●夏の思い出

夏真っ盛りで暑い日が続いていますね。
このコラムを読まれる方の中には、お盆に長期のお休みを取られた後に読んでくださる方も多いと思います。
お休みは、どのように過ごされましたか?
そして、この夏は、どんな思い出ができましたか?

先日僕は、夏ならではのイベントである、海水浴に行ってきました。
僕と、奥さんと、友達3人というメンバーで行く、”大人の海水浴”でした。
「海行こうよー」と友達からのお誘いがあり、「そういえば、長い間海水浴には行ってないなー」「久しぶりに行ってみようかな〜」と軽い気持ちでOKしたのですが、行く準備をしているうちに、だんだんウキウキワクワクしてきて気分が盛り上がり、前の日の夜は興奮して眠れないくらいでした。
当日は、海辺に近づくにつれて潮風がそよぎ、海の匂いが強くなるほどに、ドキドキワクワクも強くなっていきました。
海岸に着いて、着替えて、みんなで手分けをして荷物を運んで、場所取りして、パラソル広げて、マットをしいて、はやる気持ちを押さえて浮き輪を膨らませて……
やることの全てがもう楽しくて楽しくて仕方がありません♪
そして、準備が整ったところで、みんなで一斉に海に入ります。
海に入ってワーワーキャーキャー騒いで、水の感触を楽しんで、浮き輪でプカプカ漂って…
その時、「楽しい〜〜♪」とそれを楽しんでいる自分がいるのと同時に、「いい大人が何をやってるんだろう」と冷静に客観的に少し離れて見ている自分がいました。
元々、僕の中には、「海水浴は子供がすること」「浮き輪は泳げない人が使うもの」「大人ははしゃいじゃいけない」という思い込みがあったんですね。
「せっかく来たんだから楽しまなきゃもったいない」とばかりに、この思い込みを一旦リセットして、「楽しい〜〜♪」モードで、その楽しさを満喫していました。
浮き輪でプカプカすることが、こんなに楽しくて気持ちいいことだなんて、知りませんでした。
イルカの浮き輪に乗るのがこんなに難しいなんて、知りませんでした。
大人だけの海水浴がこんなに楽しいなんて、知りませんでした (≧▽≦)

海からあがり、みんなでお弁当を囲みながら話をしていると、妙に昔の記憶がよみがえってきました。
家族で海水浴に行った時のこと。
海の家で買ってもらった焼きイカやかき氷がおいしかったこと。
父親が海が好きで、やたらと素潜りをしていたこと。それを自慢していたこと。
ある時、僕が父親よりも長く潜っていることが出来た時があって、その時の父親の驚きや焦りや寂しさと喜びが混じりあった複雑な表情。。
ずっと長い間忘れていたことが次々と思い出されると共に、胸が熱くなります。
僕の中では
「お父さん=遊んでくれない人」
になっていたのですが、実際はそうではなかったことに気づきました。
思い出せなかっただけで、無かった訳ではなかったんです。
父親が遊んでくれた思い出をひとつ思い出すと、次々と別の思い出も思い出します。
釣りに連れて行ってもらったこと。
近所の山に一緒に登りに行ったこと。
宝塚ファミリーランドという遊園地の中にある電車館が大好きで、連れて行ってもらっては100円をもらって鉄道模型を走らせたこと。。
いっぱいありました〜(*^_^*)

これらのことを思い出す前は、父親に遊びに連れて行ってもらった思い出や、それが楽しかったという印象は、僕の中にはほとんどありませんでした。
なぜだか父親が遊びに連れて行ってくれなかったことは覚えていて、そこから
「父親=遊んでくれない人」
 になっていたんです。
僕の父親はサービス業の仕事をしているので、平日が休みで、仕事の時は、昼に出掛けて夜中に帰ってくる生活をしていて、土日祝や盆や正月といった世間が休みの時が忙しい、という感じでした。
子供の頃の僕にとっての「お父さん」は、朝学校に行く時には寝ていて、学校から帰ってくると家にはいなくて、日曜日も祝日も、夏休みや冬休みも寝ているか、家にいない… そんな人でした。
そして、まわりの友達が「今度の休みにお父さんにプールに連れて行ってもらうんだ〜」とか、「今度の夏休みに家族みんなで旅行に行くんだ〜」と話すのを、とってもうらやましく聞いていました。
子供時代の出来事や、当時のお父さんなりの事情や、できなかった理由などを頭では把握して理解していました。
しかし、「遊んでくれなかった」「連れて行ってくれなかった」「いなかった」という印象が強く残っていて、自分を寂しくさせたり悲しくさせたたりしたお父さんへの不満や怒りや憎しみといった感情が残ったままになっていました。
思い出せなかったことを思い出したことで、「もう大人だから」「過去の出来事だから」とそのままにしておいた自分の中のそのドロドロとした醜い感情が、その過去の記憶と「うれしかった」「楽しかった」というポジティブな感情で、洗い流されたような感じです。
洗い流されてきれいになった心の中のその部分は、やわらかさとあたたかさを取り戻し、そこから、父親への感謝の気持ちが次々と溢れ出てきます。
そして、
「子供と遊んであげられなくて、一緒に過ごす時間が少なくて悪いな」
その申し訳なさ。
『子供の好きなこと、喜ぶことをしてあげたいな」
不器用でヘタクソだけど、それでも与える姿勢。
「まだまだ子供だと思っていたけど、いつの間にか成長しているんだな」
寂しかったり悔しかったりするけれど、それでも心から僕の成長を願う、純粋で強い想い。
「そしていつかは自分を超えていくんだな」
成長を感じた時の寂しさと喜び。
「自分を超えるような立派な男になって欲しい」
一緒に過ごす時間は少ないけれど、それでもいつも僕を見守ってくれているその眼差し。
といった、僕が子供の頃の父親が感じていたことや持っていた想いというのが、頭での理解を遥かに超えて、ハートで感じて、本当にわかることができました。

この「本当にわかったこと」というのは、僕にとっての大切な大切な宝物です。
海水浴に行くだけで、こんなに大切な宝物を手に入れることができるなんて夢にも思わなかった僕にとっては、本当に大きな驚きと喜びでした。
さらに、今度はこの宝物を持って父親に会うという、新たな楽しみもオマケとしてついてきたのでした(^^)v

海水浴に行って楽しかったこと。
とてもとても大切な宝物を手に入れたことと、胸のあたたかさ。
そして、日焼けして火照った体。
これが僕の、この夏の思い出なのでした。
みなさんには、どんな夏の思い出ができましたか?

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