今をありのまま見れない私たち(1)~投影はしてしまうものなのです~

私たちは、今をありのまま見ることができず、過去の傷や未来への恐れを通して、今を生きてしまうことが多いようです。

今を見ることができず、過去の出来事にしがみつき、未来を恐れていると、生きているという感覚すらもてなくなってしまうことがあります。

また、過去の傷や未来への恐れを土台に今目の前で起こっている出来事を見たり、今目の前にいる人を見ると、その出来事や人をありのまま受け入れることができなくもなります。過去の傷や未来への恐れから、様々なものを判断するのではなく、今あるものを、可能な限りありのまま見てみようとすることで、今の感じ方を変えていくことができます。

同じ出来事であっても、人によって捉え方が違います。その違いは、過去に経験したこと、その時に感じたことが違うからです。これは、投影と言われるものなのですが、投影は私たちはどうやってもしてしまうものです。ですからありのままの今をまっすぐ見ることができないのです。でも、ありのままを見ることができていないのだということを知っているだけでも、今の気分を変えることができるものなのです。

一説によるとですが、私たちは今をありのまま、そのまま見ることができていないようです。

同じできごとを体験しても、人によって感じ方が違い、捉え方が違います。
違うこと自体は別に悪いことでもなんでもなく、ただ違うということなのですが、違うことによって気分がよくなる人と、悪くなる人が出てきます。

例えば、友達と約束していたときに、その友達が遅刻したとしましょう。
ある人は、「そんなこともあるよね」と捉える。

別のある人は、「遅刻するなんて、私との約束を、大切だと思っていないからだ」と捉える。
どう捉えるのも自由なのですが、事実は「約束の時間に友達が遅刻した」ということです。

「そんなこともあるよね」と捉えた人は、特に傷つくということはありませんが、「私との約束を大切だと思っていないからだ」と捉えた人は、その後、「私は友達にとって大切な存在ではないのだ」と感じてしまう可能性が大きいですよね。

そうすると、友達が遅刻したという出来事によって、傷ついてしまうのです。
事実は、「友達が遅刻した」ということです。

そのことを、どう見るかは、自由なのですが、私たちは、過去の経験や過去に解釈したことを元に、今を見て解釈してしまうことが多いようです。

他にもあります。
会社で怒りをまき散らしている人がいるとしましょう。
それは、錯覚ではなく、事実いつも怒っているわけです。

でも、その出来事を、どう見て、どう感じるかは人ぞれぞれであり、見方感じ方によって、私たちの気分は左右されます。

その人は怒っている。
そして、その怒りを周りにまきちらしている。
それを「あの人は、あんなに怒って、疲れないのかな~」「うるさいな」「やめてくれないかな」と見て感じる人もいるでしょう。
また、まるで自分が怒られているように感じて、「怖い」と思う人もいるでしょう。

もしかしたら、「あの人は怒りをまき散らすので、ダメだ」と判断する人もいるかもしれませんね。

どう捉え、どう見てもいいのですが、どうせなら気分よく今を見れたいいですよね。

自分がどう捉え、どう見ようとも、事実は、会社でとある人が、怒りをまき散らしているということです。

ありのままの今を見るというのは、なかなか難しいのですが、過去の出来事を通して今を見ているということを知っていれば、多少は、今起こっているできごとを、ありのままに近い形で見ようとできるのかもしれません。

対処すべき問題が起こったのかもしれませんが、そこに過去の経験を被せて見てしまうと、ただ対処すべき問題であったものが、悲劇に見えてしまい、問題の対処ができなくなってしまうこともあるのです。

起こった出来事だけでなく、私たちは、人に対してもやはり過去に出会った誰かを通して見てしまっているようです。

今をありのまま見ることができないのは、私たちが過去の出来事、出会った人を通して今を見てしまうからです。
これは、投影と言われるもので、私たちはどうしてもそのように、物事を見てしまうようです。

でも、そのように見てしまうのだということを、知っておくことは、多少なりとも、今をありのまま見るためには必要なのかもしれません。

この記事を書いたカウンセラー

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大門 昌代

恋愛や結婚、浮気や離婚など男女関係、対人関係やビジネス関係、家族関係や子育て、子供の反抗期、子離れ、親離れ問題など幅広いジャンルを得意とし、お客様からの支持が厚い。 女性ならではの視点と優しさ、母としての厳しさと懐の深さのあるカウンセリングが好評である。PHP研究所より2冊出版。