依存するのが苦しいです

相談者名
ゆみ
こんにちは。私は家族や他人に頼ったりお願いごとをしたり愚痴を言ったり意見を言ったりするのがとても苦手です。仕事でも人に頼るのが苦手で、完璧主義者なところもあり、人に頼んでいい加減にやられるくらいなら自分でやったほうがいいと思ってしまいます。人間不信もあります。でも、人に頼ることを覚えなきゃいけないなとも思います。子どもの頃から家庭の不和、家族や自分の病弱等があり、感情を抑圧する癖がついています。カウンセリングやヒーリングワークはさんざんやりましたが、頭では理解できるもののなかなか感情レベルで進みません。もう初回無料だとカウンセラーさんが何をおっしゃるか想像がついてしまいます。感情面で癒そうとすると感じすぎて悪化するので日常生活に支障があり、やろうという気が起こりません。今は主治医に聞いてからでないとできないというのもありますが。

本題に入りますが、精神疾患で入退院をし、カウンセリングも重要視してよく話を聞いてくださる医師が主治医です。ちょうど数年間お願いしていたKMSのカウンセラーさんが退職され、この世で唯一の依存対象、頼れる存在だったため、相当パニックになっていた時に出会えたので、今度は主治医に依存するようになりました。恋愛感情とかではなく、ただ単に唯一の頼りにできる存在ということです。カウンセラーさんが辞められたときのトラウマもあり、また辞めてしまったらどうしよう、転勤したらどうしよう、、、そんなことを考えて不安でいっぱいです。仕事や家族や恋愛のことなどもっと心配しなくてはならないことが山ほどあるのに、私にとってはそれが一番の不安材料です。情けないことに。カウンセラーさんだってたくさんのクライエントがいて、医師にはたくさんの患者がいて、特別扱いしてほしいわけでは無いですし、退職や転勤も事情があることですから仕方ないのはもちろん分かっているので、余計辛いです。
最近は買い物依存にも陥ってしまいました。ひたすら不要なものを買っています。

依存の仕方が極端なんです。もっと他に打ち込めるものや頼れる人がいれば、こんなふうに主治医に依存したり買い物依存などにはならないのに、と思います。
働くのも人と接するのも食べるのも異性も同性も何もかも苦手で嫌で・・・寝ているときだけ幸せです。生きているのが辛いです。

カウンセラー
池尾昌紀
ゆみさん、こんにちは。
池尾昌紀と申します。
ご相談ありがとうございます。

最初に、一般論になってしまいますが、依存しすぎてしまう心理について整理させていただきたいと思います。
何かに大きく依存してしまう、という状態は、何かに頼り切ってしまい自分がないようなイメージがありますが、逆の見方をすると、依存している何か以外には、頼ることができないとも言えると思います。
依存している何かに頼っている時以外には、全く誰にも頼れない自立した自分がいるわけです。
つまり見方を変えてみれば、依存症というのは、一方では自立症と見ることもできると思います。
もう少し進めてみて見ると、何かに頼る心というのは、その依存したい何かを使って、見たくないものを見ないようにしている、あるいは、達成したい目的があると言えます。

その目的というのは、不安やストレスを解放したいという思いだったり、安心したい、というものだったり。
つまりは、とても感情的な要素なわけです。
ところが、こうした辛い思いや外に出せない思いを素直に表現できない。そこには感情を抑圧して表にだせないという苦しみがあります。
見方を変えれば、感情を表に出せない状態であるために、依存してそのことで苦しむことでしか、生きているという感覚を得られないとも言えるのではないでしょうか。
「やめたいのにやめられない」という心には「わたしの心を誰かにわかってほしい」というメッセージが秘められているのだと思います。
これは本当に苦しい状態です。

それではどうしたら解決していくことができるのでしょう。
鍵を握っているのは、本当に心が欲している気持ちを探すということになると思います。
依存している何かは、本当に求めているものの代わりの役割をはたしていることが多いのです。
本当は何を求めているのだろう、何を欲しいと思っているのだろう、という問いかけが、この問題の大元へのアプローチになっていくのだと思います。
それは、多くの場合、寂しい、居場所がない、といったような気持ち。
それは、心の根本にあるものが多いだけに、そこに向き合って取り組んでいくには、時間がかかるります。

さて、ゆみさんの場合はどうでしょうか。
ご相談の内容を読ませていただきますと、こうした前提はすべてご理解され、けれども感情面へのアプローチは感じすぎてしまうがゆえに困難なため、悩みは深く、苦しんでおられるのだと思います。
しかも、以前に頼りにしていたカウンセラーが退職されてしまったという経験をされておられます。
文中ではたくさんは触れられておられませんが、それは、本当に絶望と言っていい苦しみがあったのではないでしょうか。
その絶望の感覚があるゆえに、今、ようやく出会った新しいお医者さんとの縁が、またなくなってしまうのではないかという不安がとても大きいのだと思います。
僕が感じるのは、こうした思いを持ってしまっても、それは当然だ、ということです。
こんなに苦しんできたのです。今の新しい方に対して頼ったり、去っていく不安を持っても、それは当たり前のことではないでしょうか。
その思いを悪い事とするのではなく、今はそのまま受け止めてあげてもいいと思うのです。
今の自分を責めるのではなく、まずは、今精一杯がんばっている自分を、そのまま受け止めてあげる。
そこから、この苦しみを変えていく力が生まれてくるように僕は思います。それが、次の流れを生むと思うのです。
次の流れを生むということ。ゆみさんは、そのための要素を持っておられます。
次の流れを生むためには、必要不可欠な要素があります。それは、あきらめないこと。向かい合っていく勇気を持つ事です。
ゆみさんは、それを持っておられるのです。

生きているのが辛いほど苦しい時、人は、そんな状態では、前向きに考える余裕すらなくなり、行動を起こす事もできなくなったりします。
でも、今回、こうしてご相談してくださったことが大きなことだと思うのです。
すでに何度もカウンセリング等をご利用されておられたのであれば、なおさらです。
もう一度、相談してみよう、と思ってくださった勇気。
それは、生きたいと強く願う心が生む、勇気であるように思います。
人を変えていく原動力は、この勇気だと思うのです。
そうした勇気を持てたご自身を信じてあげてください。

支えてくれる主治医さんがいなくなったら、という不安を持ち続けるかもしれません。
けれども、こうして素晴らしい方と出会っておられる。
この出会いをもたらした自分を信じてあげてください。

その主治医さんと相談しながらなら、そして、今なら、以前はうまく取り組めなかったグループセラピーや
新しいやり方に取り組んでいけるかもしれません。

勇気を持って行動したあなたは、すでに違うあなたになっているのだと思うのです。

ご相談くださり、ありがとうございました。

 

この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。