遺伝子のいたずら〜同胞(はらから)〜

 このところ 、自分を創っている遺伝子をよく思います。遺伝子を伝えて
くれた両親やその両親、そのまた両親・・・どこまでも続くわけなので
すが、身体の中に組み込まれている設計図の不思議を思うのです。 私
には弟と妹がいて、それぞれ似ているところもあれば、あまりそうではない
ところもあるのですが、紛れもなく同じ所から始まっていると感じられてしま
うことが多く、それは自分の子供たちの世代にも継がれていることが、私
の世代になると解りやすかったりします。つまり、ヴィジュアル的な「明らか
な証拠」が目の前に生きているわけです。


 お正月か何かで実家に家族が集まった時、古い写真を見ていたのです
が、その賑わいの中で、幼い私と弟が仲良く収まっている写真が息子たち・姪
たちの目に止まったのです。
 「うわ〜っびっくりした!」
 長男の声。4人はがやがやと写真を囲み大笑いをしています。その理由
は・・・。私と弟の長女が、弟と私の次男が瓜二つなので、何でこんな古ぼ
けた写真にこの組み合わせで?と思ったらしく、よく見てみると親たちの子
供の頃の写真だった、と言うわけで、大笑いをしているんです。確かにその
組み合わせは比較的似てはいるけれど、本人としてはそこまで似ている気は
しないので、そっかそんなの面白いのかな、くらいに思っていたのですが、
今度は妹のところに長男が誕生したらこれが私の長男によく似ているのです。
そして私の見た目だと、弟のところの次女は妹の幼い頃に似ていると感じま
す。
同胞(どうほう。はらから・きょうだい)はそれぞれ両親から23ずつ染色
体をもらって身体の中に組み込んでいるわけですが、それぞれ似ているとこ
ろよりも相違点を見たがっていたりします。私の二人の息子は外見的には小
さい頃からあまり似てないのですが、ちょっとした写真などは双子のように
似ていたりします。彼らが似ていると言われたのは、ハンドボール部に所属
してプレイをしていたときかな、フォームがそっくりなのだそうです。本人
たちはお互いに嫌がっていましたが。でもそのハンドボールにしたところで、
個性は異なっているのに、投げたり走ったりするフォームが似ているなんて、
本人たちは意識の外ですもんね、不思議なものです。
 きょうだい同士のコンプレックスから来る心理的な歪みから発生する問題
を「カインコンプレックス」と言いますが、これはアダムとイブが楽園から出
た後に持った二人の息子の話から来る物なのですが、大まかなストーリーは
次のようなものです。
 〜アダムとイブの息子たち、カインとアベルの二人は成長し、それぞれ神
様に奉げものをすることになり、カインは大地を耕して収穫した作物を、ア
ベルは大切に育てた羊の初子を奉げることにして祭壇へ。ところが神様は兄
であるカインの奉げものには見向きもしないで、アベルの子羊を喜んだので、
カインは謀略を諮り弟のアベルを殺してしまう。〜
 昨今、血の繋がった兄弟間での犯罪が見られ、そのたびにこの話を思い出
します。カインとアベルのように、違った違った才能を持っている同胞を羨
ましく思うだけではなく、憎しみになってしまうことだってあると思うので
すが、神様は本当にそんなことを望んだのだろうか・・・。子供の頃この話
を読んだ時の疑問が未だ私の中では未解決です。宗教的な解釈を読んだこと
もあるのですが、正直なところ私にはぴんと来る物ではなかったんです。
 私自身三人きょうだいの長女であり、年子の弟、九つ離れた妹がいます。私
の両親は子煩悩だったので、特段寂しい想いはしていないのですが、どこか
心の中では異性である弟への両親の扱いと自分とは違うことを感じていまし
たし、年の離れた妹は頭では手の係具合も違っていた時代があるのも理解し
ていましたが、それでも母の言った「妹は親と居れる時間が短いから、今の
間に作るのだ」と言う言葉がどこかに染み付いている気がします。もちろん
母にしてみれば他意もないし、私を粗末にしていたつもりもないとは思うの
ですが、不公平な感じを何時もどこかで感じていたと思います。今から見た
一つの結果として、妹は結婚するまで母と居ましたから、年数的には私や弟
の方が早く家を出たので物理的な「親と一緒に居られた時間」は、妹が一番
長くなりました。きょうだい三人が親となっている今、それぞれ不思議なこ
とに持った子供たちは異性なんです。ここに何かのメッセージがあるのかも
しれません。
 一般的な話として長子のパターンと中間子、末子のパターンが見られるこ
とをカウンセリングの現場でもかなりの頻度で感じます。「何人兄弟の何番
目?」「3人姉妹の真ん中です」「なるほど・・・。」などと言う会話の中
で、カウンセラーとしての私は分析をしたり、カウンセリングの進め方を考
えたりします。似た案件であっても解決に向けていく方法やスタイルを違え
ることも少なくありません。これは「長男、長女だからこう」「おとんぼだ
からこんな感じ」「中間子だから」「一人っ子だから」と言う型にはまった
考え方からではなく、不思議なことに流れからもそうなります。それぞれの
育った「家庭環境」そのものは同じであっても、姉である、妹である、と言
うことが立ち位置を違えますから、これは環境の違いになります。
 一番上の兄、姉であると言うことはすぐ下の弟や妹との年の差が一人っ子
でいた年月です。何歳くらいまで一人っ子でいたか、と言うことも分析の対
象になりますし、ずっと一人っ子であることも同じです。また弟、妹である
と言うことは生まれたときにはもう一人っ子ではないのですから、少なくと
も周りに大人でない人がいることになります。近い世代の血縁者がいるとい
うことは、親は自分だけの物ではないし、感情を向ける相手も親(周りの大
人)だけでないと言うことでもあります。つまり、同じ目の高さで見たり考
えたり感じたりしますから、そこに性差や個性の差があることよりも、相手
を同一視しうる年代に自分ときょうだいが何歳であったか、ということの影
響もあると考えることもあります。なのできょうだいが何人いて何番目、と
言うこと以上にこれはもはや「環境の相違」になりますから、同胞と言えど
も違った個性を持つ人間である要因の一つになります。
 二十歳の長男が私の肩を叩きながらこう言いました。
 「お母さん、お互い弟で苦労するな。」
 当事者の二人の弟たちは複雑な想いで苦笑いをするかもしれません。でも
この長男が高校に通っていた時代、目の前である光景を見たときに弟に言っ
た言葉があります。それは
 「お前は死ぬなよ!それも俺の前で!絶対に死ぬなよ!」
 その光景と言うのは、部活の朝練中に人だかりができ、その中で長男の同
級生が号泣していたと言うのです。人だかりの中心には彼の兄が倒れていま
した。校舎の上の階から転落し、別の部で練習していた弟はそれに気づいた
のだそうです。救急車により病院に運ばれたけれど、その生徒はその日のう
ちに亡くなりました。色んな事情があとからわかったようですが、亡くなっ
た生徒はどんな想いだったのか知る由もありません。ですが、少なくともあ
の場所にいた長男は、喧嘩ばかりしていた弟に帰るなりその言葉をかけまし
た。次男ははじめきょとんとしていましたが、しばらくしてしおらしく言い
ました。
 「お兄ちゃんかてそうやぞ!」
 お互いを羨ましく思ったり、いなければいいと思ったり、時にはもっとネ
ガティブでいやな感情を持ったりぶつけたり・・・。きょうだいと言うのは
やはり近くて近い人だと思います。最近母と叔母がよく似てきました。本人
たちは自覚がないかもしれません。そう言えば亡き父と伯父は顔の輪郭以外
はそっくりで、声のトーンも似ています。伯父に会ったのは従弟の結婚式の
時ですが、父と話しているような懐かしさを感じたなあ。
 精神疾患を数字的に見てみると、たとえば統合失調症は同胞に発病がある
と罹患率はそうでないときの10倍、一卵性双生児であった時は7割以上の
確率とある調査でわかっているのだそうです。しかし、遺伝が発病の素因の
全てではないことがこの7割から解ります。つまり、環境と「それ以外」の
何か、です。この「何か」こそが遺伝の不思議かもしれません。脈々と残し
ていくための、不可欠な要素なのでしょう。
 カインはアベルと近いがゆえに殺めてしまいました。神ならぬ私たちは、
自分を取り巻く環境に似たことを感じることもあればその只中に巻き込まれ
てしまうこともあります。そうしたことに気づくたびに、カインの罪悪感を
思います。そして恨めしさも。
 カインのように、誰かに愛されるために、人は生きているのでしょうか。
それとも、誰かを愛することで生きているのでしょうか。ただ優れたものだ
けが生き残るのであれば、世界はどんどん素晴らしいものになる、と言う考
え方は本当に世界を美しくするのでしょうか。与えられた命を生きている私
たちには、見慣れたあの夕陽でさえも創ることはできないんですもの。
 今日も私の体の中では見えない設計図どおりに細胞が生き死にをしていま
す。私たち自身がとってもおおきな自然であることを思うと、誰かの血を受
け継ぎつないでいくために今ここに自分が在るとしたら。宇宙を一つの命と
してみたら私たちは一つの細胞かそれ以下に過ぎないかもしれません。そし
て私たちにはわからない理由で淘汰されていきます。このわからない理由こ
そが、カインとアベルが教えてくれていることの答えなのかもしれません。
 
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