○風の香り 〜個性とともに生きる〜

 朝、外に出た瞬間にふわぁっと流れてきた、金木犀の香り。
 いつもの街角で、炒りたてのコーヒーにパンの焼ける匂い。
 どこかのおうちの晩御飯のお味噌汁。秋刀魚の煙。
 街のにおいの成分は、きっとこんなありふれた生活でできているのに違い
ありません。


 におい、かおり、をそんなに日常的に感じて生きているわけではないのです
が、ふと通りすがりのお店のお好み焼きや揚げたてのコロッケの匂いにつられ
て…(如何にも神戸の下町って感じですが)高校生の頃、よく寄り道したわ、
なんて思い出が。
 今朝、表に出た瞬間に甘く懐かしい金木犀の風が、ほんの一瞬、子供の頃の
近所の垣根の風景をつれてきてくれた気がしました。
そう、季節季節の花が、あちこちから風に彩りを添えてくれていたように、
見えた気がした。忘れていた感覚を思い出していました。
 What A Wonderful World と言う大好きな曲があり
ます。
ルイ・アームストロングの渋い声が、世界の美しさを歌っているのですが
(色んな人のカバーがあるようです)
メロディーの美しさ、詞のやさしさ、そしてあの声の温かさが、
「本当に、世界が美しい」と感じさせてくれるって思うんです。
 五感が発達しているらしく(ただ、すごい近眼なんですけどね)、
匂いにも敏感だし、耳もよくて、そう、オージオメータと言う聴覚を調べる
機械があるのですが、間違ってミニマムになっていたのに検査してくれていた
方も私自身も気付かず、、、
しっかり聞こえていて驚かれたこともあるくらいで、また、いわゆる音感も良
い。
でもこれって私自身の努力でも何でもなく、ただ両親から引き継がれた素質に
由来していると思います。
その素質をね、本当に活かしているのかなあ、と思う今日この頃。
 好きこそものの上手なれ、とも言うし、下手の横好き、とも言います。
持って生まれた能力の差や環境で、自ずから異なってくる生き方はあるかもし
れません。
好きだからと言って志しを徹せるかと言うと、そうとも限らないのは、
人生経験を通して私たちはたくさん学んでいます。
かといって「どうせ無理」「こんなもんよ、私の人生なんて」って思うのは
ちょっともったいないな、と思ったりします。
 好きなその世界で、大成功することはとても難しいかもしれません。
いくつもの夢が、シャボン玉のように「壊れて消えた」今までの人生かもしれ
ません。
でも、好きなことをやってみたのとそうじゃないのでは、
きっと人生そのものの、輝きや彩り、「香り」が違うのだ、と思います。
 人生の折り返し地点を過ぎて振り返ってみると、成功より遥かに多い失敗。
それ以上に多いと思うのは「無理」とあきらめてしまったこと。
あきらめてしまうには理由も事情もあったわけですが、
でも取りあえずチャレンジしてみたことは、今となれば苦い思いより、
なんだか楽しく思えるものだなあ、と思います。
この間も友人達と話していて、偶然同じ大学の同じ学部学科
(またローカルな所なんです。)を受験してみごと玉砕した(笑)仲間がいる
ことをはじめて知り(それも二人もいっぺんに!)、年齢も違うのですが、
もしかしたらその業界で同業者やったかもな〜と思ったり、そこに行っていた
ら三人とも今の行き方はしてないだろうし、二人は最近それぞれ結婚したとこ
ろだから、今の奥さんや旦那さんにも出逢っていなかっただろう。そんなこと
を思いました。
 音楽でご飯が食べられたらな。そんな夢を持っていた時期もあって、稼ぐお
金の大半は音楽に費やしていたな。
でもあの時代、楽しかったな。でもこんな知識やセンスなんて自分や友達を楽
しませるくらいしか役には立たない。そうずっと思っていました。
まさか、セミナーやセラピーで活かせるなんて、ね(笑)。
そうそう、後、私の場合は、カウンセリングサービス事務所スタッフの後輩K
さんとのカラオケに。二人で行くと、いったいどっちがどっちやねん、と言う
選曲になって、わけがわからん(ちなみに年齢差は15歳)。
Kさんがまた渋い持ち歌を持っているもので(笑)。
 個性とは、必ずしもポジティブな面だけが表に出るわけではないと思うので
す。日常生活や職業、家庭生活、地域での暮らし、、、いろんな場面で、時に
はちょっと手間が余分にかかったり、あんまり楽ではなかったり、時にはいわ
ゆるハンディキャップであることもあるかもしれません。
ハンディキャップと言っても手間を厭わなければ特に問題にならない事だって
ありますね。私自身、軽い障害があるのですが、まあ、手間は少々かかるけど、
日常生活レベルでは一見何の不自由も無いように思われがち。実際は痛みや不
便さがあまりにも当たり前なので、不自由とも思っていないだけなのですが、
例えば靴を買おうと思うと結構至難の業だったりします。
なぜならば、左右差があり・・・大きさだけではなく、変形があるので
オーダーすればいいのでしょうが、足に合った靴あるいは合わせられて洋服を
選ばないとなると結構選択の範囲が狭くなります。
足の長さも違うので、一見はほとんど分からないのですが、どうやら腰骨で調
節しているらしく、背中と肩の凝りは慢性的です。
でも、不自由か?と言うと本人はそんなには不自由には感じていないのですね。
 実のところ、自分の足の不具合や、「この体」であることで不自由、と言う
よりむしろ自分に制限をかけていることがたくさんあった、と言うことを最近
良く感じ出しました。
物理的に困難である、と言うこと以外にも、「しない理由」「出来ない理
由」にこのことを使っていることもあるのですね。それが気にならないのなら
問題は無いのですが、気にしている・・・という事が大問題なんだ、と言うこ
とに気づきました。
でも、この仕事をしてゆく中で、これは「私らしさ」のひとつでもある、と心
から感じるようになってきました。不自由さもまた、個性、と。何で不自由か
と言うと、社会で生きてゆくにはマジョリティ・・・
社会の多くの人たちの「規格」と自分の「個性」がすり合わせが難しいくらい
に違っている場合があるからですね。
その差を出来るだけ少なくする考え方が「ノーマライゼーション」ということ
なのかもしれません。
何かに取り組むとき、向き合うとき、「持つ者」「持たない者」がそれぞれの
個人にとって、ともに出来るだけ近い条件で向き合えること、と思っているん
ですが、現実の社会を見ているとなかなかそのようにはなっていません。
でも、不自由であると感じなかったらそれはハンディキャップ、とは言わない
のかもしれません。
 ハンディを個性、と短絡的に言ってしまうのには私自身抵抗もあるしあまり
にも多くの問題をはらんでいるとも思います。
ただ、何かについて優れていることが個性ならば、しにくい、難しいというこ
ともまた個性、と素直に言える社会であったのなら。
本当の意味での公平、平等とは・・・。
自分の体を通して、近頃、そんなことを思うこともよくあります。
自分にとって出来ないこと、難しいことがあるからこそ、出来ることのすばら
しさがわかる。出来ない悲しみや苦しさがわかる。あるいは、出来る何かと同
じように出来ないことについても当たり前で何も感じない。
そのどれもひっくるめての自分。
何一つ欠けても、今の私ではない、とも思うわけです。
出来ることも出来ないことも、当たり前のこともすごく特別に感じることも、
どれ一つ欠けていても、あなたではなく、私でもない。
 
 自分自身を活かせるのは結局自分でしかない。
誰かが助けてくれたり認めてくれても、本当に活かしていくのは自分自身なん
ですよね。
それは、ほんの日常の中にあるのかもしれない。
大きな仕事の中で活かせるのかもしれない。
自分の楽しみのためかもしれない。
 出来ること出来ないこと、当たり前のように感じていること、すごく特別に
思えること、全部ひっくるめての自分。
実際はなかなか受け入れがたいと思ってしまいます。
でも、これを、まるで毎日の風のように、ただ、感じるだけ。
そんな生き方が出来たら、と思います。
 今の自分に与えられているもののすべてを、「能力」だと感じてみたことが
ありますか?
すごく不自由であっても、すごく得意でも、何かのための能力だとしたら。
 出来ないことが私たちに教えてくれるものは、例えばそのことを通して自分
以外の人のすばらしさを感じたり、一人ぼっちではなく誰かに支えられている
自分を感じることかもしれません。
今あるものから得られるものは、実は無尽蔵な気がします。
気づいていないのは、自分自身だけかもしれません。
 金木犀の香りは、「あ、いい香り」と感じたら心にきゅっと入ってきます。
初恋の頃、大好きな人を見つけた時のように。 
夕陽は、季節だけじゃなく、様々な気象条件でその色は違います。
見る時間にも、場所にもよります。何より、あなたの心にどう香るか。
どう映るか。これが一番、違います。その香りの成分や、夕焼けは紛れもなく
そこにあるのですが、どう感じるか、は、人によって違うだけではなく、その
状況によっても違うんですよね。
 忙しさにまぎれていると、そんなことは二の次三の次。それでも気付いたら
ましな方で(これはそんなことにいちいち気付く側からの観点ですけど)気付
きもしない。
だからどうなの?なんて答えが戻ってきたり。そんな人が近くにいませんか?
もしかしたら、「きれいな夕陽よ」「いい香り」「あの星、すごく大きくて青
いわ」なんてことをその人に教えてあげるために、あなたのその「才能」は
あるのかもしれません。
 あなたの「好き」を活かしてみましょう。
「感じる心」を活かしてみましょう。
これっていいな、と思ったときに、きっと素敵な表情をしていると思いますよ。
そして「苦手なこと」「出来ないと思っていること」があなたの心にもたらす
ものにも、ちょっとだけ、意識を向けてみませんか?
 これができる人ってすごいよなあ。
 何でこんなことがわかるの???
 自分に出来ないことはそんな風に感じてしまうけれど、あなたにとっての
「当たり前」をこんな風に感じる人もきっといるはずなんですよね。
そんな風に感じてみてはどうでしょうか。
あなたの想いはきっと、周りのみんなへのとても優しい贈り物になるはずです。

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