パニック障害

相談者名
はじめまして。私はパニック障害で悩んでいます。
カウンセラーの源河さんが神経症にお詳しいということを聞きまして、何かアドバイスを頂いて希望が見えるようになればと思い書き込みします。
よろしくお願いします。私は現在大学4年で、2年前から遠距離恋愛をしている彼がいます。
春からの就職先も決まっており、遠距離恋愛もやっと解消します。

PDになったのは大学生になった頃のことで、しばらくは自分自身がPDだということに気付きませんでしたので、
治療(服薬)を始めたのはまだ1年弱です。
ですが服薬をしていてもだんだんと悪くなっているように思います。
診断をされたことでPDだということを意識してしまうようになったことが原因かと思います。

彼に会いに行っていたときもPDの発作が出てしまい、私は不安だし彼はどうしたらいいのか分からない状態で、
そんなことが何度もあるものですから疲れてしまっています。遠出という頼る場所がない心細さで発作が出やすくなっているように思います。
就職先は実家を離れますので、彼も親も心配し実家にいることを勧めます。
私自身も不安ですので、周りの人からそう言われてしまうと一度決めたことでも考えてしまいます。

パニック障害を自分なりに勉強してみたのですが、薬物療法だけではなく心理療法や行動療法・認知療法等を行った方が再発が少ないと知りました。
今は予期不安が強く、それだけでも気分が悪くなるくらいで不安がるのが癖になっている状態です。

この状態からどうやっていったら快方に向かえるのでしょうか。
4月からは今決めている職場で働いていきたいと思っていますし、働き始めてからもPDで仕事に影響は可能な限り出したくありません。
職場にもPDのことは言いたくありません。
環境などがガラっと変わるときなどに治ることもあると聞いたので少し期待していますが、
緊張する日々が続くと思いますのでやはり心配の方が大きいです。

どうかアドバイスをお願いします。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、華さん。
はじめまして、源河です。
ご相談、ありがとうございます。> 私は現在大学4年で、2年前から遠距離恋愛をしている彼がいます。
> 春からの就職先も決まっており、遠距離恋愛もやっと解消します。

そうですか、新しいスタート地点に立つんですね。
これからが、楽しみです。
遠距離恋愛が解消するということは、彼に程近いところに就職されるんでしょうか?
期待や夢も膨らみますが、不安も膨らみますね。

> ですが服薬をしていてもだんだんと悪くなっているように思います。
> 診断をされたことでPDだということを意識してしまうようになったことが原因かと思います。

なるほど、ですね。
でも、意識せずにはいられないでしょう?
実は、この”意識する”こと、とっても大切なんです。

> 彼に会いに行っていたときもPDの発作が出てしまい、私は不安だし彼はどうしたらいいのか分からない状態で、
> そんなことが何度もあるものですから疲れてしまっています。遠出という頼る場所がない心細さで発作が出やすくなっているように思います。

もしも、診断されていなかったら、発作が出たときにどう感じると思いますか?
きっと華さんも彼も、今以上にパニックになるんじゃないでしょうか。

PDだと診断されると、その症状について知りたくなりますよね。
「なんなんだ?」
「治るの?」
「この先、どうなるんだろう・・・?」
そうしていくうちに今の華さんのように、心のある一点は”意識している”ので、
パニックになりながらも、元の状態にかえってくることが出来ますよね。

でも、PDであることには違いはない、と思われるかもしれませんね。

私たちは、自分が知らないことや、未知のものに対しては、
誰でも、不安や恐れを抱きます。
そして、その恐れに自分の心が飲み込まれそうになると、パニックになるんですね。
言い換えると「心」が「恐れ」に対して”必死の抵抗”をしているわけです。
本当に飲み込まれてしまうと、発作を通り越してしまいます。

そして、ふと我に帰ったときに「あ、PDだからなんだ・・・」と思うとつじつまがあいますよね。
恐れに飲み込まれてしまわないようにするための、命綱のようなものです。
そうでなければ、「なんなの?なんなの?なんなの?これは一体なんなの?」
となってしまって、ことは悪くなるばかりです。

でも、華さんが意識してしまうことが原因だということも、
そのとおりなんですね。
命綱を腰につけたら、その次のステップがあります。

> 就職先は実家を離れますので、彼も親も心配し実家にいることを勧めます。
> 私自身も不安ですので、周りの人からそう言われてしまうと一度決めたことでも考えてしまいます。

私たちは、心も身体のように常に成長します。
愛される「子供」から、愛することができる「大人」へと変化していきます。
ですが、その変化に対して、私たちは誰でも抵抗するんですね。
それは、「子供」から見た「大人」=”愛する側”だとすると、
「え?愛されるんじゃなくて、愛さなきゃならないの?」
「え?じゃあ、子供じゃなくなったら、愛されなくなっちゃうの?」
と、私たちは感じてしまうからです。

もちろん答えはノーですが、心の中の「子供」にとってはそれは理解しがたいことなんですね。
でも、変化や成長の波は、起こそうとしなくても自然に起こってきます。
”感情”という波です。

この”感情”、抑えたりコントロールできることが「大人」だと、私たちは認識しがちです。
が、実は”うまく乗りこなせる”ようになることが「大人」になることなんですね。
でも、最初からうまくできる人などいません。
だから、命綱が必要なんです。
たまたま、華さんの命綱は”PD”だと診断されることだった、ということです。

波に飲まれそうになって「キャ~!!」って溺れても、助け出されるための命綱。
スキューバダイビングでは、海に潜る前にプールで練習することをご存知ですか?
ひとつ間違えば、プールでだって事故は起こりえます。
だから、命綱が必要だったんですね。

でも、次はいよいよ海に出かける時期がきたようです。
華さんにとって”波を乗りこなせる”ようになるための大いなるチャレンジです。
だからといって、いきなり命綱ナシでは怖いですよね。

”新しい綱”が要ります。

> 今は予期不安が強く、それだけでも気分が悪くなるくらいで不安がるのが癖になっている状態です。

そろそろ飽きてきたでしょう?
プールも泳ぎなれると、最初は広く感じいても、だんだん狭くなるものです。
気分が悪くなるのは、華さんの中にしっかり感情が息づいているからですよね。
我慢する必要はないですよ。しんどいときは、しんどいで休めばいいんです。

> この状態からどうやっていったら快方に向かえるのでしょうか。
> 4月からは今決めている職場で働いていきたいと思っていますし、働き始めてからもPDで仕事に影響は可能な限り出したくありません。
> 職場にもPDのことは言いたくありません。
> 環境などがガラっと変わるときなどに治ることもあると聞いたので少し期待していますが、
> 緊張する日々が続くと思いますのでやはり心配の方が大きいです。

新しい綱を手にしましょう。
それには、先ほどの”意識すること”がとても役に立ちます。

私たちは、”愛されているという実感”ほど、くつろいで安心できる状態はないんです。
不安やパニックになるのは、それが”感じられない”から起こるといっても過言ではありません。
私たちは子供の頃、大人に面倒を見てもらうことで、その愛情を感じます。
そして、無意識に「愛される」=「面倒をみてもらうこと」となってしまいがちになるんです。
小さなお子さんを観察してみれば、よくわかります。
親がかまってくれないと、悪い子ちゃんになって引きつけようとするか、
しんどくなって(風邪をひいたり)面倒を見てもらおうとすることが、本当に多いんですね。

でも、すべては「愛を感じたいから」です。

華さんが次に手にして欲しい綱、それは「愛されている」ことを”知ろうとする意欲”です。
華さんのご両親や彼氏、華さんをとても思っていらっしゃいますよね。
それは、華さん自身が一番よく知っていることだと思います。
ここでいう”知ろうとする意欲”というのは、それを実感として「感じたい」と思う気持ちです。

目には見えないけれど、しっかりとお互いの間にある愛情を感じる事は、
なによりも私たちをつないでくれる、綱なんです。

2年間、遠距離恋愛をしていたんですよね。
よく頑張りましたね。
華さんは、その新しい綱をもうすでに手にしているかもしれません。

また、よければお返事ください。
お待ちしています。

相談者名
こんにちは、源河さん。
お返事ありがとうございました。
すぐに読んでいたのですが、今度私がレスをしたら終わりなんだと思うと書き込めずにいました。すみません。
> そうですか、新しいスタート地点に立つんですね。
> これからが、楽しみです。
> 遠距離恋愛が解消するということは、彼に程近いところに就職されるんでしょうか?
> 期待や夢も膨らみますが、不安も膨らみますね。
楽しみが3~4割、不安が6~7割といった感じです。
資格を持っての専門職なので、学生時代にも何度も実習を重ねてきたのですが、
その都度“終わり(実習終了)があるからがんばれる”といった状態でした。いっぱいいっぱいだったと言うか。
PDの影響も大きく、実習先にもPDであることは相談していました。(実習そのものは「つらいけど楽しい」という感じでした。)
だから、終わりがない感じのする就職はなんだか不安です。
また、最後の実習時に「PDだとこの職業の適性は低い」というようなことを指導者に言われたことで、
私はこのままでは就職してから大丈夫なのか、ちゃんと仕事を出来るのか、さらに不安になりました。

彼とは電車で1時間くらいのところになります。
今までは新幹線を使って会いに行くような距離でしたので、それだけでも充分近付いた感じがしています。

> なるほど、ですね。
> でも、意識せずにはいられないでしょう?
> 実は、この”意識する”こと、とっても大切なんです。
> もしも、診断されていなかったら、発作が出たときにどう感じると思いますか?
> きっと華さんも彼も、今以上にパニックになるんじゃないでしょうか。
そうですね。そうかもしれません。今は発作のときに飲む薬(効かないことも多いのですが・・・)もあるし、
“私はPDなんだ”というレベルでは自分のことを理解できますし(それ以上のことを理解しようとして考え出すとつらいのですが)。
診断されてよかったこともありますね。
診断されてマイナスだった感じがするのは、PDの本を読んだりして、“PDの人は高速バスが苦手”“美容院が苦手”などど読んだら、
私の苦手意識も強くなってしまったようなところです。
意識し続けることもつらいですね。毎日2回薬を飲む瞬間にも意識します。
旅行など普段と違うことをやろうとするときややらなくちゃいけないときなんかは一番意識しています。
意識していると緊張して、緊張すると体も疲れやすくて、疲れが出ると体がつらくて、体がつらいと不安になって、不安になると発作が起こる、
という状態なんです。悪循環ですよね。まさに“自律神経が乱れている”といった状態だなって思います。
彼も外からでは分からないある障害を持っているのですが、「意識し続けることで、考え方や性格にも影響をしてくる」と言っています。
「おまえはまだ歪んでいない、偉いよ」と言ってくれますが、今ではもう“時間の問題”という感じもしてきて・・・。

> PDだと診断されると、その症状について知りたくなりますよね。
> 「なんなんだ?」
> 「治るの?」
> 「この先、どうなるんだろう・・・?」
> そうしていくうちに今の華さんのように、心のある一点は”意識している”ので、
> パニックになりながらも、元の状態にかえってくることが出来ますよね。
そんな感じです。
私の場合、トータルで大雑把に見ると、“人より頻繁に具合が悪くなる”という感じで、発作の最中はパニックですが、
なんともないときは本当に普通なんです。発作が起こることすら怖くない気がするくらいです。
ひとたび発作が起きそうな状態になったり、実際起きてしまうと、その苦しさを何とかする以外何も考えられない状態です。
まさにパニックになっていますね。(人前では“パニックになっているみっともない私を見せたくない”という意識が働く余裕?もあります。
それがまた余計自分をつらくするんですが。)

> でも、PDであることには違いはない、と思われるかもしれませんね。
> 私たちは、自分が知らないことや、未知のものに対しては、
> 誰でも、不安や恐れを抱きます。
> そして、その恐れに自分の心が飲み込まれそうになると、パニックになるんですね。
> 言い換えると「心」が「恐れ」に対して”必死の抵抗”をしているわけです。
> 本当に飲み込まれてしまうと、発作を通り越してしまいます。
> そして、ふと我に帰ったときに「あ、PDだからなんだ・・・」と思うとつじつまがあいますよね。
> 恐れに飲み込まれてしまわないようにするための、命綱のようなものです。
> そうでなければ、「なんなの?なんなの?なんなの?これは一体なんなの?」
> となってしまって、ことは悪くなるばかりです。
おっしゃること、よく分かります。
でも、私は特別怖いものが目の前にあるわけではないのに、どうして恐れを感じるのでしょう?自分でも分かりません。
むしろ、PD発作が私の「恐れ」になっているんです。
PD発作そのものが「恐れ」なのに、それに呑み込まれないように発作が起きるの・・・?と考え出すとまた分からなくなります。
自分が意識できる範囲の自分では、“今一番怖いもの=PD発作”なんですが、意識できない範囲では他の怖いものがあるのでしょうか?

> 私たちは、心も身体のように常に成長します。
> 愛される「子供」から、愛することができる「大人」へと変化していきます。
> ですが、その変化に対して、私たちは誰でも抵抗するんですね。
> それは、「子供」から見た「大人」=”愛する側”だとすると、
> 「え?愛されるんじゃなくて、愛さなきゃならないの?」
> 「え?じゃあ、子供じゃなくなったら、愛されなくなっちゃうの?」
> と、私たちは感じてしまうからです。
> もちろん答えはノーですが、心の中の「子供」にとってはそれは理解しがたいことなんですね。
これを読んで、私の心の中はまだまだ「子供」の方が大きいんだなと思いました。
まだ私は愛されるだけで、愛することはできていないのかもしれません。愛されて守られている中でしかのびのびできていないのかもしれません。
ここまで書いて思い出したのですが、彼に良く言われるんです。
「実家にいるおまえの方がのびのびしていて、余裕があって、見ていて安心だ。」って言われます。
普段はひとり暮らしですので、常に緊張しているんだと思います。ただ、私は、実家にいなくても実家にいるときと同じ私になりたいんです。
(誰が見ているか分からないのにこんなことを書くのは恥ずかしいのですが、
実はもうひとつの掲示板の方に「楓」というHNで彼との悩みを書き込みをしています。
根本裕幸さんがレスを下さっています。すごく書き込んでいますので膨大な量になってしまいますが、
レスを頂く前に少しでも読んでいただけたらなと思います。)

> でも、変化や成長の波は、起こそうとしなくても自然に起こってきます。
> ”感情”という波です。
> この”感情”、抑えたりコントロールできることが「大人」だと、私たちは認識しがちです。
> が、実は”うまく乗りこなせる”ようになることが「大人」になることなんですね。
> でも、最初からうまくできる人などいません。
> だから、命綱が必要なんです。
> たまたま、華さんの命綱は”PD”だと診断されることだった、ということです。
最後の行だけがよく分かりません。ごめんなさい。
命綱がどうして私を苦しめるのでしょうか?命綱を引っ張って助けてもらうときに、引っ張られすぎて体に食い込んで痛い、
というふうに思えばいいのかな・・・?

> でも、次はいよいよ海に出かける時期がきたようです。
> 華さんにとって”波を乗りこなせる”ようになるための大いなるチャレンジです。
> だからといって、いきなり命綱ナシでは怖いですよね。
命綱なしでは怖いですが、この命綱が私を苦しめている感じがしています。
この命綱はもういらないって思います。この嫌っている感じがダメなのでしょうか?

> 気分が悪くなるのは、華さんの中にしっかり感情が息づいているからですよね。
> 我慢する必要はないですよ。しんどいときは、しんどいで休めばいいんです。
しんどいときがあまりにも多いので、休んでいられないんです。しんどいから休む、ということをしていて、
実習のときに指導者に言われたことが前述の「適性がない」という言葉でした。
もともと、やらなければいけないことは早く終わらせたくなるようなせっかちな性格です。
高校生の頃も、休んだ日の分の遅れを取り戻す行為(ノートを写したり、私の知らない出来事を聞くなど)が面倒で、
風邪を引いても休まなかったくらいです。でもPDになって、気持ちに体が着いてこなくなってからは、
プライベートではしんどくなったら休んで、人よりゆっくりでいいって思うようにしているのですが、仕事や勉強では焦りが出てきてしまうんです。

> 新しい綱を手にしましょう。
> それには、先ほどの”意識すること”がとても役に立ちます。
> 私たちは、”愛されているという実感”ほど、くつろいで安心できる状態はないんです。
> 不安やパニックになるのは、それが”感じられない”から起こるといっても過言ではありません。
> 私たちは子供の頃、大人に面倒を見てもらうことで、その愛情を感じます。
> そして、無意識に「愛される」=「面倒をみてもらうこと」となってしまいがちになるんです。
これも読んでいてすごく分かりました。
私は愛されている実感・守られている実感がない状況で不安になって発作につながっていたような気がします。

> でも、すべては「愛を感じたいから」です。
> 華さんが次に手にして欲しい綱、それは「愛されている」ことを”知ろうとする意欲”です。
> 華さんのご両親や彼氏、華さんをとても思っていらっしゃいますよね。
> それは、華さん自身が一番よく知っていることだと思います。
両親に期待してもダメな部分を諦めている気持ちもどこかにありますが、両親に愛されているのは実感できているつもりです。
彼から愛されているかは・・・自信を持てない状態です。

> ここでいう”知ろうとする意欲”というのは、それを実感として「感じたい」と思う気持ちです。
> 目には見えないけれど、しっかりとお互いの間にある愛情を感じる事は、
> なによりも私たちをつないでくれる、綱なんです。
それを感じようとすることって、すごく難しいように感じてしまいます。
失敗したら疑り深くなってしまいそうな感じで。間違ったものを見ていないかも心配です。

> 2年間、遠距離恋愛をしていたんですよね。
> よく頑張りましたね。
我ながらよくなったなぁって思っています。
でも、彼から言わせると、「時々とてつもないマイナスポイントを稼ぐ」んだそうです。
それで、彼が心を開いてもいいかなぁって思い始めても、まだだめだ、って閉じてしまうようです。
あ~、でも、自分ではよくやったと思います。(「楓」での書き込みをもし読んで頂けたら少し分かって頂けるかもしれません。)
ものすごく難しいことをやったような感じがしています。目に見える成果はないんですが・・・。

> 華さんは、その新しい綱をもうすでに手にしているかもしれません。
それならいいのですが・・・。自分ではよく分かりません。
私はないものねだりをしがちだと思うんですが(彼にも良く言われるんですが)、
今あるものに感謝したりすることが、愛されていることを実感することにつながるのでしょうか?

すぐでなくていいですのでレスをお願いします。
お忙しいとは思いますが、できればもう1つの掲示板の書き込みも見てみて下さい。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、華さん。
お返事ありがとう。楓さんだったんですね。読ませて頂きましたよ。
今回は少し見方を変えてみましょうね。

書き込みを読んでいて、感じたことなんですが、
華さんの心の奥の方には「わかってほしい」という気持ちが、根深く息づいているみたいですね。
これは、誰の中にもあるもので、それ自体はなにも不思議なことではありません。
まして悪いことでもありません。

ただ、”なにを”わかってほしいのか?という部分が、ポイントになってくるんです。
これが自分で認識できずに、ことに当っても、なにも変わらない、ということにもなりかねません。

私たちは、成長の過程で家族との関係から、その後の人間関係でのパターンが出来上がります。
彼は、華さんのPDのことはわかっているけれど、もっと根本的な欲求については、
コミュニケーションされていないような気がするんですが、どうでしょうか。
この根本的な”欲求”、実は華さん自身が見ることを恐がっているようです。

私たち人間が持つ、最大の欲求それは、食欲・睡眠欲・性欲だといわれています。
ですが、このどれもが本能的、動物的な欲求ですよね。
それよりも、もっと私達が心の奥底から欲して止まないもの・・・
それは、前にも書いた「愛情を”感じたい”」という欲求です。

華さんは、ご両親からすべてを与えてもらって、恵まれて育ってきた、
とおっしゃっていますが、心の奥底には「ちがう!!これじゃないのよ!!」と感じてきた部分、たくさん詰まっているようです。
そして、そう感じれば感じるほど、思い通りにならないことへのはがゆさや、
もっと自分が頑張らなくては、本当に欲しいものは貰えないんだ・・・
という、思い込みが出来てしまって、そういった理由から高校ぐらいまでは、
本当に頑張りやさんだったように思います。

PDというのは、そういった理屈では通らないように思える物事への、
怒りや悲しみ、欲求や不満、過去に傷ついた感情などが、
再び、心の中に湧き上がってこようとするときに、起こるものなんです。

自分では認めたくないような、ネガティブな感情・・・
これは、華さんが最も見たくなくて、恐れているものの正体です。

>(それ以上のことを理解しようとして考え出すとつらいのですが)。

これです。
考えても、答えは出ないものなんですね。

> 自分が意識できる範囲の自分では、“今一番怖いもの=PD発作”なんですが、意識できない範囲では他の怖いものがあるのでしょうか?

たとえば、です。
泳ぐ事が出来ないときに、溺れる経験をすると、
”水”そのものが恐怖の対象になりますよね。
それは、「溺れた」ときの苦しみが心の中に”実感”としてよみがえるからです。
そして、そんな苦しい思いはもうしたくないので、”水”には近づかなくなりますよね。

PD発作は、言い換えると、「み、水・・・・イヤ~~~!!」という風に、
水そのものに対しての拒絶反応のようなものなんです。

もしも、泳ぐことを誰かが側について教えてくれていて、
なおかつ、それが自分のものになっていたとしたら、
溺れることもありませんよね。
でも、水に入ること自体を恐れていたとしたら、泳ぐ事もまた不可能になってしまいます。

>>たまたま、華さんの命綱は”PD”だと診断されることだった、ということです。
> 最後の行だけがよく分かりません。ごめんなさい。
> 命綱がどうして私を苦しめるのでしょうか?命綱を引っ張って助けてもらうときに、引っ張られすぎて体に食い込んで痛い、
> というふうに思えばいいのかな・・・?

今までは、その命綱は有効だったんです。
でも、”感情”という海に近づけば近づくほど、パニックに陥る事は、
かえって溺れる要因を作り出します。

溺れるほとんどの原因が、身体が極度の緊張状態に陥ること、そしてパニックになることなんですね。
心の中にある感情は、たとえ溺れても死ぬことはありませんが、
それでも緊張すればするほど、苦しみは増すばかりです。

> この命綱はもういらないって思います。この嫌っている感じがダメなのでしょうか?

いいえ。外す時がきているだけですよ。

> 両親に期待してもダメな部分を諦めている気持ちもどこかにありますが、両親に愛されているのは実感できているつもりです。
> 彼から愛されているかは・・・自信を持てない状態です。

> それを感じようとすることって、すごく難しいように感じてしまいます。
> 失敗したら疑り深くなってしまいそうな感じで。間違ったものを見ていないかも心配です。

愛されていることを実感すること、これは実は”華さん自身が、彼らを愛する”以外に、
実感することはむずかしいんです。
そして、愛そうとするなら、心の中に押さえ込んできたネガティブな感情とも、
向き合うことが求められます。

たとえば、愛する人が目の前で溺れていたとしますね。
でも、華さんは水が怖い・・・
そして、自分が溺れた時の苦しみがよみがえってきて、どうしようもないように感じてしまう・・・
ここでの選択は、「過去の苦しみを恐れる」のか「その恐れを乗り越えて、相手を助ける」のか、ですよね。

彼との関係では、こういう状況が、心と心の間で起こっているんです。
彼の中では、「どうせ愛してくれない・・・」という感覚がつきまとっているかもしれません。

> でも、彼から言わせると、「時々とてつもないマイナスポイントを稼ぐ」んだそうです。
> それで、彼が心を開いてもいいかなぁって思い始めても、まだだめだ、って閉じてしまうようです。

ちょうど、こんなときですね。
彼も、華さんと同じように不安なんです。
でも、華さんが自分の不安に目をやっていると、彼の中にある不安を見落としてしまいます。

> あ~、でも、自分ではよくやったと思います。(「楓」での書き込みをもし読んで頂けたら少し分かって頂けるかもしれません。)
> ものすごく難しいことをやったような感じがしています。目に見える成果はないんですが・・・。

愛情を感じるハートの扉は、実は内側からしか開かないんです。
今まで、その扉を開ける練習をされてきたんだと思いますよ。

> 私はないものねだりをしがちだと思うんですが(彼にも良く言われるんですが)、
> 今あるものに感謝したりすることが、愛されていることを実感することにつながるのでしょうか?

そうですね。
感謝することは、その扉を相手に向けて開けなければできません。
ないものねだりというのは、「私にはハートを開けることは出来ないから、あなたが先に開いてね」と言うようなものですよね。

まずは、自分の中にある欲求を認めてあげること、
そして、過去にその欲求が満たされなくて、傷ついた自分に向き合うこと、
そのためには、前に書いた”意識する”ことがとても大切になってきます。
PDを意識するのではなく、「私は彼を愛している」という気持ちを意識することです。
恐れに飲み込まれそうになったときに、一番助けてくれるのは、
この誰かを愛そうとする意志なんですね。

勇気を持ってください。
傷ついた過去の傷に向き合うときには、私達がサポートします。
そうして、その傷を癒していくうちにハートが開いてきて、次第にリラックスできるようになります。
彼が華さんに求めているのは、故郷にいる華さんではなく、
心をオープンにして、リラックスしている華さんなんですよ。
それは、まわりの環境に関わらず、華さんがその気になれば、華さんの内側からかもし出されるものです。
彼を安心させてあげてください。
それが出来た時、華さんもやっと彼との愛にくつろぐことができます。

応援していますね。
カウンセリングも、いつでもお待ちしています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。