躁鬱を繰り返しています2

相談者名
ぷよぷよ
源河先生にお願いします。
お世話になったぷよぷよです。1つのトピックに記事数は4件までというルール違反にならないのかなぁ?と不安に感じつつも・・・どうしてもレスがしたくって新規投稿します。私たちは、多かれ少なかれ躁と鬱のような状態を日々くり返しながら、生きています。
肝心なのは、どんな波がやってきても、それに乗る事ができたり、その波が、今よりもっとより良い未来へ自分を運んでくれるんだ、と思う事ができるのか、感じる事ができるのか、なんですね。そう思えたり、感じたりできたらどんなにいいだろう!!と率直に思います。

その糸の先をつかみましょう。
前回もお話ししましたが、自然に敏感に反応したり、心の波を察知したり、というのは、ぷよぷよさんがとても”感受性”が豊かだということの表れでもあります。

自分の感受性の振幅を肯定的にとらえたことないかもしれません。忌まわしいもののように思っています。

そして、どれをとっても「自分」の感覚なんですが、実はそれを「他」に置き換えて見てしまうと、今の状況は変えていくことが出来なくなるんです。

医学書でみたら、「離人感」と書いてありましたが、私が鬱になるのはまさに先生がおっしゃる自分の感覚を「他」に置き換えることで現実から逃避しているんだと思います。
それがきっと子どもの頃から繰り返されているのです。鬱の症状が出始めたのは20歳前後からですが・・・

まずは、”すべては自分の心に起こっていること”そして、”これを変えていけるのは、誰でもない自分”なんだということに、注意を向けてみましょう。

今回の鬱で私の頭の中でのキーワードは、無責任な私・問題解決ができない私・依存的な私です。この言葉が形を変えエンドレスに頭の中で渦巻きます。嵐のように・・・そして私にはその力がない!!!!=一生繰り返す=自分自身の面倒もみれない!!=私の存在に何の意味があるの?です。自己肯定感が極端に低いし、一番信用できないのが自分なんだと思います。

ここに、ぷよぷよさんがただただ波に翻弄されてしまう原因が隠れているようです。
今の「陸地」はだんなさまや娘さんでしょう。でも、過去にはぷよぷよさんにとって、そこを離れたくなるような「陸地」があったはずです。

離れたくなるような陸地=自分の幼い頃の家庭です。父は、アルコールに頼るしかないアルコール中毒の父で、彼は私たち兄弟の中ではとても怖い存在でした。実際殴られたりということはあまり記憶にないのですが、母への暴力や楽しそうにしている母と私たち兄弟の時間を瞬時にして破壊する天才でした。私が中学生の時心筋梗塞で倒れてなくなったのですが、ホッとした。嬉しかったのを思い出します。毎日階下から聞こえてくる母を叱責する父の声が聞こえないようにヘッドフォンで音楽を聴いていた日々。父に狂気を見たように感じおびえていた日々から解放されたことを・・・今日から平和な日々が訪れると胸が弾んだことを思い出します。

だから、心が安定しなくなって辛い思いをされているんだと思うんです。
過去いたはずの「陸地」、それはそのお母様がいたぷよぷよさんのご家族ですね。

まさにその通りです。そしてそれからおそかりし反抗期に入り、母を守りたいという気持ちと今までの甘えられなかった気持ちや耐えてきた日々を取り返すために母に反抗する気持ちの相反する2つの気持ちに大きく揺れて20頃まで過ごしたように思えます。そんなこんなで大学へ行って仕事に就いた頃から鬱が始まりました。きっと母を求めていたんだと思います。でも、母には理屈っぽい私は受け入れがたい存在で素直な妹や弟ばかりがかわいがられているようで空しさだけが残ったのを覚えています。そしてその数年後交通事故で母は行ってしまいました。しかも加害者は、私の同級生です。きっとその時点でじっくり時間をかけて解決しなくてはいけなかったことを、全部ごまかしてきたことが現在の不安定の原因なのだと思います。

私たちは、どんなに抵抗しても自分の両親に似てくるものです。
そして、それは嫌えば嫌うほど、そうなることも事実。

私は、母ともにてきているように感じることがありますが、もっとも強く感じるのは、平和な団欒をぶち壊す父・・・に現在の家庭での私の位置を見いだす時鳥肌が立つほど自分に嫌悪します。自傷行為に出そうになるくらいです。そこまで発作的になれないのでそこで引きこもります。

でも、そのことを否定しつづけても、その影響を娘さんに与えなくて済むわけではありません。

そして何よりおそれているのは連鎖です。

ここでは「お母様」やお母様との関係を見直す必要があります。
娘としてされてイヤだったこと、お母様に対して感じてきた感情など、そこから目をそむけることにこだわるのではなく、よ~く見つめることに、こだわった方が「陸地」に早くたどり着く事ができます。

何度か自分で試みたことはあります。でも毎回失敗します。できたらすぐにでもカウンセリングを受けたいくらいですが、地理的に無理があります。何よりこんなにとりつかれたように過去を振り返りキーボードに向かっている自分に驚いてます。先生のレスを読んでから、本当にとりつかれたようにここまで打ちました。

実は、これが怖いから、海の上にずっといるはめになっているんですね。

まさにその通りです。そして海にいる間は、この世のどんな問題からも避けようとするし、何一つの決定もできなくなるのです。

心の中では、子供の頃のぷよぷよさんが今もしっかり生きています。
そして、心のなかに「陸地」を見出すことは、同時に「母親」という役割を、自分がしっかり認識するということでもありますよね。そうすると心の中の子供が、抵抗するんです。
「あんな母親にはなりたくない!」って。

どのレスもまさにその通りで興奮状態です。

現実では、ぷよぷよさんは母親なんですが、その現実に心を込める事を拒否してしまっている状態なんですね。

もっと最悪なのが、母性を求められる職業に就いています。だから、鬱の時本当に仕事が苦痛です。

躁鬱とい症状名に置き換えられている、ぷよぷよさんのそうした苦しい感情を、自分のものとして認め、受け入れていく、そして理解し癒していくことを、この躁鬱は、”心からのサイン”として、ぷよぷよさんに教えてくれています。

涙が浮かんできました。まさにその通りです。

影響を与える事を恐れるのではなく、愛することを喜びに変えていきましょう。

愛されることばかりを求めている私が、愛するということができるようになるのでしょうか?

お母様との関係を見つめ直してみませんか?
お役に立てましたら幸いです。

是非お願いしたいのですが、このような形でいいのでしょうか?支障があったら教えてください。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは。> お世話になったぷよぷよです。1つのトピックに記事数は4件までというルール違反にならないのかなぁ?と不安に感じつつも・・・どうしてもレスがしたくって新規投稿します。

一向にかまいませんよ。
ただ、掲示板という性質上できることに限度があるということだけ、
ご了承くださいましたら幸いです。

> そう思えたり、感じたりできたらどんなにいいだろう!!と率直に思います。

タイトルにも書いてくださっているように、
私たちは、「生きている実感」をなによりも求める生き物でもあります。
それは、自分自身のルーツの中にあったり、生い立ちの中にあったりします。
でも、それを見失ってしまうと、その実感が薄れていくんですね。

> 自分の感受性の振幅を肯定的にとらえたことないかもしれません。忌まわしいもののように思っています。

子供の頃というのは、私たちは誰でも感受性が豊かなものです。
でも、感じるばかりで、どうしようもないような現実に立ちはだかられたとき、
感じるばかりで疲れてしまうとき、自分の感覚を麻痺させるような防衛本能が働くんですね。
それは、生きていくためにです。

でも、だからこそ大人になった今だからこそ、その感受性を取り戻せる、
っていうことでもあるんですよ。
いろいろなことを理解を通して、癒していく事ができるのは、
大人になってからなんです。

> 医学書でみたら、「離人感」と書いてありましたが、私が鬱になるのはまさに先生がおっしゃる自分の感覚を「他」に置き換えることで現実から逃避しているんだと思います。
> それがきっと子どもの頃から繰り返されているのです。鬱の症状が出始めたのは20歳前後からですが・・・

もしも、自分の心がひどく傷ついていて、手の施しようがなく、
そして、それを診てくれる人もいなかったとしたら、
そして、それでも生きていかなくてはならなかったら、
無理もないと思いませんか?
心を見つめなおすのに、遅すぎるということはないんです。

> 今回の鬱で私の頭の中でのキーワードは、無責任な私・問題解決ができない私・依存的な私です。この言葉が形を変えエンドレスに頭の中で渦巻きます。嵐のように・・・そして私にはその力がない!!!!=一生繰り返す=自分自身の面倒もみれない!!=私の存在に何の意味があるの?です。自己肯定感が極端に低いし、一番信用できないのが自分なんだと思います。

感情を感じないように、感じないように、抑える手口で一番多いのは、
こうして、頭がぐるぐる考えようとすることなんです。
でも、好きでそう思っているわけではないでしょう?
これは、眠らせてきた感情を感じてしまう事を恐れているときに、
私たち誰もが、こういう状態になるんですね。

> 離れたくなるような陸地=自分の幼い頃の家庭です。父は、アルコールに頼るしかないアルコール中毒の父で、彼は私たち兄弟の中ではとても怖い存在でした。実際殴られたりということはあまり記憶にないのですが、母への暴力や楽しそうにしている母と私たち兄弟の時間を瞬時にして破壊する天才でした。私が中学生の時心筋梗塞で倒れてなくなったのですが、ホッとした。嬉しかったのを思い出します。毎日階下から聞こえてくる母を叱責する父の声が聞こえないようにヘッドフォンで音楽を聴いていた日々。父に狂気を見たように感じおびえていた日々から解放されたことを・・・今日から平和な日々が訪れると胸が弾んだことを思い出します。

それは、辛い過去があったんですね。
でも、想像してくださいね。
自分の父親が亡くなって喜ぶ子供は、実はいないんです。
でも、それぐらいの悲しみや絶望が、日々ぷよぷよさんを襲っていたんでしょう。

> まさにその通りです。そしてそれからおそかりし反抗期に入り、母を守りたいという気持ちと今までの甘えられなかった気持ちや耐えてきた日々を取り返すために母に反抗する気持ちの相反する2つの気持ちに大きく揺れて20頃まで過ごしたように思えます。そんなこんなで大学へ行って仕事に就いた頃から鬱が始まりました。きっと母を求めていたんだと思います。でも、母には理屈っぽい私は受け入れがたい存在で素直な妹や弟ばかりがかわいがられているようで空しさだけが残ったのを覚えています。そしてその数年後交通事故で母は行ってしまいました。しかも加害者は、私の同級生です。きっとその時点でじっくり時間をかけて解決しなくてはいけなかったことを、全部ごまかしてきたことが現在の不安定の原因なのだと思います。

まずは、そうするしかなかったご自分を認めてあげましょう。
そういった不安定な中でも、ご結婚されて娘さんにも恵まれ、お仕事もされている。
そうやって頑張ってきた自分を誉めてあげましょう。

> 私は、母ともにてきているように感じることがありますが、もっとも強く感じるのは、平和な団欒をぶち壊す父・・・に現在の家庭での私の位置を見いだす時鳥肌が立つほど自分に嫌悪します。自傷行為に出そうになるくらいです。そこまで発作的になれないのでそこで引きこもります。

私たちは、心理的に「大人になること」に対して、こうした抵抗感があります。
それは、昔、大人の代表選手だった両親に対して吐いてきたツバを、
自分がかぶるような感じがするからですよね。

ここでは、”どうして両親はああだったのか?”を大人の自分として理解していくことが、
とても大切です。
ご両親は、好き好んでそういった生き方をしていたわけではありませんよね。
それは、お父様に関しても同じです。

> そして何よりおそれているのは連鎖です。

私たちは、過去から学んで進化しつづける生き物です。
いいですか?
ぷよぷよさんが、その気になりさえすれば、その連鎖は断ち切る事ができるんです。
そして、そのためにも勇気を持ってください。

> 何度か自分で試みたことはあります。でも毎回失敗します。できたらすぐにでもカウンセリングを受けたいくらいですが、地理的に無理があります。何よりこんなにとりつかれたように過去を振り返りキーボードに向かっている自分に驚いてます。先生のレスを読んでから、本当にとりつかれたようにここまで打ちました。

人と人の間で出来てしまった心の傷は、これまた人と人との間で癒されていきます。
どれぐらい長い間、見つけてほしくずっと我慢してきた苦しみが、
ぷよぷよさんの心の中には、あったのか・・・
どれぐらい、待っていたのか、認めてあげてください。

> もっと最悪なのが、母性を求められる職業に就いています。だから、鬱の時本当に仕事が苦痛です。

私たちは、本当に悩み苦しんでいる問題に関しては、実はその事に対しての、
才能を持っている、ということでもあるんです。
お母様が、どれほどの愛情の持ち主だったのかを、理解する事ができれば、
それは、ぷよぷよさんも受け継いでいるものだと認識できますよ。

> 愛されることばかりを求めている私が、愛するということができるようになるのでしょうか?

意欲が必要です。
本当に、愛の必要性を知っている人が、だれよりも愛する力の大切さを知っていますよね。
ぷよぷよさんなら、大丈夫。できますよ。

> 是非お願いしたいのですが、このような形でいいのでしょうか?支障があったら教えてください。

いずれ、カウンセリングをご利用いただくのが、一番いいでしょう。
遠方の方のために、電話でのカウンセリングも行っています。
また、私たちの母体である神戸メンタルサービスの方では、メールでのカウンセリングも、
行っています。
でも、せっかくですから、その糸口をしっかりつかんでから臨まれるのがベストかと思われます。
また、お返事お待ちしていますね。

相談者名
ぷよぷよ
お返事ありがとうございます。

> > タイトルにも書いてくださっているように、
> 私たちは、「生きている実感」をなによりも求める生き物でもあります。
> それは、自分自身のルーツの中にあったり、生い立ちの中にあったりします。
> でも、それを見失ってしまうと、その実感が薄れていくんですね。

「生きているんだ!」という実感を躁状態の時はすごく感じます。でも、きっとその実感は幻なんですよね。もっと地に足がついた形で心の底から実感できるときというのが、ルーツを受け入れたときなのかもしれません。この時点で、自分にできるのかとても不安になります。

> それは、生きていくためにです。

まさにそうです。今日一日過ごせたら・・・という日々をエンドレスに繰り返してきたように思えます。私が絶望感を感じるときは、しんどいとき、この日常はエンドレスに続くのよ。の思いこみです。日々に変化があることに希望がもてなくなるときです。そして、変化は不幸(多くの場合が死です。子どもの頃から身近な人の死を連続で体験してきました)という形であらわれてきて、その不幸でも変化をもたらしてくれたことに救いを見いだすという矛盾した。

> > もしも、自分の心がひどく傷ついていて、手の施しようがなく、
> そして、それを診てくれる人もいなかったとしたら、
> そして、それでも生きていかなくてはならなかったら、
> 無理もないと思いませんか?

涙があふれます。もっとも気持ちが反応した言葉は、それを見てくれる人がいなかったとしたらです。そうです。あのころしんどくってしんどくってどうしようもなかったけど、その気持ちをぶつける相手はもちろん、悲しい顔をすることすらできずに、むしろピエロのように、クラスのおちゃらけキャラを繰り返していた自分。家で膝をかかえて階下の様子をうかがっている自分を人にさらすなんて事、たとえ6歳の私でも考えられなかった。家族の秘密
(恥)のように思っていたように思えます。物心ついてからや常識がわかるようになってからは、同情を買いたくない!と強がっていたように思えます。極端な負けず嫌いだからなおさら・・・

> > 感情を感じないように、感じないように、抑える手口で一番多いのは、
> こうして、頭がぐるぐる考えようとすることなんです。
> でも、好きでそう思っているわけではないでしょう?

もちろんです。でも、実際に家事や一般常識の不足というのはあり、いろいろな問題を解決する力が極端にないのも事実です。(どこかで、ちゃんとした家庭に育たなかったからと逃げることも多いですが事実としてそういう場合もあります。)だらしなくって怠惰な自分へのいいわけに、鬱を使うのかもしれません。鬱だからできない、無気力と考えると自分には納得いく理由が与えられるから・・・自分へいいわけしてるみたいです。

> これは、眠らせてきた感情を感じてしまう事を恐れているときに、
> 私たち誰もが、こういう状態になるんですね。

眠っている感情は、惨めな気持ちだったり、怒りだったり、恐れだったり、人をうらやむ気持ちだったり、どこかで自分より不幸な人を捜す気持ちだったり、意地悪な気持ちだったり
すっきりした気持ちが思いつきません。だからおそれるのですね。

> > それは、辛い過去があったんですね。

たぶん、3人目くらいです。そのことを話した人の・・・未だに隠しておきたいことです。そんな父もおびえていた私も。それがそもそもの原因ですね。

> でも、想像してくださいね。
> 自分の父親が亡くなって喜ぶ子供は、実はいないんです。
> でも、それぐらいの悲しみや絶望が、日々ぷよぷよさんを襲っていたんでしょう。

心が安まる時を知らない。いつこの不安が消えるのか検討がつかない。日々でした。きっと妹は幼かったから覚えがないだろうけど、弟も同様の気持ちだったと思います。

> > まずは、そうするしかなかったご自分を認めてあげましょう。

あの時点で、立ち止まるべきだった。というのも最近のエンドレスのテーマの一つです。
馬鹿げた考えで、そう思っても仕方ないんだけど・・・
そして、そう考えている間は、何一つ進まないことにも気がついているんだけど・・・

> そういった不安定な中でも、ご結婚されて娘さんにも恵まれ、お仕事もされている。
> そうやって頑張ってきた自分を誉めてあげましょう。

また、涙が出てきました。ほめられること何一つしてきてない。もエンドレスのテーマの一つです。不安定な15年間だった。そして何一つ積み上げてきていない、砂の城のようにもろい15年間そして、強くわき上がる壊したい!という破壊願望とすんでのところでくい止めている自分。(皮一枚でつながっている感覚です。)どこかで、何もかも捨てて逃げよう!という気持ちも出てきて・・・でも、そんな気持ちにもう何回となっている私が、まだここで皮一枚でつながっている事自分で認めてあげないとどこへも進めないですよね。
画面が見えないくらい涙があふれます。誰から認められることを求めているんだろう?と思っていたけど、その答えは自分だったのかもしれません。

> > 私たちは、心理的に「大人になること」に対して、こうした抵抗感があります。
> それは、昔、大人の代表選手だった両親に対して吐いてきたツバを、
> 自分がかぶるような感じがするからですよね。
> > ここでは、”どうして両親はああだったのか?”を大人の自分として理解していくことが、> とても大切です。

そうですね。今なら、少し母を父を理解できるのかもしれません。だって、あのころの母より私の方が情けない母だし、あのころの父の不安定さと同じくらい不安定に家族に当たっている私なのだから・・・

> ご両親は、好き好んでそういった生き方をしていたわけではありませんよね。
> それは、お父様に関しても同じです。

私と同じで、気が小さくって周囲ばかりが気になっていたんだと思います。もしかしたら連鎖だったのかもしれません。

> ぷよぷよさんが、その気になりさえすれば、その連鎖は断ち切る事ができるんです。
> そして、そのためにも勇気を持ってください。

断ち切りたいという気持ちと、もしそれを阻むものがあるとしたら・・・
以前に私が安定しているとき、楽しい団欒の時、ふと気がつく感情は、幸せな娘への嫉妬だったのです。どこかでその嫉妬心が団欒を壊す言葉になったりするように思えます。

> > 人と人の間で出来てしまった心の傷は、これまた人と人との間で癒されていきます。
> どれぐらい長い間、見つけてほしくずっと我慢してきた苦しみが、
> ぷよぷよさんの心の中には、あったのか・・・
> どれぐらい、待っていたのか、認めてあげてください。

今日も、またとりつかれたように、隣のソファーで試験勉強をする娘に気づかれないように(たぶん見て見ぬ振りをしてるのかもしれませんが)涙を流しながら、パソコンに向かっています。聞いてください!聞いてください!という感じです。先生からのメッセージ(レス)からのきづきと同様に自分の気持ちをはき出すことの大切さを感じています。

> > 私たちは、本当に悩み苦しんでいる問題に関しては、実はその事に対しての、
> 才能を持っている、ということでもあるんです。
> お母様が、どれほどの愛情の持ち主だったのかを、理解する事ができれば、
> それは、ぷよぷよさんも受け継いでいるものだと認識できますよ。

遠い道のりですね。母は、ある意味不器用ながらこてこての愛情深い人でした。でも、その矛先が1/3以下(兄弟が3人いるので)だったと私が感じていることに問題があるのかもしれません。

> > 意欲が必要です。
> 本当に、愛の必要性を知っている人が、だれよりも愛する力の大切さを知っていますよね。
> ぷよぷよさんなら、大丈夫。できますよ。

がんばります。

> > いずれ、カウンセリングをご利用いただくのが、一番いいでしょう。
> 遠方の方のために、電話でのカウンセリングも行っています。
> また、私たちの母体である神戸メンタルサービスの方では、メールでのカウンセリングも、> 行っています。
> でも、せっかくですから、その糸口をしっかりつかんでから臨まれるのがベストかと思われます。
> また、お返事お待ちしていますね。

次回お返事をいただいても、続けてメールしたいのですが、この形でいいのでしょうか?
これからもよろしくお願いします。

P.S.たぶん一時的になのかもしれませんが、日常にも幼児期のこと両親のことが浮かんできます。鬱が一見深まったように感じるのですが、心はいろいろ考えることを欲しているように思えます。現実との兼ね合いのこつ教えてください。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、ぷよぷよさん。> 「生きているんだ!」という実感を躁状態の時はすごく感じます。でも、きっとその実感は幻なんですよね。もっと地に足がついた形で心の底から実感できるときというのが、ルーツを受け入れたときなのかもしれません。この時点で、自分にできるのかとても不安になります。

私たちは、”無感覚”や”退屈”といった、生気のない状態を実は、
なによりも嫌っているんです。
そして、「感じる」ことができるなら、それがたとえ苦痛であったとしても、
求めてしまう傾向にあります。

こう、決めてみましょう。
「幸せになりたい、幸せを実感したい」と。

> 子どもの頃から身近な人の死を連続で体験してきました)という形であらわれてきて、その不幸でも変化をもたらしてくれたことに救いを見いだすという矛盾した。

誰かが死ぬと、「泣く」ことができますよね。
「悲しむ」ことが許されますよね。
私たちは、心の中と、現実とのギャップを埋めたいんです。
それが、「幸せになりたい」という願いなら、現実をその方向へと向かわせようとしますよね。
そして、ぷよぷよさんの心の中には、まだ処理されていない「悲しみ」が、
たくさん詰まっていることの裏返しでもあります。

> 家族の秘密(恥)のように思っていたように思えます。物心ついてからや常識がわかるようになってからは、同情を買いたくない!と強がっていたように思えます。極端な負けず嫌いだからなおさら・・・

ぷよぷよさんは、長女なんですか?
家族がそんな状況にあることに、すごく罪の意識があったんですね。

> もちろんです。でも、実際に家事や一般常識の不足というのはあり、いろいろな問題を解決する力が極端にないのも事実です。(どこかで、ちゃんとした家庭に育たなかったからと逃げることも多いですが事実としてそういう場合もあります。)だらしなくって怠惰な自分へのいいわけに、鬱を使うのかもしれません。鬱だからできない、無気力と考えると自分には納得いく理由が与えられるから・・・自分へいいわけしてるみたいです。

私達が実は、一番恐れていること、
それは「幸せになること」なんです。
口では、頭では、簡単に幸せになりたい、と誰もが言います。
でも、そこにはたくさんの足を引っ張る感情があって、
そのイヤな感情を感じるぐらいなら、不幸でいいわよ、って誰もがやっちゃうんですね。

> 眠っている感情は、惨めな気持ちだったり、怒りだったり、恐れだったり、人をうらやむ気持ちだったり、どこかで自分より不幸な人を捜す気持ちだったり、意地悪な気持ちだったり
> すっきりした気持ちが思いつきません。だからおそれるのですね。

「感じたい」という欲求をもつのに、実はそれが一番怖いものでもある・・・
でも、感情は感じてしまえば、変化します。
まずは、その溜まっている感情を解放することから、始められるといいですよ。

> たぶん、3人目くらいです。そのことを話した人の・・・未だに隠しておきたいことです。そんな父もおびえていた私も。それがそもそもの原因ですね。

ずいぶんと耐えてこられましたね。
でも、その分ぷよぷよさんの心や理解する力は、とても成熟されていますよ。

> 心が安まる時を知らない。いつこの不安が消えるのか検討がつかない。日々でした。きっと妹は幼かったから覚えがないだろうけど、弟も同様の気持ちだったと思います。

何事もないように明るく振舞うぷよぷよさん。
当時は、兄弟を守らなきゃという意識も働いていたのかもしれませんね。

> (皮一枚でつながっている感覚です。)どこかで、何もかも捨てて逃げよう!という気持ちも出てきて・・・でも、そんな気持ちにもう何回となっている私が、まだここで皮一枚でつながっている事自分で認めてあげないとどこへも進めないですよね。
> 画面が見えないくらい涙があふれます。誰から認められることを求めているんだろう?と思っていたけど、その答えは自分だったのかもしれません。

よく、耐えてきてくださいましたね。
でも、もう楽になってもいいんです。

> そうですね。今なら、少し母を父を理解できるのかもしれません。だって、あのころの母より私の方が情けない母だし、あのころの父の不安定さと同じくらい不安定に家族に当たっている私なのだから・・・

今からのご家族の幸せのためにも、まずはぷよぷよさんが、
楽になる事です。
心は、頭でいくら理解しても納得はしてくれないんですね。
でも、溜まっている感情を「感じる」ことを通して、理解していくと、
「あ~、もしかしたら両親もこんな感情を持っていたのかもしれない」
「これじゃあ、無理もないよな~」
って言う風に、過去を違った目で見ることができるんですね。

> 断ち切りたいという気持ちと、もしそれを阻むものがあるとしたら・・・
> 以前に私が安定しているとき、楽しい団欒の時、ふと気がつく感情は、幸せな娘への嫉妬だったのです。どこかでその嫉妬心が団欒を壊す言葉になったりするように思えます。

お父様は、もしかしたらそういう気持ちになっていたのかもしれませんね。

> 次回お返事をいただいても、続けてメールしたいのですが、この形でいいのでしょうか?
> これからもよろしくお願いします。

ここでは、より多くの方にカウンセリングを知っていただきたい、という主旨ものもとで、
掲示板のかたちをとらせていただいています。
そんな中で、より深く内面を見つめたり、感情を解放していくのは、
少し無理があります。
ぷよぷよさんが、本当に「陸地」を目指されるのであれば、
私たちは、個別にじっくりと向き合う事のできるカウンセリングをおすすめしたいと思います。
もちろん、無料ではありませんが、もしも無料をご希望の場合も、ボランティアグループも、待機しております。(電話カウンセリングです)

メールでのカウンセリングをご希望の場合は、神戸メンタルサービスのサイトにて、
受付をしていますので、よくご覧になられた上で検討いただければ幸いです。
(トップページの下の方に、リンクを張ってあります)

まずは、なんとかしてみよう、と選択することが大切です。
そして、ぷよぷよさんのその意志がなければ、前に進んでいく事は難しくなりますし、
逆にその意欲さえあれば、乗り越えられない悲しみも、苦しみもありません。
そのサポートをさせていただけることを願っています。
どうかご理解のうえ、よろしくご検討くださいますようお願いします。

> P.S.たぶん一時的になのかもしれませんが、日常にも幼児期のこと両親のことが浮かんできます。鬱が一見深まったように感じるのですが、心はいろいろ考えることを欲しているように思えます。現実との兼ね合いのこつ教えてください。

感情が動き出すと、頭は自分に起こっている事を処理、消化しようとして、
しきりに働き出します。
一番いいのは、それをなんとかしようとしないこと、です。
もしも、そこでなにかしらの感情が沸き起こってきたら、ただ感じてみましょう。
抑えようとするのは逆効果ですし、かといって考えるばかりでは疲れてしまいますよね。
浮かんできたイメージの場面で、自分が「なにを感じているのか、感じていたのか」に目を向けると、
出すことが可能になってきます。

でも、なんでもひとりでしようとしないでくださいね。
だんなさまとコミュニケーションしていくのも、とっても大切なことですよ。
それでは、またお力添えさせていただけるよう、ぷよぷよさんのご連絡をお待ちしていますね。

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