●わたしのおねえちゃん

コラムを読んでくださってる方 こんにちは。
カウンセラーになって初めて、‘コラム’を書きます。
どきどき。
自分が感じていること、考えていること、公の場で表現するのってほんとに勇気がいりますね。
誰の人生にとっても何かを選択する時の知らず知らずのキーワードってあるかと思うのですが、人生を通じて私にとっては‘姉’がいつもキーワードです。
二人姉妹の妹として、生まれた私。
いつも姉の後をついて歩いていました。
今では懐かしい8mmビデオに残っていた幼少期の私の目は、姉をいつも見上げ探していました。
私は小さく生まれたのですが、姉は成長が早いたちだったようで幼稚園の頃から他の園児たちより頭ひとつ飛び出してしまう、目だってしまう人でした。
そんな姉を 当時の人にしては身長が高く女性としては少し劣等感を感じてたであろう母は自分のことのように心配をしていましたが、私にとっては世界で一番好きなお姉ちゃん。お構いなしでついて廻っては‘ついてこないでよっ’といつも困らせていました。
姉が学童期には成績が良かったこともあり、私の図式の中には「お姉ちゃんは優秀でしっかりもの・私は甘えたでみそっかす」という崩れがたい公式がいつもありました。
姉は学校でも同様の評価を受けていたようで、面倒見もよく 常に学級委員的な立場おり 学校に来づらくなった友人を毎朝迎えに行くというようなエピソードには事欠かない人でした。
そんな優秀な姉が思春期を過ぎた頃から、少し 精神状態を崩し始めました。
今考えると彼女の親の期待に応えたい生真面目さと優しさ 思春期特有の父への嫌悪感 本が好きでファンタジックでユニークな感性 そして自分自身の持つエネルギーをうまく統合し表現する手段や、思春期特有の悩みを乗り越える支えとなるものがなかったのでしょうね。
それから数年をかけ、ゆっくりと彼女だけの世界に閉じこもるようになりました。
姉が変化していく様子は‘姉一筋’だった私には大変なショックでした。
なんといっても我が家の「優秀さ」や「責任感」に関しては、全て姉の担当だったんですから。
姉が担当してきたことを、私が少しでも真似ができたら少しはよくなるかしら。
こうなったのは私がのほほんとわがままだったせいかな。
それからの私はまずは自分を攻撃して 後には姉がこういう状態になったのは両親のせいだ、と姉を使っての隠れた反抗期を展開しました。
そして、姉を助けたい、の一心で就職した会社はこころに関わる薬も扱う製薬メーカー。
お付き合いした男性は、ほとんどこころの問題を本人か家族の方が持っていらっしゃる。
そういう意味では成人してからの物事の選び方はかなり一貫性があったようです。
十数年をかけ、カウンセラーの仕事を勉強し、今は姉への支援も多少なり成功したように感じています。
それには 人との縁や協力や、社会的に受け入れてもらいやすい環境が多少なり整ってきたことも大きな素因だと思っています。
状況が落ち着き、私自身が肩の荷を少しおろすことが出来た時に 自分の中に去来したのは「空虚感」と「疲労感」そして「当時の状況への怒り」でした。
もちろん「私が覚えている優しいお姉ちゃん」にもう一度出会えた喜びもありました。
それでも かけた時間は十数年ですから、予測はしていましたが自分自身のなかでのこの解消できない思いは大きかったように感じます。
でもそこでやっと気付いたことは・・・。
たくさんの人が 想ってくれていた事。
見落としていたのは、私が長い時間やたくさんのものをかけて取り組んでいた当時には受け入れられなかったこと。
「姉も苦しんでいる私に罪悪感を感じ、幸せになって欲しいと願っていること」でした。
そう、姉から私への愛でした。
自分より弱い、
とレッテルを貼ってしまった人のハートから暖かい想いを受け取ること、、、
自分が助けなくちゃいけないと感じている人から助けてもらうこと、、、
とても勇気がいりますね。
でも どうやらそれが、彼女の苦しみを一つ軽くする、ただひとつの方法のようです。
姉の状態との葛藤の最終段階が、こういう形になろうとは、思いもよりませんでした。
まず私自身が幸せになることを選ぶ方法もあったかもしれないな、、、なんて思ったりもしますしね。
今回のお話は、少し極端かもしれません。
でも、、、
あなたの周りの普段は見落としがちな「愛」「想い」「祈り」。
今日は少し 感じれる日になったらいいな・・・
そんな想いを込めて・・・。

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