物の価値を大切にする『心』-今在る現実が教えてくれること

昨年秋アメリカから始まった経済ショックは、瞬く間に世界中に広がり、TV
や新聞には毎日のように、見る側の不安を更に大きくするような記事が、並ぶ
なか、2008年度の決算期を迎えようとしています。
経済の混乱が政治の混乱を呼んだのか、国の舵取りをしている筈の政治家さん
達も、他の国から集中砲火を浴びるような状況だったり・・・
「この先どうなるんだろう」と、日本丸に乗っている私達は、益々不安が
大きくなっているような気がしませんか?


心理学では、『今在る現実は、自分達が作ったもの』と言う考え方をします。
1人1人の現実を、それぞれの人が作ったんだとしたら、国の現実やこの世界の
現実は、誰が作ったんだろう?TVのコメンテーターの話を聞きながら、
そんなことを考えました。
心理学の考え方でいけば、日本という国の現実は、そこに住んでいる私達が、
作ったと言うことになります。この世界の現実は、この地球に住んでいる人
全員で作ったと言うことになるんですね。
「じゃあ世界中の人達が、こんな現実を望んだの?」、意識の部分では
「NO!」ですよね。少なくとも不況になって喜ぶ人はいないし、生活や日常
に不安を感じながら生きて行きたいとは、誰だって思わないでしょうから。
それでも『現在の不安定な状況を、私達が作った』としたら、「そこにはどんな
意味があるんだろう?」「何を、私達に教えようとしているんだろう?」そう
考えてみたんです。
20世紀は『物質の時代』と言われ、様々な技術や発明が次々に生まれ、この
100年間の進歩は目覚しいものでした。移動するために作られた電車・船・
車・飛行機は、物を運ぶために発達し経済を発展させました。
電化された生活は、私が生まれた頃から比べたら、信じられない位便利で快適に
なっています。
日本は、戦後の大きな転換期を見事に乗り切って、高度経済成長の時代を経て、
『お金持ちの国』になり、物は溢れ本当に便利で、安全で、豊かな国になった
ように見えました。
その時代を支えてきた人達には、「豊かになりたい!」と言う思いが強くあった
だろうなと思います。
その恩恵を受けて育ってきた私達の年代にも、物質的な豊かさは強烈な印象で
刻み付けられています。丁度映画の【3丁目の夕日】の中の、子供達のように、
私が子供の頃、初めてTVを見た時の衝撃(まさにそんな感じでした(笑))
や、初めてクーラーが付いた時の感動(オーバーではなく(苦笑))は、
何十年たっても、鮮やかに記億に残っています^^
生活が便利になった快適になった、そのことが本当に心から嬉しかったんです。
ところが私が親になった頃には、どんな便利な物が現れても、「当たり前」
なっていたし、衝撃も感動もなくなっていたんですね。
どんな物も「あって当然」のように、感じるようになっていた気がします。
『便利』も『安全』も『豊かさ』も、ちゃんと感じてられていただろうか?
と言うと、情けないことにすっかり忘れてしまっていたような気がするんです。
『物質的な豊かさ』と言う意味では、日本は世界でも有数の国になりました。
でも・・・「本当に豊かになったんだろうか?」と思っている人は、案外多い
んじゃないでしょうか。私はよくそう思います。
『本当の豊かさ』って、どんなものなんでしょう?考えたことはありますか?
私は・・・『心が豊かであること』なんだろうって思っています。
便利な物が沢山出来て、私達の生活を楽にしてくれたのに、段々とそれに慣れ
それを生み出してくれた人達への、『感謝』の気持ちも忘れてしまって、
私がチャンと伝えられていなかったら、子供達や孫も『感謝』の気持ちは
持てないだろうな、子供を持ってみて孫が産まれてみて、そう思うように
なりました。
どんな物も、生み出してくれた人・作ってくれた人・届けてくれた人がいます。
私が小さい頃は毎日ご飯を食べる時に、「残したら作ってくれた人に申し訳ない」
そう言われていたなぁって、『心が豊か』でいたら、便利になったことも、
安全に暮らせることも、豊かな生活を送れることも、大切に感じられるし
『感謝』の気持ちを、持っていられるはずなのに・・・
「それを忘れてしまっていたかもしれないなぁ。」って思ったんですね。
物のありがたみを感じる『心』が、働かなくなっていた気がしました。
『現在の状況を、私達が作った』んだとしたら・・・
私達が、「今この状況をどう捉えるか!」「どういう風に使えるか!」と言う
ことなんじゃないかな?そう思えました。
「景気がよくない」「先行きが不安」そんな言葉に煽られるように、右往左往
して「どうしようどうしよう」と、暗い気持ちになっていく前に考えて
みませんか?
今ある物で、私達は「どれだけ幸せだったか!どれだけ満たされているか!」
今ある物に感謝して大切にしていけば、ネガティブに考えてしまったり、不安に
かられるのではなく、見方も受け取り方も変わるんじゃないだろうか?
そう思えたんですね。目に見える物の価値すら、大切に出来ないとしたら、目に
見えない心や感情の有り難味は、もっと放っておかれていたのかも知れないって
思えたんです。人も心も物も、その価値は『大切にしようと思う心』があって
こそ、感じることが出来るものなんじゃないでしょうか?
体が、使わなければ衰えていくように、『心』も使わない部分は、段々と
働かなくなって、気がつかないうちに麻痺してしまうんだなぁ・・・
そんな風に感じました。
だから今はチャンスだと思ったんです^^『本当の豊かさ』を手に入れる!
物の価値を見直すことから、『大切にしようと思う心』を、もう1度思い出す
ことも、新しく根付かせることも、出来るんじゃないか!そう感じています。
『ピンチは最大のチャンス』、スポーツではよく使われる言葉ですね^^
不安定な状況に、一喜一憂したり落ち込んだりしていても、状況が変わる
訳ではないですよね^^;むしろその渦に巻き込まれてしまうだけ。
「このチャンスをどう生かそう」、そう思ってみたらどうでしょう^^
これまで当たり前だった、『便利』や『安全』や『豊かさ』の価値を、ついでに
『楽』や『普通』も!他にももっと!あるかも知れません。
当たり前と思っていた、『価値』を、改めて見直してみてはどうでしょう?
子供や孫の世代は、生まれた時から便利な世の中でした(苦笑)、物の価値を
大切にしてもらおうと思ったら、『大切に感じる心』を育てていかなければ
いけないんでしょうね。
人は、自分が経験したことがないと、実感するのは難しいと言います。
今当たり前にある物が、「なかったとしたら?」「使えないとしたら?」
なんて、想像力を働かせるのも難しいんだろうなぁ^^;って思いました。
彼や彼女達は、『当たり前だと思う心』を持って、育ってしまっただけ
なんですよね。
私も人や物を大切にしたい(大切にしているつもりでいたんですよ(苦笑))
し、当たり前の時代に生まれて来た彼や彼女達にも、人や物の『価値』を
大切に出来る『心』を持って、生きて行って欲しいなぁって思います。
そのために今出来ることを、カウンセリングの場でも、日常の生活の中でも、
やっていきたいなぁと思っています。
「今後どうなるんだろう・・・」と不安に駆られた時があって、「よかった」
って思います。そのお陰で忘れていたことを、思い出させてもらえました^^
状況はどの様に風に変わっていくか分かりませんが、その時々に「そこには
どんな意味があるんだろう?」「今のこの状況は、何を教えようとして
いるんだろう?」そんな風に思って眺めてみると、必ず何か見つかると
思います^^
今ある現実は、『今の私達に必要なもの』を教えてくれている、それを
『心』で受け取っていけたら嬉しいな^^そう思っています。
 
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

家族関係・対人関係・パートナーシップ・自己肯定自己実現を得意分野とし、がん看護・認知症介護の経験から医療・福祉関係にも精通している。 深層心理への唯一のアプローチである【感覚・感情】を解放する、癒しのスペシャリスト。 「体感で楽になった」「腑に落ちる」「納得がいった」と好評をえている。

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