どうしたら自分のことを好きになれるのだろう? 〜自己愛不足がコンプレックス〜

向上心の高い人ほど、「自分軸で生きられない」ことがコンプレックスになる

個人的にも、社会的にも成功しているのに、自分に自信が持てず、まわりの期待に応え続けなければならない。向上心の高い人ほど、そんな生きづらさを抱え、「自分軸で生きられない」ことや「自己愛が低い」ことがコンプレックスになることもありそうです。小さな「イライラ」をスルーしないところから自分と向き合ってみましょう。

自信が持てないのは「自己愛が低い」から?

恋愛であれ、仕事であれ、自己愛が高くて、自分の思いや気持ちを大切にできる人ほど、欲しいものを手に入れやすいです。それは、自分がいいものを手にしていいと思っている人は、チャンスが巡ってきたときに、それを躊躇なく掴むことができるからです。

自分の気持ちを大切にできる人は、その延長線上で、自分のまわりの大切な人の気持ちも、自然と大切にできますし、うまくいかないことがあっても、ことさらに自分を責めたりせずに、バランスのいい視点で問題点を洗い出して修正することができます。必要以上に傷つかないので、対人関係も良好な人が多いです。

それをご存知だからか、個人カウンセリングの現場でも、

「私は、自己愛が低いので、彼に愛されているかどうか、ちょっと返事が遅いと不安になっちゃうんですよ。」、

「コミュニケーションを取ろうと思って、食事に誘うのも迷惑なのかなと部下の顔色を伺ってしまいます。これも自己愛が低いから、ですかね?」、

「人に頼まれると断れなくて。つい引き受けすぎちゃって自分がもたなくなるんです。頑張りすぎは自己愛が足りないから、ですよね?」、

などと聞かれることが増えてきました。

私たちは、心の内側で思っていることを、外側の世界に映し出して見ています。なので、確かに、自己愛が高いと、「自分は愛されている」と思いやすいので、堂々と自己表現ができますし、攻撃されても過剰防衛をしなくて済みますので、「自信がある」ように見えます。

一方で、個人的にも、社会的にも成功しているのに、自分に自信が持てず、まわりの期待に応え続けなければならない、そんな生きづらさを感じている、というお話も聞きます。向上心の高い人ほど、「自分軸で生きられない」こと、「自己愛が低い」ことがコンプレックスになることもありそうです。

「たった1分でも自己攻撃をせずにいられたら、世界から戦争はなくなるだろう」という言葉があります。それくらいに、罪悪感を手放すのは難しいですが、自分を知り、好きになれれば、私たちの世界は、もっと楽しいものになりそうです。

他人軸はそんなにいけないことなのだろうか?

「自分軸―他人軸」という、自分の心の態度を見るときの物差しがあります。これは、たくさんある物差しのうちの一つで、これですべてがわかる、というものではありません。

確かに、「自分を好きになれない」という悩みを抱える方は、「自分軸」になりにくいです。「自分」が好きではないのですから、どうしても「他人」の期待に応えようとします。

残念ながら、「他人軸」に寄りすぎると、他人のニーズを拾い、誰かを喜ばせることばかりで、自分のニーズが後回しになります。そのため知らず知らずのうちに怒りを溜め込み、誰かにそれをぶつけてしまうか、自分が身動きとれなくなります。

厄介なのは、社会的成功は、誰かが喜んだ「ありがとう」の総和なので、人の喜ぶ顔を見たくて頑張っているうちに、気がついたら自分のニーズを見落としていて、「他人軸」に寄りすぎる、というのはよくあることなのです。これは社会的成功という目に見える結果と、「人の喜ぶ顔」という情緒的なご褒美の両方が手に入るので、修正が効きにくいです。しかも、本当にやりたいことは、むしろ「他人軸」寄りのところにあるので、話がややこしくなります(これは第2回で詳しくお話しします)。

ところが、自分のニーズが横に置かれたままなので、当人としてはなんとなく不完全燃焼している感覚があって、これが「ニセモノ」感として感じられて、「成功しているのに自信が持てない」という問題を抱えます(これも第2回で詳しくお話しします)。

答えは、「自分」か「他人」か、という「自分軸―他人軸」の線上にはなくて、「自分」も「他人」も、と思える「在り方」を見つけることなのですが、これが一筋縄ではいかないのです。

 

「自分が無い」のではなく、自分の「欲しい」がわからない

「自分を好きになれない」という方のもう一つに訴えが、自分の気持ちが「わからない」というもので、「自分のニーズと言われても、何がしたいか、欲しいのかわからない」とおっしゃる方がとても多いです。

「自分が無いのです」と、悲しそうにおっしゃいますが、「無い」のではなくて「わからない」だけです。そこには、自分のニーズを後回しにし続けなければならなかった理由があるものですが、これも、当人としては「無い」としか感じられないので、一人では難しい作業かもしれません。

自分を知るためには、人を「鏡」として見る、という心の作業が効果的なので、「投影」と「投影の引き戻し」について学ぶと、自分と向き合うときにとても役に立ちます。カウンセリングサービスでは、読み物だけではなく、個人カウンセリングやセミナーを通して「自分と向き合うお手伝い」をさせていただいておりますので、そちらのご利用もご検討ください。

 

「イライラ」と「悶々」は見知らぬ「自分」からの「助けて!」の声

自分を知り、自分を好きになるはじめの一歩は、自分の感情に気づくことなので、ちょっとした「イライラ」や「悶々」をスルーしない、ということから始めてみるのがお勧めです。

「イライラ」や「悶々」は、自分の中の「知らない」自分からのメッセージだ、と受け止めてみましょう。知らず知らずのうちに溜めていたストレスの「中身」が見えてくると、その奥に、忘れていたニーズが潜んでいるものです。とても多くの場合、気づけば、それで気がすみ、消えてしまいます。うんざりしそうですが、怖がらなくても大丈夫です。

長い間、心の暗がりに隠れていた「自分」からの「助けて!」の声は、ほんの微かな「イライラ」や「悶々」に紛れているもの。「自分軸―他人軸」の「どちらか」を選ぶのではなくて、そんな密やかな自分の内側の声にも心を留められるかどうかで、心の全体性を生きられるかどうかが変わってきます。

「自分」も「他人」も、と思いながら、まずは、あなたの「イライラ」と「悶々」に優しい眼差しを当ててみてくださいね。

(続)

心理学講座4回シリーズ/同シリーズ記事はこちら

1.どうしたら自分のことを好きになれるのだろう?〜自己愛不足がコンプレックス〜
2.自分の気持ちがわからないという不安〜このニセモノ感はどうしたら払拭できる?〜
3.自分が毒だと思ってしまう〜キョーレツな罪悪感には男性性の包容力が効く〜
4.肝心なところでいつも失敗するのはなぜ?〜自己破壊衝動との向き合い方〜

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