ああ、おいしいわ!

「ああ、おいしいわ!」 
と、言った母の最期の言葉が耳に残っています。
母は、93歳で亡くなりました。
老衰で、病気で苦しむこともなく、大往生だったと思います。

わたしは、母と別居しており、車で‪1時‬間くらいのところに住んでいます。
母が元気なころのわたしはと言えば、盆と正月、春と秋の彼岸にお墓参りを兼ねて帰省するくらいでした。

実家は、次男が家を継いでいましたが、若くして亡くなり、義姉と姪が母と一緒に暮らしていました。
母は昔から無駄話をする人ではなく、電話をかけてきても用件だけ言いうとすぐに切ってしまうような人でした。

亡くなる2,3年前に、その母が電話をかけてきて、珍しく家に帰ってきて欲しいという。
用事があるので連れて行って欲しいところがあるというのです。
どうも体調のすぐれない時があったようで、義姉に迷惑をかけたくないのでいつ死んでも良いように葬式代を工面しておきたいという思惑だったようです。

心配になって、それ以来、月に1回か2回くらいは実家に帰るようにしました。
帰るたびに母はすごく喜んでくれました。
と同時に、いろんな鬱憤が溜まっていたのでしょうか不平、不満、愚痴、悪口をいっぱい話ししてくるようになりました。
母は、耳も遠くなっているので、こっちの言うことはよくわからない。
聞くしかできることはありませんでしたが、実家に帰るたびに聞かされると、さすがに嫌気がさしてきます。

ところがこの母の不平、不満、愚痴、悪口があるときを境にして一切なくなったのです。
それは、体調悪化で入院してからでした。
入院は1週間くらいでしたが、その後、目に見えて体力が落ちていくのがわかりました。
それまでの母は、耳こそ遠いものの、自分の足てサッサと歩くことができますし、判断にも支障はありませんでした。

この入院から1年もたたずに母は亡くなります。
入院で落ちた体力は戻らず、家の中だけで過ごすようになり、歩くのも物に捕まらないと歩けなくなり、やがてベッドに寝たきり。
認知もだんだん怪しくなってきました。
そして二度目の入院。

このころになると母の口から出てくるのは感謝の言葉ばかりです。
「ようしてもろうて、わたしほどのしあわせものはおらへん。ありがとうなあ」と繰り返し、繰り返し、話します。
顔を出すたびにこう言うのです。

亡くなる3日前に転院しました。
そこの看護士さんがとても優しい方で、母のゆっくりとしたペースにあわせて時間をかけて食事をさせてくれました。
それが冒頭の言葉です。
オレンジとマンゴーをペースト状にしたものだったと思いますが、親鳥がひな鳥に餌を与えるような感じがしました。

一口食べては、「おいしいわ!」と言っては口をパカッと開けて、次のを待っています。
母はよほど嬉しかったのか、その看護士さんに「あんたも体に気をつけてやるんやで」と体の動かない患者が、食べさせてもらっている看護士さんに言っているのは滑稽でしたけども。

さて、母はいったい、何を教えてくれたんだろう?とずーっと考えたことがあります。
自分が将来、母のような状況に陥った時、子供たちに何を与えてやれるのか、ということです。
身体は動けない、何もしてやれない、ただ世話をしてもらうだけの存在なのだろうか?と。

母の感謝を聞いていて、母は、身をもって教えてくれたのかな、と思っています。

母の教えてくれたことは「さあ、お前、母を愛してごらん。母は何もしてやれない。若い時には子供たちに何でもしてあげられた。でも、いまはそうではない、赤ちゃんのようになにもできなくなった母を、今度はお前が母を愛するんだよ」と言われたような気がしました。
そして、わたしは無理はしない、犠牲もしない、義務感でやっているのでもない。その時の自分ができることを精一杯できたのかなと思っています。
母はそれを見て「合格だよ、満点だよ」と言って亡くなっていったよう思えるのです。

無理をして、犠牲でやっていたら、母はここまで喜んでくれなかったのではないかと思います。
犠牲ではなく、義務でもなく、ただ愛したいから愛したことに、感謝で返してくれたのではないかと思っています。

母は、ただ、無条件の愛を与えさせてくれたのです。

この記事を書いたカウンセラー

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大西 三千男

職場や家族間の対人関係、パートナーシップ、自己肯定感の実現を得意としている。欠点としか思えなかったことを長所に変えるものの見方の提案と、楽になるためにの考え方の提案を行う。気づきを得てもらうことで「腑に落ちました」「そう思っていいんですね」「安心しました」と好評である。