カッとなると物にあたる夫

相談者名
ごんち
はじめまして。
いつも参考にさせていただいております。
今回はよろしくお願いいたします。

夫は普段とても明るく楽しい人ですが、短気でカッとなりやすく一度キレると物を投げたり殴ったり蹴ったりし、暴言を吐きます。
私には手を出してきません。
物を壊してしまうこともあり、前回のとき、またこういうことしたら離婚すると言ってあります。

これは結婚前からで、仕事中にもあるそうです。
今の職場でうまくいかない人がいて、その人を掴み服を破きました。
どうやら相手に問題があったらしく、逃げられそうになったので、話をしようと言いながら手を掴んだら、ふりほどかれそうになったので掴みかかったそうです。(相手は女性です)
普段からその相手には「ふざけんな!」「死ね!」などと言っていたようです。
同じ職場の人の話では、彼女に問題があり皆も困っていたようですが、だからと言って暴言を吐いたり、掴みかかるのは問題だと思います。

また、先日喧嘩したときにはプラスドライバーが飛んできました。
私に向かって投げてきたわけではありませんが、我が家にはもうすぐ一歳になる息子がいます。
幸い息子は隣の部屋にいて当たりませんでしたが、いつも遊んでる場所でした。
夫は息子をとてもかわいがってくれていて、暴力を振るったりは一切無く、息子がいないのがわかっていたので投げたのだと思うのですが、最近ハイハイも早くなっているので、もしその場所にハイハイしていったらと思うとぞっとします。

私は口が達者でつい責め口調で言いくるめてしまうところがあるので、それは反省しています。
今回の喧嘩も私が悪いと思っていますが、それとこれとは話が別です。
なので、「物にあたったり投げたら危ないからやめて」と言っても、そうさせているお前が悪い、俺はこういう奴だと言われたので、話し合いを諦め、実家に帰りました。

言い過ぎてしまう自分が悪いので、直していかなければと反省しています。息子を産む前は離婚は考えませんでしたが、今はこのままDVや虐待に発展しないか心配です。
夫のこの行動は直りますか?

カウンセラー
池尾昌紀
ごんちさん、こんにちは。
池尾昌紀と申します。
ご相談、ありがとうございます。

直接、暴力を振るわれてないといっても、暴力的な言葉や、ものを投げる行為は暴力の一種です。
暴力というのはどんな理由があっても許されるものではありません。

ただ、そうしたことをふまえた上で、最初に心理学的にみた、そうした言動の理由に焦点を当てて回答させていただきたいと思います。

心理学では「怒り」は本当の感情を隠すフタであるという表現をします。
怒りの下にある、本当の感情を感じるのが怖くて、それを感じないために、「怒り」という手段を使ってしまうのですね。
多くの場合、この本当の感情は「悲しみ」「寂しさ」であると言われます。
怒っていれば、感じなくてすむわけです。

もし、そうであるならば、ご主人がカッとなった時には、「悲しみ」「寂しさ」を感じている時であるということになります。
しかも、短気であるということは、この「悲しみ」「寂しさ」がとても大きいものであることを表しているのではないでしょうか。

それはどうしてなのでしょう。
そして、その悲しみ寂しさの元になっているものは何なのでしょう。

例えば、幼い頃から両親が共働きなどでとても忙しい家庭に育った人がいたとします。
あまりに忙しいので、両親が自分のことを愛してくれてるという実感がなかったとしたら、その人は、両親から愛されていないという思いを抱くようになります。
そして、「自分は愛される価値がない」から、誰からも愛してもらえないのだ、という強い思いを持つようになります。
誰かから愛されても、実は愛してもらってないのではないか、とか、そのうち愛されなくなるのではないか、という思いが強いほど、心の中に爆弾を抱えているような状態になってしまいます。
小さなことでも自分が認めてもらえなかったり、自分のふるまいを否定されたりすると、「やっぱり自分は愛される価値がないんだ!」という心の中の思いが爆発してしまい、それを感じるのが辛過ぎるから、本当の気持ちを感じないように、怒りとして表現してしまう。

これはあくまでも例え話ですので、ご主人に当てはまるかはわかりませんが、このように、過去に自分には愛される価値がないと感じる何かがあったのかもしれません。
怒りが強ければ強いほど、その元になっている「悲しみ」「寂しさ」も大きいことを表していると思うのです。
また、その思いを一生懸命、我慢して隠しているので、一度爆発すると、止められないのかもしれません。

カウンセリングでは、こうした怒りについては、大元である「悲しみ」の原因を探って、本当はこうした理由でこんなに悲しかったんだ、と気づくことにアプローチしていきます。
そして、多くの場合、その理由は自分の誤解から生まれる恨みつらみだったりします。
先の例でいえば、両親が共働きで愛してもらえなかったのは、愛情がなかったわけではなく、忙し過ぎて状況的に難しかったこと、また、何のためにそんなに忙しく働いていたかというと、誰あろう、子どもが豊かに生活できるように働いていたのだ、ということに気づいていき、だったら愛されていたのではなく、そう思っていたのは誤解で、実はこんなに自分は愛されていたのだと気づくことになります。
そんな愛された私は、愛される価値がある存在であり、「悲しさ」「寂しさ」を今はもう、感じなくていいと思うようになり、怒りが出にくくなる、という流れになっていきます。

そう考えていけば、怒りに隠された「悲しみ」「寂しさ」があるという視点で見て、本当の気持ちをわかってあげることがポイントになります。
誰からも愛されないという気持ちは、裏返せば、愛して欲しいと強く願っている気持ちです。
こんなにも、誰にも愛されないと思っているかもしれないのです。
そして、それに気づいて欲しいと思っているかもしれないのです。

繰り返しになりますが、暴力は許されるものではありません。
けれど、このような考え方で整理してみると、ご主人を理解し、接するためのヒントになるのではないでしょうか。

ところで、それでは、ごんちさんご自身はどうなのでしょう。
「言い過ぎてしまう」ご自身のことに触れておられますが、大きさの大小はあるとしても、今、ご主人に対してみてきたことが当てはまるということはないでしょうか。
言い過ぎてしまうことも「怒り」のひとつの形であるとしたら、もしかしたら、ごんちさん自身も何かしら、心の奥底に「悲しさ」「寂しさ」を持っていて、それを隠しているのかもしれません。

この理屈で整理できるとしたら、
ケンカをしている時のお二人は、怒りをぶつけあいながらも、実は、悲しみを感じ合っていることになります。
こんなにも愛されない自分なんだとの思いをぶつけあうことは、表面的には相手を責めながらも、自分を責めていることにならないでしょうか。
そして、本当は相手のことを責めたくないのです。
そんな風に相手のことを責めてしまう自分が嫌になって、自分を責めているから苦しいのではないでしょうか。

この二つの苦しみが、ごんちさんの苦しみの原因なのではないかと思います。

もしそうなら、僕はお二人が、本当に優しい心を持っておられるのだと思います。
そんなにまでして、自分を責めているとしたら、それはとてもとても優しい心を持っているということになりませんか?

ご自身の心の中を整理していくことは、遠回りのようですが、ご主人を理解し支えることにつながっていきます。
何より、自分自身の本当の気持ちに気づいてあげることは、自分自身を大切にしてあげることにつながっていくと思うのです。

どうか、まずご自身の気持ちを整理し、気づいてあげて、自分自身を大切にしてあげてください。

こんなに優しい心をお持ちなのです。
その優しさがあるから、こうして相談コーナーにわざわざご相談をお寄せくださっていると思うのです。
どうか、ご自身の優しさを見てあげてください。
あなたは本当に優しい方で、そして愛されるべき存在なのです。
それを実感できるようになった時、それは必ずご主人にも伝わると僕は思います。

ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。