●全ての道は癒しに通ず!?

先日、約10年ぶりに友人とスキーに出かけました。
今回は大阪を起点として福井県のスキー場に出かけたのですが、現地では美味しい日本海の海の幸に舌鼓を打ち、地元の芳醇な日本酒を味わい、そして白銀の世界で雪と戯れ、大自然を感じ、最後に温泉に入ってきました。
スキーの方も、上手とまではいきませんが、10年ぶりにしてはまぁまぁの滑りが出来て、まだまだ僕も棄てたものではない、などと思った次第でした。
そして心地よい疲労感を味わいながら大阪に戻ったのですが、何かとてつもなく癒された気分になりました。
その後、改めて思った事があります。
人間の存在、人間のやっている事は、全て人を癒すための行為なのだなぁと。
癒しとは何かと考えると、様々なレベルで、様々な答えがあると思います。
ただ、癒しとは敢えて危険を顧みず大雑把に言ってしまえば、心が緩む事ではないかと思います。
幸福な気分だったり、誰かと繋がりを感じたり、希望を感じたり、自分の価値が受け取れたり・・・様々です。
さて、今回のスキーで僕は癒されたわけですが、果たしてどれぐらいの人達によって僕は癒されたのか、と考えてみると、出発前から帰着後までに関わった殆どの人達によって僕の癒しが行われた事に気がつきました。
今回のスキーには、JR大阪駅から特急電車に乗って行ったのですが、例えば、先ずは列車を運転してくれた運転手さん。この人がいないと、僕は福井に行って癒される事は無かったのですね。
そして電車を開発してくれた人。電車が無ければ、当然福井には行けません。
福井で料理を食べさせてくれたお店の調理人さん。美味しかったです。
かなり幸福を感じました。
レンタカー屋のお姉さん。笑顔で会話をしながら自動車を貸してくれて暖かい気持ちになりました。
カーナビを製造してくれた人。ナビがなかったら地理不案内で行けなかったかも知れません。
スキー場のパトロールの人。あなたがいたから、安心してスキーを楽しむ事が出来ました。
そして、一緒に行った友人。とても楽しい時間が一緒に過ごせました。
これ以外にも実に多くの人々の存在や仕事や、あるいは関わりが、僕に癒しを与えてくれているのですね。感謝、感謝です。
例えばお医者さんや看護婦さん、あるいは僕たちカウンセラーは、人と直接関わりを待って、しかも癒すことをある意味仕事としているのですから、人を癒しているという事が非常に意識しやすいと思います。
でも、癒す事を直接には仕事にしていない人々も、その存在が、あるいは仕事が、関わりが、癒しを与えていることが多いのですね。気がついていないだけなのです。
例えば、工場で電子回路基板を組み立てている人。とてもこの仕事が癒しに結びつくとは思えないかも知れません。しかし、仮にその基板がテレビゲームに使われる基板だったとしましょう。その人が組み立てた基板が、様々な部品とともにアセンブリされ、様々な工程を経て、テレビゲームとして完成し、販売店からエンドユーザーの手へと渡ります。
ひょっとしたら、お父さんから子供への誕生日のプレゼントだったかもわかりませんね。
子供は喜び、お父さんも笑顔でそのゲームで遊ぶ子供を見ているかも知れません。幸福な感じでしょうね。これも、癒しなのです。
例えば、銀行業務のソフトウエアをプログラミングしている人。この仕事もとても癒しに結びつくとは思えないかも知れません。しかし、そのソフトウエアが銀行の機械の一部に使われて、給料日にお金を引き出すのに役立ったとしましょう。給料日に引き出したお金で、その人はレジャーに出かけて楽しむかも知れませんね。
あるいは美味しい食事を誰かと一緒に食べるかも知れません。その人は、楽しんでますよね。これも、癒しなのです。
そして、例えばあなたの存在。あなたと話す事で癒されている人がいるかも知れません。あなたが作る美味しい料理を食べている人がいるかも知れません。あなたの笑顔を見るだけで安心する人がいるかも知れません。あなたがそばにいるだけで幸せを感じている人がいるかも知れません。あなたの書いたブログで大笑いしている人がいるかも知れません。
そう、存在するだけで、人間は誰かに癒しをもたらすのですね。
何らかの形で人と関わる事、社会と関わる事は、全て誰かを癒す道へとつながっているのですね。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。