古新聞と暮らした女

 夏に相応しい少々ホラーなお話です。
 心臓の弱い方、大塚カウンセラーがとてつもなく素晴らしいと思っていらっしゃる方は、決してお読みにならないでくださいね。
 しばらく前まで、わたしの部屋は「新聞」でいっぱいでした。
その量は、約5・6年分。部屋の四分の一は新聞に埋もれていたのです。
新聞とは言っても、数年熟成させたら立派な「古新聞」。陽の光に焼かれてすっかり変色した山積みの古新聞と暮らす女…ホラーでしょう。
 ではなぜ、わたしがそこまで大量の古新聞を溜め込むに至ったのでしょうか。そこには数年間の心の軌跡があったのです。
 かつてのわたしには、読み物の中で新聞が一番落ち着くと思える時代がありました。
新聞の文章には客観性があり、誤字・脱字のない適切な日本語が用いられています。
本を作る仕事をしていた当時のわたしにとって、新聞の文章は安定と安心を感じさせてくれたのでした。
新聞を毎日読み切ることができなくても、休日に一週間分をまとめて読んで楽しみ、充実感を味わう日々があったのです。
 ところがある日、職場で心が折れるような出来事が起こり、文章を読むことが苦痛で仕方なくなってしまいました。
新聞を定期購読しても、見るのはテレビ欄だけ。本文は未読なので、いつか読もうと部屋の隅に積み上げていきました。
時折、まとめて数日分を読み切って片付けることはありましたが、読み切る量は月日の経つ早さ(新聞が発行される速度)に追いつくことはなく、日に日に未読新聞の山は高くなり、部屋は新聞に占拠されていったのでした。
 人にこの話をすると、「読まないのならば処分すればいい。」「購読を止めればいい。」そう言われました。
ごもっともです。
でも、わたしにはそうできなかったし、したくなかったのです。
傍から見たら理解不能なほど、新聞に執着していました。
 この頃、わたしの心の中で何が起きていたのでしょう。古新聞に囲まれて考えていたら、三つのことがわかりました。
 一つ目は、新聞を「読まずに捨てる」という行為に関する感情。当時、わたし自身が本を作ることに相当のこだわりをもっていましたから、「読まずに捨てる」ことを自分がしてしまうと、自分が丹精込めて作った本も開かれもせずに放っておかれるような気持ちを感じていたようです。
新聞記者さんたちの想いを軽々しく扱ったら、まるで自分も適当に扱われるように感じる、心理学でいう「投影」がありました。
 二つ目は、「購読を止められない」理由。わたしにとって、新聞は社会性の象徴だったようです。
心が折れて文章も読みたくなくなり、社会とのかかわりを避けるようにしていた一方、社会と距離ができることが不安で怖かったようです。
新聞を購読することで、社会との関係を維持していたかったのでしょう。
 三つ目は、一つ目・二つ目に挙げた「心が何を求めていたのか」をわかっていながら、それでも古新聞を処分できなかったわけ。職場で起きた心が折れた出来事に対して、わたしはとても怒っていました。
とにかく「正しさ」が味方に欲しかったのです。
それが、物質的には「新聞」という形でした。
客観的で誤りのない事実を掲載する新聞は、わたしにとって目に見える「正しさ」でした。
たぶん、わたしが溜め込んだ新聞の量は、わたしが求めた正しさの量に比例していたのでしょう。それほどの量の正しさがないと、「わたし悪くない」と証明できないと思い込んでいたのです。
 これらのことに気がつけた時に、初めて「もう処分してもいいかな。」と思えたのでした。
新聞本来の目的とは異なった使い方となりましたが、大量の古新聞は数年間わたしのこころを支える働きをしてくれていたのでした。
ここまで納得して、ようやく古新聞に感謝して手放すことができるようになりました。
 部屋の状態は心のあり方を映し出すということ、それが実体験を伴って腑に落ちた経験でした。
心理学は体で学ぶ派として、今後も我が身を素材に臨床経験を重ねていこうと思います。
すでにおわかりいただけたかと思いますが、この「古新聞と暮らした女」のお話は「片付けられない女」の言い訳ではありませんよ。あくまで臨床経験、臨床経験(ということにさせてください…)です。
どんな経験からも得られるものはあります。
できるなら、楽しみながら見つけたいと思う大塚なのでした。
 最後までお読みいただきありがとうございました。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

自己嫌悪セラピスト。心理学ワークショップ講師(東京・仙台) 「自分が嫌い」「自分はダメ」「私は愛されない」などの自己否定、ネガティブな感情・思考をリニューアルし、自信や才能・希望へと変換していく職人。生きづらい人の心が楽になる気づきや癒しを提供。テレビ・Web記事の取材にも多数協力。

1件のコメント

  1. 大塚さんにそんな過去があったんですね。意外な感じもしつつ、大塚さんのことを少し知れてよかったです。
    タイトルにインパクトがあって惹かれました。
     私も今朝、3年ほど執着の象徴になっていた家具を手放しました^^