自分の気持ちがわからないという不安 〜このニセモノ感はどうしたら払拭できる?〜

自己評価が低いのは自分の気持ちがわからない不安を慢性的に抱えているから

社会的成功を手に入れて幸せそうに見えるのに、自分は不十分であると感じてしまう。自分軸で生きられない不安は、ハートブレイクによる無数の葛藤に常時苛まれているからです。心の奥底にある「願い」に気づき、その「願い」を生きようとすると、葛藤は自然に並び替えられて、進むべきロードマップが見えてきます。

 

こんにちは。カウンセリングサービスのみずがきひろみです。

社会的成功を手に入れて幸せそうに見えるのに、自分は不十分であると感じてしまう。自分軸で生きられない不安は、ハートブレイクによる無数の葛藤に常時苛まれているからです。心の奥底にある「願い」に気づき、その「願い」を生きようとすると、葛藤は自然に並び替えられて、進むべきロードマップが見えてきます。

不安との戦いに時間と労力を注ぎ込んでいませんか?

不安というのは、来るべき「未来」に対して安心感を感じられないという感情です。

私たちは、不安を減らそうと、例えば保険をかけたり、貯金をして万が一の出費に備えたり、家があれば、パートナーや子供がいれば、と自分の外側の世界にアテになる、頼りにできるものを積み上げようとします。学歴や、コンピュータスキルのようなものを身につけることも、「備え」の一つ、です。

人生で多くの時間を割いてやっていることの多くが、この「不安」への対処と言ってもいいかもしれないくらい、不安を減らすために、日々、努力しています。でも、不安はなくなりましたか?

「転職することにしたけれど、本当にそれでよかったのだろうか?」。

「結婚することにしたけれど、本当にこの人でよかったのだろうか?」。

「ありがたいことに赤ちゃんが授かったのだけれど、本当にこの世の中で子供を産んでいいのだろうか?」。

良かれと思って選んだことですら、次の瞬間にすぐ、「これでよかったのだろうか?」と不安がよぎったりしませんか?自分の気持ちや感覚を信頼すると一口に言いますが、実際には、なかなか難しくて、すぐに疑う気持ちが出てきます。

この不安を抑え込みたくて、「何が正しいか?」と善悪判断に頼りたくなったり、成果を求め続け、つい「結果がすべて」のように自分を追い込むこともあります。思考的になることで、感情を封じ、思考をサポートするために他者評価を求めます。

でも、残念ながら、いくら「あなたの選択は正しい」という既成事実を証拠として集めても、あなたの心が、「よかったぁ」と喜べなくては、不安は、無くなりません。

他者評価と自己評価の差が「ニセモノ感」をつくる

逆に、「正しいことをしている」、「うまくいっている」ときこそ、自分が喜べないと、自分の気持ちと他者評価とのギャップが開くので、「自分はニセモノだ」という罪悪感が強まることになります。

自分が本当はどうしたいのか気持ちがわからないまま、他者評価ばかりが高まると、欺瞞や疑いが強くなりすぎて、偽っている罪悪感を解消したい気持ちからせっかくの他者評価を壊してしまうこともあります。

大好きな人がプロポーズしてくれたのに、

「私は、だらしがなくて、部屋も汚部屋だし、怒りんぼで、年齢も5つもサバよんでいるし、」

とことさらに自分にとって不利なことを暴露し、相手が引いていくのを、「やっぱりね」と見ていた、なんてことはありませんか?それまでは、あなたの魅力を120%アピールしていたのに。

向上心が高く、自己実現を目指す人が、必ずぶち当たるこの「ニセモノ感」の壁の奥には、自己評価が低いまま上がらないという問題があって、その理由の一つに、「自分の気持ちがわからない」という不安を隠していることがあります。

この上の例でも、大好きな彼のプロポーズが嬉しいのです。「受けたい」のです。でも、不安で仕方がないのです。どこかで「ムリなんじゃない?」と思っているから、です。

その「ムリなんじゃない?」という気持ちは、自分が彼にふさわしくなるほど自分を変えるのはムリなんじゃない?という気持ちなのですが、ここには「変わりたくない」という小さいけれど頑固な思いがあります。

この小さいけれど頑固の思いが、「あなたは、どれくらい本気?」と相手を試さずにはいられなくて、「私は所詮こんなもの」という自己評価のところまで相手の自分への評価も叩気割李、引き下げたくなるのです。

でも、これは、心の深いところにある葛藤なので、当人も気づいていないことが多いです。

自分の気持ちがわからないのは、ハートブレイクで心が葛藤を抱えたから

この「ニセモノ」感を払拭するには、自己評価をあげることが課題になる訳ですが、そもそも自己評価が低いのは自分の気持ちがわからない不安を慢性的に抱えているから、です。

自分の気持ちがわからないのは、意識されていないハートブレイクが無数にあって、たくさんの思いが、バラバラに心にあるので、どの想いを感じても、その気持ちに反する想いが上がってきて葛藤するので、どの心の声を聴いたらいいのかわからなくなるからではないでしょうか。

「感情は訳がわからない」と諦めて、思考的に生きようとしますが、この思考や観念も、バラバラに心にあると、自分の中で葛藤を起こしますから、自分と向き合うとますますわからなくなり、指針を誰かに求めたくなります。

尊敬できる、憧れの存在を通して、自分の理念を探すのは、そんなバラバラになった感情と思考の、さらに奥にある「願い」にアプローチするのに役に立ちます。

自己実現とは、そんな心の深いところにある「願い」を体現して生きることです。

自己評価では「まだまだ、とてもそこまでいっていません」と、この記事をお読みになるような自分に厳しめな方は思われるでしょうけれど、そんな「願い」を体現して生きている「自分」になりきって、葛藤する感情や思考を抱き抱えるように眺めてみてください。

その「願い」から見たときに、あなたが最終的には、「どうしたい」のか、「どうありたい」のか、が腑に落ちます。すぐにできるかどうかは状況次第でも、このとき、どこに向かったらいいのかのロードマップを手にすることができます。

(続)

 

心理学講座4回シリーズ/同シリーズ記事はこちら

1.どうしたら自分のことを好きになれるのだろう?〜自己愛不足がコンプレックス〜
2.自分の気持ちがわからないという不安〜このニセモノ感はどうしたら払拭できる?〜
3.自分が毒だと思ってしまう〜キョーレツな罪悪感には男性性の包容力が効く〜
4.肝心なところでいつも失敗するのはなぜ?〜自己破壊衝動との向き合い方〜

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