だれもわかってくれないという人に

自分のすべてを表現する勇気

こんにちは 平です。

「だれも私のことをわかってくれない」

「どうせ、十分に理解してくれる人なんていない」

こうした不満をもっている人に共通することは、いつも不機嫌そうな顔をしているということでしょうか。

もちろん、だれにでも、自分のことを知ってほしい、わかってもらいたいという欲求はあるものです。

そう思いながらも、「だれも私のことをわかってくれない」と決めつけていたとしたら、いつも人に対して「どうせ、あなたも私のことが理解できないでしょ?」と感じてしまいますよね。

すると、そういう相手に対し、笑顔ではいられないわけです。

つまり、そこには「わかってもらいたいと思いながらも、心を閉ざしているあなた」がいるわけで、そのあなたを見た人は「いったい、この子はなにをしたいのだろうか?」という疑問をもつわけです。

心理学ではよく“ダブル・メッセージ”といいます。

あなたの心は人に向かって、「来てー! 来ないでー!」、「近づいてきてー! 近づきすぎないでー!」と言っているようなものなのです。

そして、「この私をわかってくれる人などだれもいない」という信念をもっている人にとって、いちばん恐いことは、わかってもらえないことではありません。

そうではなく、この私を理解し、わかってくれる人と出会うことなのです。

あなたは長い間、自分をわかってくれる人がいない世界に住んでいました。

「なのに、もし、わかってくれる人が現れでもしたら、きっと好きになりすぎてしまう。執着しすぎてしまう」

「その人のことしか考えられなくなる」

「そして、もし、その人に嫌われたり、フラれたりでもしたら、もう生きていけない」

「死んでしまうならば、そんな人をもたないほうが安全だ‥‥」

こんなふうに考え、自分の思いが人に知られないようにと心を閉ざし、自分を隠しつづけようとします。

そのとき、人が自分に近寄らないようにするための防衛策の一つが、“不機嫌”という態度であるわけです。

これを、心理学では“ヤマアラシ・ジレンマ”と呼ぶことがあります。

2匹のヤマアラシを極寒の環境におくと、体を寄せ合い、暖をとろうとします。

ところが、体が触れた瞬間、双方のヤマアラシがトゲトゲになり、おたがいを傷つけてしまい、すぐに離れてしまうのです。

つまり、私たちは「自分のことをわかってほしい」と願いながら、わかってもらうことを恐がり、無意識のうちに人を拒絶し、近づけまいとしているわけです。

したがって、友だちがいない、だれも私もわかってくれないという孤独感を感じているとしたら、必要なのは「まずは笑顔」ということができます。

そして、あなたのほうから相手を拒絶するということをやめる努力をしましょう。

とくに大好きな人の場合、距離が近くなればなるほど、その人に拒絶されることの怖さは大きいものです。

すると、自分のほうから嫌われるようことをしたり、より依存的になったり、噛みついたり、ケンカをふっかけたりと、愛を拒絶するような行動をする傾向が強まります。

愛を拒絶する代わりに、こんなふうに言えたらどうでしょうか。

「長い間、私のことをわかってくれる人に出会っていなかったので、わかってくれそうな人がいると、いつも恐くなって逃げ出してしまうの」

そう伝える勇気があれば、まわりの人もあなたがなぜ、そんなふるまいをするのかを理解することができます。

すると、「なんだよ、こいつ!」と思う代わりに、「この子の理解者でありたい」と思ってもらえるかもしれないのです。

自分をどう隠すかということよりも、自分のすべてを表現する勇気が必要なのです。

では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

神戸メンタルサービス/カウンセリングサービス代表。 恋愛、ビジネス、家族、人生で起こるありとあらゆる問題に心理学を応用し問題を解決に導く。年間60回以上のグループ・セラピーと、約4万件の個人カウンセリングを行う実践派。 100名規模のグループワークをリードできる数少ない日本人のセラピストの1人。