
そしてまた次、とあたかもエンドレスな感じで現れて来て、言ってしまえば
ただそれだけで、夢の続きとも思えます。
 でも、動けない身体はリアルな恐怖を呼び起こしました。様々な記憶が
めぐり、心も身体もがんじがらめ。そんな感じでした。
 幼い頃にやはり高熱で寝ていた時に、部屋中を振舞わされるような恐ろし
さで目覚め(高熱の為の眩暈だったのでしょうね)母にしがみついた事を思
い出しました。
 ・・・あの頃の私には、そういう不安を守ってくれる両親がいて、躊躇うこ
となく身を任せることで安心を勝ち得ていた・・・
 そんなことを思い出す機会にもなったのですが、それでもまだ、私はがん
ばれる、と思おうとしていました。
 肺と気管支に炎症があるために、解熱後にも咳がひどく、その為に眠れな
いことから体力は更に消耗。
 
 でも今までなら何とか仕事もしてたし、家事もしていたし・・・と、動け
るようになってから初めてしたのがお洗濯。
 ところが、びっくりしました!たった1回分の洗濯物を干すだけで、立ち上
がれないんですよ、この私が、です。
 そして、ほんの数十メートル先に出かけただけで、家に戻るまで何度立ち止
まったことでしょう。
 ・・・正直言って甘く見ていました、なくした体力を。
さすがに、出かけたことを心から後悔しましたが、近くで良かった、とつく
づく思いました。
 一緒にいた息子が、今までに見ない私の様子を、そうとは見せないながら
も不安な思いで見てくれているのがわかりました。
 そう、こんな目は息子だけではなかったはず。その時はまだ、そんな風に
思えず、心配をかけて申し訳ないなとだけ思っていたんです。
 体力のほうは一進一退。
 この症状の原因は、元気な時に感染しても、症状が出ることはないような状
態で、乳幼児や病中病後の方などに起こりやすい感染症の症状らしい、と言う
こと。
 もう後は安静にして体力を取り戻すだけなのですが、この一進一退、と言
うのがとても曲者で、中途半端な知識があり、結構アバウトな私でも、今回
はさすがに不安な思いになりました。
 
 この不安が引鉄になって連鎖的に想いが沸きあがり(感情と記憶の連鎖)、
いつもカウンセリングでお話していることを、さらに自分の身体で追体験す
る私。
 あの時ああすれば良かった。
 何であんなことを言っちゃったんだろう。
 もっと頑張れたんじゃないかな・・・などと。
 
 何故か感情が先に出てきて、夢の中でもがいて、燃やしているような。
 何だか解りにくいですよね。
 でも、身体反応の発熱で体内の菌と闘い乍ら心の中でずっと膿み続けてい
たものも、排膿されていく。
 
 まだ癒されていなかった数々の古傷が、風化する日を待たずに、傷口を再び
開けて膿を流していくような。
 体温の上がった身体を横たえながら、不安な想いより自分の中にある自然
が自分自身を癒していくことを感じた、そんな体験でした。
 身体をここまで感じたこともなければ、休めたことも有りませんでした。
 
 でも、ずっと悲鳴を上げつづけていたに違いない私の身体。聞く耳を持た
ない私の心。
 身体と心の不協和音が、こんな形で私自身のもう一つの姿を思い知らせて
くれたのかもしれません。
 こんなことになるとは・・・と思ってみても仕方はないのですが、私の中
に宿るもうひとりの私は、こんなことを言っています。
 「もっと自分を大切にね!」
 
 いつもカウンセリングで、皆さんにお伝えしている言葉なんです。
 
 もちろん私にもそう言ってくださる方は、今までにも少なくなかったので
すが、心から聞いてはなかったんじゃないかな、と反省することしきりの私
です。
  
 もうひとりの私へ。そしていつも読んでくださっている、あなたへ。
 まだまだ続く明日のために、いっぱいの愛をこめて。
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