自分と向き合うということ

相談者名
ライ
“自分と向き合う.自分の感情と向き合う””自分をみつめ直す”という事をよく聞くし、こちらのサイトでも拝見しますが、それがどういう事なのかがよく判りません。
*例えば辛い時「あぁ辛い苦しい」と思ったり、時には辛くて泣く事もありますよね。”辛いから泣く”んではあってもそれだけでは感情と向き合っている事にはならないのですか?
*「なぜ泣く?辛いから。何が辛い?○○が辛い。なぜそれが辛い?なぜ辛くなった?それが辛いと何かとてつもない障害があるのか?辛くなくすにはどうすればいいか?」等と、自分で納得するまでとことんまで突詰めるのが感情と向き合うという事なのですか?
寂しい.悲しい.悔しい等も同様です。感じた時、ただ泣いたり怒ったり愚痴ったりではなく「なぜそう思うか?どうすればいいか?」突詰めるのが感情と向き合う事ですか?最も愚痴るというのは他人が関与するわけで”自分と~”とは違うと思いますが。
私は辛い時、泣く事もあるしなぜ辛いかも判っています。どうすればいいのかも考えます。でも「辛いもんは辛い!どうすればいいのかなんて判らない!もし判ってもそれが出来るんだったら今辛くなんかないだろう」で終わってしまいます。それは向き合う事にはなってませんか?
*それとも辛い感情にひたすら浸るのが向き合う事ですか?

例えば誰かが亡くなった時は辛い悲しい苦しい等、誰でも思うと私は思うけど
なぜ辛く悲しいかは判ってますよね。辛くなくすには時間が解決してくれるかもしれない事も。その人は自分と向き合っている事になるのですか?

楽しい時嬉しい時には向き合えとは言わないと思うし、
向き合ったところで辛い事に変わりはないと思うのは間違いですか?

私が考えすぎで理屈っぽいとは思うのですが、”向き合う”と聞く度見る度に疑問に思ってしまいます

カウンセラー
成井裕美
こんにちわ、ライさん。
お返事を担当させていただく成井です。

とても重要なご質問ありがとうございます。
確かに「自分の気持ちと向き合いましょう!」という言葉はカウンセリ
ング以外でもよく聞くものですし、一見とてもシンプルに聞こえるので
すが、「で、結局なんなの!?」と感じますよね?
・・・他でもない私自身がそうでした。

・自分自身と向き合う
・感情を感じる
・自分を見つめる

表現方法は若干異なるものの、同じような意味をもちます。
また人それぞれケースバイケースで状況が違いますので、その人にとっ
てやり易い方法というのも違ってきます。
しかし共通しての第1歩があるのですが、それは「今の自分自身の状態
がどうなのか?を知る」ということです。
そしてそれはあくまでも「知る」のであって、それに「よい」「悪い」
や「正しい」「間違い」などの判断や意味づけは必要ありません。
ただ、「今の自分はどうなっているのか?」を客観的に”知る”という
ところから私達の第1歩が始ります。

自分にとって何の無理もないとき。このときには私達に「問題」という
のは存在しません。
なので問題があるという時には、そこには本来の自分自身の姿から少し
はみ出していたり、ずれてゆがみを生じている部分があるということに
なります。

ライさんは1日の中で自分の姿を何回みますか?
朝、顔を洗って洗面台で鏡をみるでしょうか?
寝癖を直しながら鏡をみるかもしれません。
服を着るのにやはり鏡をみたり、窓に映る自分自身を見る。なんてこと
もあるかも知れませんし、外に出ても店頭のウインドウに映る自分を見
ることもあるかもしれません。
私達は普段の日常生活の中で、意識をして数えればかなりの回数何かに
映った自分の姿を見ていることでしょう。
そうして自分自身の姿を客観的にチェックしているのです。

しかし心の中の状態を映し出す鏡は物理的にはありませんよね?
朝、顔を洗って鏡をみたら「今の私はこんなことを感じている」と見え
たりはしません。
寝癖を見つけるのと同じように、「あ!ここが本来の姿ではないな~」
と客観的に見えたりもしませんよね?
なので、私達は「自分自身に問いかける」ということを通じて心の鏡に
「今の私はどんな状態なのか?」を映し出し、今の自分を知るのです。
また私達が1枚の鏡だけでは物理的に背中や頭のてっぺんを全て正確に
見れなくて鏡を2枚用意したり、誰かに見てもらうのと同じように、心
の中も友達だったり、カウンセラーだったりに話すことで、より深く自
分を知ることができます。

> 楽しい時嬉しい時には向き合えとは言わないと思うし、
> 向き合ったところで辛い事に変わりはないと思うのは間違いですか?

楽しいときに、その気持ちに疑いを持つ人はいませんし、嬉しいとき
に、「何を私は喜んでいるんだ?」を考えたり、「喜んでいる場合では
ない!」と自分を戒めたりもしませんよね?
楽しいときには「楽しんでいる自分」を何の疑いも無く受け入れていま
す。
嬉しいときにはただ「嬉しいな~」と認めているんです。

でも私達は、よく感情を「よい」「悪い」に分類しようとします。
「楽しい・嬉しい・好き!」という気持ちは”いい感情”
「悲しい・腹が立つ・寂しい・苦しい・・・」などの気持ちは”悪い感
情”という風な感じです。
そして多く私達はこの”悪い感情”と分類したものを心の奥底に押し込
めようとします。
でも、感情は喜怒哀楽の全てを含めて1つのエネルギーなんですよね。
なのでどれか1つだけを押し込めることは出来ませんので、何かの気持
ちを押し殺すと、もれなく他の感情も抑え困れてしまいます。
寂しいと感じなくては済んだけど、楽しくも無い。とか、
苦しいと感じることはないけれど、毎日退屈だ。とか、
悲しいと感じることは少ないけど、感動もない。といったような感じで
す。

自分の気持ちに向き合うということは、この「いい」「悪い」の判断を
手放していくということ、と言えるでしょう。
少なくとも今回のライさんの文章うぃ読んでいて、
「間違っていますか?」
というニュアンスをとても多く感じます。
それくらい普段のライさんの世界は、「正しい」「間違い」に囲まれて
いるのかな?と感じました。
これは私の勝手な直感なのですが、今回いろんなパターンのお話をライ
さんか書いてくださっていますが、それとは別に、本当にライさんが知
りたい「こんな時はどうなのよ!?」という個人的な問題がおありのよ
うですね。

私達でよければいつでもそのお話を聞かせてください。
ライさんにとってのやり易い「自分の感情と向き合う」というものを一
緒に探していきましょう!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛、対人関係、自己啓発、ヴィジョン、ビジネス心理を得意とし、”少しでも楽に・簡単に・シンプルに”をモットーに、分かりやすい心理分析と日常的に無理なく取り組める提案を行っている。 その人本来の輝きや、問題の先にあるヴィジョン(幸せな未来や才能)を引き出すカウンセリングが好評である。