白衣の天使のみなさまへ そして今生きている皆様へ〜病院からのひとり言〜

「今日、3人目だよぉ、もーくたくた!」
「あ、でもさぁ、○○さん体重軽いし‘気持ち好い’って言ってくれるから嬉
しいんだよね」
Tシャツを肩までたくし上げ、ジャージもやっぱり膝までまくり上げた綺麗な
お姉さんたちがきゃっきゃっと言いながら束の間の休憩時間に話をしています。
私は、整理しなくてはいけない伝票のことを考えながら、お姉さんたちの話に
くすくすと笑いながら相槌をうちます。


彼女らはひとたび仕事に戻ると患者さんたちの憧れで、安心でもある白衣の
天使さんたちです。
会話の内容は、長期に入院されている患者さんの入浴介助の様子。
ほぼ9割が還暦を越えて入院されている病院の休憩所での一こまです。
病院という場所に関しては、私の人生においてどうしても切っても切り離せない
ようです。
4歳になった頃でしょうか、お気に入りの黄色のベストとパンツを履いている日
絵本をコタツに潜りながら読んでいて母が「気をつけてね」とコタツのうえに
熱湯の入ったやかんを置いたのを知りながら、足をばたつかせていた私。
「あ、やばいかな。」
そう感じたのをしっかりと覚えていますが、その後は泣き叫ぶ私を母が抱え屋外
にある水道に連れて行き、すごい勢いで水をかけ続けたことだけしか覚えていま
せん。
ばたつかせていた足が、コタツの上板にあたりバランスを崩し、どうやら熱湯を
背中から足にかけて被ってしまったらしいのです。
多分、救急車で運ばれたのでしょうが、以降覚えているのは白衣を着たお医者様に
毎度毎度注射されるので、回診を嫌いぐるぐる巻きにされた左手の包帯を誰にも
外させなくて看護婦さんたちを困らせたこと。
結婚間近であったおじさんとその奥さんの(おばさんですね)お見舞いでいただいた
天井から吊るす人形がたいそうお気に入りであったこと。
それ以上のことはあまり記憶にありません。
ただ、顔はまったく覚えていないのですが白衣と病室の雰囲気と、ベッドから見た
病室ぷつぷつと穴の開いた天井のイメージだけはなぜかしっかりと映像で覚えてい
ます。
こんな幼少からの経験からかどうか、因果関係は不明ですが職場も含めかかわりの
ある場所はいつも‘病院’。
患者として、患者の家族として、業者として、職員として。
冒頭の病院では薬剤師として働いていました。
私たちが日中目にするのは、患者さんよりほとんどが‘伝票’といわれる処方箋。
その日に患者さんに必要な注射や内服薬が、先生によって書かれています。
いまどきは薬剤師であったとしても、病棟にあがり患者さんの様子を伺ったりする
ことも多いですが私はほとんど伝票から患者さんのお名前と病状を把握するような
状態でした。
老人保健施設などから、何らかの症状が出られて入院されてこられる患者様のうち
やはり何割かの患者様はここで天命を全うされます。
お薬の内容からも、どんな状態でいらっしゃるのかは多少は汲み取ることが
出来ます。
ほとんどは天寿を全うされたんだろうなぁと思われるような生年月日。
それでもお薬の内容からは、少しでも体の状態を楽に出来る方法はないかという
お医者様たちの情熱を感じながら、看護師の方たちの険しくただある種落ち着き
を感じる指示を受けながら薬剤師としての仕事を続けます。
どのような事情からでしょうか、人生の終末を病院で迎えられる方は結構
いらっしゃいますね。
私たちの年代よりもずっと「人様に迷惑をかける」ということに敏感で
いらっしゃる年代だと思います。誰にも迷惑をかけたくないから・・・と、
自らの意思で資産財産を処分され入院される患者様もいらっしゃいました。
心臓が弱ってくれば心臓が動くようにするお薬
腎臓が弱ってくれば、尿が楽に出るようにするお薬
感染が起きれば抗生物質
呼吸が困難になれば、呼吸を助ける管理
私たちが1個体としての機能をうまくいかせるための医学は、ヒポクラテスの時代から
様々な試行錯誤と努力のもと発達し続けています。
その試行錯誤のプロセスそのものも、楽になれば・・・、
人生をひと時でも長く・・・、、
という願いと愛の賜物なのでしょう。
このような職場で私が感じることは、天命をまっとうされていかれる瞬間まで何が
出来るかということと、何かすることが本当によいことなのかという相反する感情
であるのは私もまた、人であり、患者様の行く末の先に自分の人生を重ね合わせる
からなのかもしれません。
普通に生活していて日常的にこういうことを感じることはあまり多くはないの
でしょう。
ただ、この職場において教えてもらったことは逆説的ですが
「今、生きているということ」と「自分がどう生きたいのか」ということでした。
今この瞬間も私たちは時を刻んでいます。
そして私たちは生きています。
それを大切にすることを改めて、その場を通じてたくさんの方の魂が教えてくださった
ように想います。
人生の中の色んな経験から「自分ひとりなど、世の中からいなくても大勢に影響ないだろう」
そんな風に感じてしまう日もあるけれど、誰も悲しまないこの世の人生の終了時点など
というものも存在しない、ということも。
どうぞ、誰もが生命の輝きを思う存分輝かせることが出来る世の中でありますように。
どうぞ、誰もが生きているということを喜びで感じられる社会でありますように。
綿々と受け継がれていく魂が健全なものでありますように・・・。
人の健全さを保つものは決して医学だけではないでしょう。
幼少の頃に読んだマザーテレサの本にあった
「私たちに出来ることは施すことではなくて、愛すること」
「人々にとって本当に必要なことは金や物でなく、誰かに必要とされていると感じること。」
との一説を不思議なことに今も覚えています。
マザーテレサにはなれないかもしれないけれど、
思いやりや豊かさ、愛、楽しさや、喜び、人とのつながり…、
そういったものも大切に出来る大人でありたいと願います。
そして、今日も誰かのために例えそれがどんな立場であろうとと一生懸命に愛を注いでいる人
にエールと感謝を送りたいと思います。
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