昔の友達との付き合い方

相談者名
こんにちは。
相談に乗って頂いて、ご意見を伺いたいことがあります。
よろしくお願いします。私はもう高校を卒業して5年経っています。
それで、高校のときの友達との関係のとり方で少し悩んでいます。

ごく親しい4~5人の友達に関してなのですが、いつも、メールを送ったり、電話をするのが私からなんです。
それで、みんなは私のこと忘れているのかな、なくなってもいい関係だと思っているのかな、などと思ってしまいます。

ある友達に、メールアドレスを変更したときに久し振りに連絡して、でもそれに対して何も反応がないことがありました。
それに関しては、メールアドレスの変更のお知らせだから、「?」で終わったような内容じゃないから、と思って、返事がないことも少し寂しい程度で納得していました。
でも、私に返事はくれなくても、他の友達(私にとっては知り合い程度の関係)に私の新しいアドレスを伝えていたりして、少し嫌な複雑な気分になったこともありました。

私が送ったメールに返事が来ればいい方で、来ないこともあります。
そういう人は、大抵1週間に1度くらいはメールか電話でやりとりをしています。
「最近メールに返事くれないね」と言ってみたときがあったのですが、「また雪が電話してくるだろうからいいと思って、甘えてたわ」と言われました。
その友達は、私との電話の最中にキャッチホンが入ると、話がどんな状況でも、私との電話を切ってキャッチホンに出ます。かけ直してくれるわけでもありません。キャッチホンが入ったのは本当だと音で分かりますが、私の電話が迷惑だったのかなと思います。

みんな忙しいんだろうなぁって思います。
でも、私にとっては忙しいときもメールに返事を返すことは特に苦にならないので、みんなにも求めてしまうんだと思います。
忙しいさなかに返事が書けなくても、忙しさが落ち着いたら返事を書くようにしています。と言うか、そうしたいからしています。
みんなは違うんだなぁって思うと、どんどん関係が薄くなっていくような気がして寂しいです。

あと、私自身、現在は友達に恵まれていると言える状況ではなく、だから寂しくなって昔の友達に連絡をしがちなのかなと思います。

けちなことですが、電話代のことも少し気になります。
私がかけているのだから、相手の時間をもらっているのだから当たり前だろうと思う気持ちもありますが、ほとんどが相手の話だったりすると、なんなんだろ・・・って思ってしまいます。

私が連絡を続けていれば、何らかの形で続いていく関係だろうと思います。
でも、私が連絡をやめたら・・・?と思うと、複雑です。

一度連絡を止めてみようか、とも思い、やってみましたが、私は聞いてほしいことが溜まってくるとダメでした。2週間くらいでした。

みんなはなくなってもいい関係だと思っているのかなぁっていうのが一番寂しいです。
あと、返事が来ないメールも寂しいです。独り言を言ったみたいで・・・。

私のところにも電話やメールをしてくれればいいのに、って思います。
着信履歴などを見ると、家族か彼氏ばっかりです。
これが幸せなことだということは分かっています。
でも、友達からも連絡があればいいのになぁって思います。

こんな気持ちでいるのなら、いっそのこと、みんなへの連絡を止めたほうがいいのでしょうか?

カウンセラー
源河はるみ
こんにちは、雪さん。
お返事するのが、遅くなってしまいました。
はじめまして、源河といいます。> ごく親しい4~5人の友達に関してなのですが、いつも、メールを送ったり、電話をするのが私からなんです。
> それで、みんなは私のこと忘れているのかな、なくなってもいい関係だと思っているのかな、などと思ってしまいます。

まるで、全部自分が率先して、関わりを持とうとしているのに、
相手の気持ちがわからない・・・
そして、不安になるんですね。

こんな時は、自分自身に対して、こう問い掛けてみましょう。
「私は、友達のことが好きなんだろうか?それとも自分のことが好きなんだろうか?」と。

たとえ、その関係が昔からの関係であろうと、新しい関係であろうと、
そして、それが恋愛であろうと、そうでなかろうと、
そこには必ず、
・自分>相手
・自分<相手
・自分=相手
のいずれかの心の感じ方、態度、というものがあります。

友達は、雪さんに対して、どちらかというと、
聞いてほしいことがあっても、自分からは連絡してこないんですよね。
これは、一見、雪さんのことを気にしていないように見えますね。
これは、”自分>相手”の態度なのかもしれません。
では、”自分>相手”というのは、どんな気持ちのときにそうなってしまうんでしょう?

友達にとっては雪さんが、その相手だとしますね。
友達は、自分のことで手一杯のように振舞いますよね。
忙しいからメールを送らない、自分からは電話をしない、などです。
こんな状態のとき、私たちは、「頼りたくても、頼らない」、
いわゆる我慢している、もしくは自分の欲求には目を向けていない、
というときに、こうなってしまいます。
でも、相手から来る連絡に対しては、応じるんです。

では、その逆の場合、”自分<相手”の場合は、どういう風になるのかというと、
まるで、自分よりも相手を強く感じたり、「頼ったりできる」存在、
と見ているときなんです。
それは同時に、相手よりも、自分は劣っている、弱い、
と感じているということでもあります。
そして、

> キャッチホンが入ったのは本当だと音で分かりますが、私の電話が迷惑だったのかなと思います。

なんだか、相手にとっては自分は不必要な存在なんじゃないか?とか、
迷惑なんじゃないか?と、不信感を感じてしまうんですね。
雪さんは、ちょうどこの状態にあります。

> と言うか、そうしたいからしています。
> みんなは違うんだなぁって思うと、どんどん関係が薄くなっていくような気がして寂しいです。

この寂しさを素直に感じる事は、とてもいいことです。
そうして、関係を持ち続けようとすることも、とっても大切なこと。
ただ、”そうしたいから、する”のは、相手のことを思ってでしょうか?
それとも、自分のことを思ってでしょうか?

> あと、私自身、現在は友達に恵まれていると言える状況ではなく、だから寂しくなって昔の友達に連絡をしがちなのかなと思います。

雪さんは、なんだか引け目を感じていますよね。
でも、それとは裏腹に、

> 一度連絡を止めてみようか、とも思い、やってみましたが、私は聞いてほしいことが溜まってくるとダメでした。2週間くらいでした。

”聞いてほしい”という気持ちは、我慢したとしても、
それは辛さがつのるばかりなんですね。

ここには、「私のことをわかってよ」という欲求が隠れています。

友達の方は、その欲求をただ我慢しているだけなのか、
それとも他で満たしているのか、はわかりません。
でも、雪さんに対しては、その欲求は自分からは持っていくことはないんです。

ここで、大切なのは、お互いを対等に見ること、です。

> みんなはなくなってもいい関係だと思っているのかなぁっていうのが一番寂しいです。
> あと、返事が来ないメールも寂しいです。独り言を言ったみたいで・・・。

自分の中に、相手を思う気持ちより、自分の欲求に目を向けていないか、
少しよく見つめてみましょう。
このことに気づかなければ、関係は簡単に壊れてしまいます。
本当は、お互いが信頼しあえて、支えあうことが出来れば、それが一番ですよね。
”自分=相手”の関係です。
こうしていくには、相手を「理解しよう」とする気持ちが、とっても大切なんです。
欲求の満たしあいや、我慢しあって強がりあうのが、友達ではありませんよね。

> 私のところにも電話やメールをしてくれればいいのに、って思います。
> 着信履歴などを見ると、家族か彼氏ばっかりです。

「どうして、友達は連絡をくれないんだろう?」
と、相手をわかってあげようとしてあげてください。
そうしていくと、相手の気持ちは自分が理解してあげる、そして自分の気持ちは、
相手が理解してくれる、そんな対等な、お互いを支えあえるような関係をつくっていくことができます。

> こんな気持ちでいるのなら、いっそのこと、みんなへの連絡を止めたほうがいいのでしょうか?

私たちは、相手への理解を深めようとすると、心の中に隠してきた過去に傷ついた経験などが出てきたりします。
「わかってほしくても、わかってもらえなかった」ことに対する、不満です。
そして、その傷を見たくなくて、相手のせいにすることで、関係を切ろうとしてしまいます。
でも、それでは本末転倒ですよね。
「わかってくれないなら、こっちだってわかってなんかあげない!」
と言うようなものです。

雪さんの関係を続けようとする、その意欲はとっても意味のあるものです。
大切に、もっとより良い関係を育てていきましょう。
また、お返事お待ちしていますね。

相談者名
源河さん、はじめまして。
レスをして頂いてありがとうございました。思い出したのですが、私は高校の頃も自分からばかり声をかけているような、
みんなは私のことをどうでもいいって思ってるんじゃないかと思っていました。

> こんな時は、自分自身に対して、こう問い掛けてみましょう。
> 「私は、友達のことが好きなんだろうか?それとも自分のことが好きなんだろうか?」と。
源河さんのおっしゃりたいことは、
私が友達よりも自分のことが好きなんじゃないかということですね?
そうかもしれないです。
中学校のとき、少しいじめみたいなものに合ったことがあるんですが、
(順番に回ってくるようなものです)
友達は誰も助けてくれませんでした。
自分の番が来ることが分かっているからだと思いますが、
その辺りから、友達なんて結局そんなもんだと思っているのかもしれません。

> では、その逆の場合、”自分<相手”の場合は、どういう風になるのかというと、
> まるで、自分よりも相手を強く感じたり、「頼ったりできる」存在、
> と見ているときなんです。
> それは同時に、相手よりも、自分は劣っている、弱い、
> と感じているということでもあります。
> そして、なんだか、相手にとっては自分は不必要な存在なんじゃないか?とか、
> 迷惑なんじゃないか?と、不信感を感じてしまうんですね。
> 雪さんは、ちょうどこの状態にあります。
私は、すごく勝ってだと思いますが、
友達のことを「頼ったりできる存在」とも思っていて、
私からしか連絡しない今の状況で「適当な存在かも」とも思っています。
相手よりも自分は劣っているとは思いませんが、弱いなとは思います。
強ければ誰かに言わなくても、自分でどうにかできると。
私からしか連絡をしないと、頼ってもらえない・話してもらえないで、
私のことは必要じゃないんだと思いますね。

> この寂しさを素直に感じる事は、とてもいいことです。
> そうして、関係を持ち続けようとすることも、とっても大切なこと。
> ただ、”そうしたいから、する”のは、相手のことを思ってでしょうか?
> それとも、自分のことを思ってでしょうか?
単純に、メールには返事をもらった方が嬉しいと、自分の経験から思ってです。
でも、こんなふうに自分が経験した気持ちをみんなもそうだろうと思うことが、
「自分のことを思って」ということなんですね。

> 雪さんは、なんだか引け目を感じていますよね。
> でも、それとは裏腹に、
>>一度連絡を止めてみようか、とも思い、やってみましたが、私は聞いてほしいことが溜まってくるとダメでした。2週間くらいでした。
> ”聞いてほしい”という気持ちは、我慢したとしても、
> それは辛さがつのるばかりなんですね。
引け目を感じているのとは裏腹に、とはどういうことでしょうか。
連絡を止めてみようと思ったのは、みんなには私が必要じゃないと思って、
必要になれば連絡してくるだろうし、私も連絡するの止めようと思ってです。

> ここには、「私のことをわかってよ」という欲求が隠れています。
> 友達の方は、その欲求をただ我慢しているだけなのか、
> それとも他で満たしているのか、はわかりません。
> でも、雪さんに対しては、その欲求は自分からは持っていくことはないんです。
こういうことが、友達と自分が対等じゃないと思うところです。
友達が連絡して来ないんだったら、自分もしちゃいけないような感じがします。
対等になるためには、私も別のところで欲求を満たさないといけないように思います。

> 自分の中に、相手を思う気持ちより、自分の欲求に目を向けていないか、
> 少しよく見つめてみましょう。
これも、おっしゃりたいことは私が相手を思っているのではなく、
自分の欲求に目を向けている、ということですね。
メールを送って、返事は期待しちゃいけない、と友達の1人に言われました。
私には理由が分からなかったのですが、そういうことなんですね。
届いたメールに返事をすることは、私の感覚では当たり前なので、ピンと来ませんでした。

> このことに気づかなければ、関係は簡単に壊れてしまいます。
> 本当は、お互いが信頼しあえて、支えあうことが出来れば、それが一番ですよね。
> ”自分=相手”の関係です。
> こうしていくには、相手を「理解しよう」とする気持ちが、とっても大切なんです。
> 欲求の満たしあいや、我慢しあって強がりあうのが、友達ではありませんよね。
信頼し合えても、支え合えてもいないように感じます。
まず私が信頼できていないし、友達には支えられてないと感じるからです。
みんな自分のことが一番だし、今はみんな離れて住んでいるから、
私が困っていても助けられないことは頭では分かります。
でも、私は話を聞くくらいならできます。(暇だからと思われるかもしれませんが)
あるとき、私がすごく悩んでいたときに相談したくて聞いてもらおうとして、
友達何人かに電話をしたのですが、みんなから「忙しい」と断られたことがありました。
忙しくなくなった後で連絡してくれることもありませんでした。
忙しいなら仕方がないと頭では分かっても、「やっぱりそんなもんか」と思いました。
私が「○日から△日まで地元に帰る」と連絡すると、「会いたいね」とは言われますが、
具体的に何日に、と話をしてくれたことは5年間ずっとありません。
気遣ってそうなってるという部分も分かりますが、
私から動かないと何も始まらない感じで、私だけが会いたがっているような感じで、
そんなので会ってもなんだか遠慮してしまって楽しくなく、最近は会っていません。
友達のことを理解しようと思っても、今の状況が「忙しい・私は要らない」以外分からず、
どうしたらいいのか分かりません。
忙しいのなら連絡を止めておこう、返事は期待しないでおこうと思いますが、
友達の何かを理解できた感じはしません。
頼りたくても頼れない状況だとして、5人が5人、5年間も続くのでしょうか。
友達が頼りたくても頼れない状況のときは、私も頼ったらいけないのでしょうか。
私の言っていることは、自分中心の、訳の分からないことでしょうか。自信がないです。

> 私たちは、相手への理解を深めようとすると、心の中に隠してきた過去に傷ついた経験などが出てきたりします。
> 「わかってほしくても、わかってもらえなかった」ことに対する、不満です。
> そして、その傷を見たくなくて、相手のせいにすることで、関係を切ろうとしてしまいます。
> でも、それでは本末転倒ですよね。
それは分かります。
でも、私ばかりがもがいていても、全然事態は進まない感じで疲れます。
最近では、メールに返事をもらっても、
タイトルが「Re:」付きなだけで嫌な気分になってしまいます。
こんなことで嫌な気分になったりしてる自分も嫌です。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、雪さん。
お返事ありがとうございました。私は、雪さんのメッセージを読ませて頂いて、
最初に感じたことがあります。
なにをかというと、雪さんの中にとても”大きな才能がある”ということです。
それは、自他ともにお互いを思いやれる、そんなやさしい気持ちに人を導くような、
”誰からも頼れるリーダー”の素質です。

組織の長であることが、リーダーなのでありません。
どんなに辛い状況にあっても、そこに「本当のこと」を見つけることが出きることが、
実は、本来のリーダーに求められる素質なんですね。

その才能が、雪さんの中にはあります。

> 思い出したのですが、私は高校の頃も自分からばかり声をかけているような、
> みんなは私のことをどうでもいいって思ってるんじゃないかと思っていました。

> 中学校のとき、少しいじめみたいなものに合ったことがあるんですが、
> (順番に回ってくるようなものです)
> 友達は誰も助けてくれませんでした。
> 自分の番が来ることが分かっているからだと思いますが、
> その辺りから、友達なんて結局そんなもんだと思っているのかもしれません。

多く、この経験をすると私たちは、人に対する不信感が募り、
「自分は嫌われている」と感じてしまって、次からは嫌われないように、
人に気を遣うことを学びます。
そして、それに疲れてしまって、人と距離を取りたくなるんですね。
「自分のことなんて、みんなどうでもいいんだ」
こう思ってしまうのも、この疲れがあるからです。

でも、その辛さを持ちながらでも、5年間、雪さんは友達に連絡を取り続けてきましたよね。

> 強ければ誰かに言わなくても、自分でどうにかできると。
> 私からしか連絡をしないと、頼ってもらえない・話してもらえないで、
> 私のことは必要じゃないんだと思いますね。

本当の強さは、自分で全てを解決していくことではないんです。
それは、自分から連絡をしててでも、相手に「頼らせてあげる、話させてあげる」、
この意欲の中にあります。

> 単純に、メールには返事をもらった方が嬉しいと、自分の経験から思ってです。
> でも、こんなふうに自分が経験した気持ちをみんなもそうだろうと思うことが、
> 「自分のことを思って」ということなんですね。

いいえ、雪さんが「自分のことを思って」やっているとは、少しも思いません。
私たちは、自分がしてもらってうれしいことを、人にすることを、
とても難しく感じます。
相手もそうしてくれていれば、容易くなりますが、そうでない場合、
「どうして、自分だけが?」と思ってしまって、そのやさしさを無意味に感じてしまうからです。
そして、そうすることをやめてしまいます。

これは、雪さんが「必要とされないことが、どれほど辛いことなのか」を知っているから、
できることでもあるんですね。
私が、雪さんにお伝えしたいのは、雪さんが自分の辛い気持ちよりも、
相手を思う気持ちを持っている、そんな素敵なやさしさや思いやりのある女性だということなんです。

でも、自分がそうであるとは、認められないのも事実、
ここでは、雪さん自身の選択がいります。
”素敵な女性になりたいのか、否か”の選択です。

> 引け目を感じているのとは裏腹に、とはどういうことでしょうか。
> 連絡を止めてみようと思ったのは、みんなには私が必要じゃないと思って、
> 必要になれば連絡してくるだろうし、私も連絡するの止めようと思ってです。

私たちは、自分が落ち込んでしまったとき、それが辛ければ辛い状況であればあるほど、
誰かを必要とすることが、とても難しく感じてしまうんです。
「自分が悪いんだから、自分でなんとかしなきゃ」と感じてしまって、
ギリギリまで我慢してしまって、本当に力尽きたときには、
助けを求めることが出来なくなってしまいます。
不安でいっぱいになってしまって、わけがわからなくなってしまうからです。

引け目を感じているのとは裏腹に、というのは、必要とされていると感じられなくても、
相手を必要とすることが、雪さんはできていますよ、という意味です。

>>でも、雪さんに対しては、その欲求は自分からは持っていくことはないんです。
> こういうことが、友達と自分が対等じゃないと思うところです。
> 友達が連絡して来ないんだったら、自分もしちゃいけないような感じがします。
> 対等になるためには、私も別のところで欲求を満たさないといけないように思います。

もしも、みんながもっと素直に、聞いてほしいことがある時点で、
友達に連絡をとることができていたら、我慢の積み重ねをしなくてもいいんだ、
と理解していたなら、状況がひどくなる前に手を打つことは可能だと思いませんか?

相手が連絡してこないから、自分もしちゃいけないような感じがするのは、
なんだか我慢を強いられているような気持ちになりますよね。
なにを我慢しなくちゃいけないのかというと、
”もっと楽しんで生きること”
”もっとより良くなろうとすること”
”もっといい関係をつくろうとする意欲”
です。

> これも、おっしゃりたいことは私が相手を思っているのではなく、
> 自分の欲求に目を向けている、ということですね。
> メールを送って、返事は期待しちゃいけない、と友達の1人に言われました。
> 私には理由が分からなかったのですが、そういうことなんですね。
> 届いたメールに返事をすることは、私の感覚では当たり前なので、ピンと来ませんでした。

雪さんの中で、自分の欲求がなんなのか?がわかれば、相手のことを理解することは、
とても簡単になります。
でも、もしも相手を「思わなければいけない」と思っていたとしたら、
「自分よりも相手を大切にしなきゃいけない」と感じていたとしたら、
相手を思っているように感じていても、楽しくはなくなってしまうんですね。

雪さんが持つ欲求、連絡をお互いにしあうこと、メールに返事をしてほしいこと、
などでは、ないような気がするんです。
それは「もっとこうすれば、お互いに楽しく関われるのよ」ということを、
”知ってほしい”という気持ちではないでしょうか?
この気持ちを持つことが、なんだか無意味に感じてしまっているのではありませんか?

> 信頼し合えても、支え合えてもいないように感じます。
> まず私が信頼できていないし、友達には支えられてないと感じるからです。

> 私から動かないと何も始まらない感じで、私だけが会いたがっているような感じで、
> そんなので会ってもなんだか遠慮してしまって楽しくなく、最近は会っていません。
> 友達のことを理解しようと思っても、今の状況が「忙しい・私は要らない」以外分からず、
> どうしたらいいのか分かりません。
> 忙しいのなら連絡を止めておこう、返事は期待しないでおこうと思いますが、
> 友達の何かを理解できた感じはしません。

「自分の欲求に目が向いていませんか?」と問いかけたのは、
その欲求に目を向けることを、雪さん自身が悪いように感じているような気がしたからです。
そして、そのことを悪いように感じていると、頼ろうとはするけれど、
相手を必要とすることが、本当の意味で、できなくなってしまいます。
「私は要らない」と思ってしまうのも、ここからきています。

友達には、雪さんが本当に必要としてくれていることが、伝わっていなくて、わからないんです。
雪さんが感じているように、「雪にとっては私なんて必要じゃないんだ」と同じように思っているでしょう。
友達が、「甘えていた」というのも、こういった気持ちがあるからです。

お互いを頼ること、支えあう事、そして相手を思うことは、
実は、”心からその人を必要としてあげる”ことなんです。

私たちは、自分が誰かに必要とされていることを感じる事ができると、
勇気や生きることへの意欲、そして楽しみや幸せを感じる事ができます。
そして、必要としてあげることが出きる、それが雪さんの持つ才能でもあるんです。

> 頼りたくても頼れない状況だとして、5人が5人、5年間も続くのでしょうか。
> 友達が頼りたくても頼れない状況のときは、私も頼ったらいけないのでしょうか。
> 私の言っていることは、自分中心の、訳の分からないことでしょうか。自信がないです。

このまま、その気持ちを我慢しつづけると、続ける事はむずかしくなります。
雪さんは、自分中心で身勝手なわけではありません。
ただ、雪さんの心が大きく成長しようとしているだけなんです。
それは、自分>相手でも、自分<相手でもない、
自分=相手の関係をつくっていける、そんな才能が花開こうとしているんです。

> でも、私ばかりがもがいていても、全然事態は進まない感じで疲れます。
> 最近では、メールに返事をもらっても、
> タイトルが「Re:」付きなだけで嫌な気分になってしまいます。
> こんなことで嫌な気分になったりしてる自分も嫌です。

勇気を持ちましょう。
その嫌な自分から抜け出すチャンスです。

その今感じている、友達を必要とする気持ちを、
伝えてみましょう。

応援していますね。

この記事を書いたカウンセラー

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