こんにちは。心理カウンセラーのおだにひろみです。
私たちは大切な人から、愛がほしいときに、ほしい形でもらえなかったとき、傷つきます。
そんなとき、自分がほしい形ではなかったけれど、その人なりの愛はあったのかもしれないという視点で相手を理解していくことで、誤解がとけて物事の見え方や考え方が変わることがあります。
私は子どものころ「おばあちゃんから愛されていない」と思っていましたが、大人になるにつれて、祖母の不器用な愛し方を理解することができるようになりました。
でも、過去に傷ついた経験から「愛されていることはわかるけど、私がほしいのはこれじゃない」、そんな葛藤を抱えていました。
今回は、そんな私がついに祖母の本当の想いを知り、そのままの私で愛されていたことを実感できたおはなしです。
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昨年、山口県に暮らしていた母方の祖母が、100歳で他界しました。
祖母は忍耐強い働き者。
愛情深い人でしたが、あまりに無口なので、私にとっては何を考えているのかよくわからない人でした。
そんな祖母とは、私が小学5年生のころから一緒に暮らしていました。
祖父が他界した1年後、祖母の家に私の家族(父、母、姉、私)が引っ越して、5人で暮らすようになったのです。
一緒に暮らしはじめたころ、私は祖母と仲よくしたくて、緊張しながらも一生懸命話しかけました。
「友達とバレーボールして遊んだよ」「マラソン大会、がんばったよ」「今日、学校でこんなおもしろいことがあってね…」など、私が勇気を振り絞って話しかけたにもかかわらず、祖母は「ふーん」と言うだけでした。
私が友達とケンカをして落ち込んでいたときも、祖母は興味がなさそうに聞き流し、目も合わせてくれませんでした。
私はいたたまれなくなって、自分の部屋にこもったのでした。
そのころから「おばあちゃんは私のことが嫌いなのかな。無関心で冷たいな。大人のくせに、優しい言葉のひとつも言えないのかな」と思い続けていました。
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その後、大人になった姉と私はそれぞれ家を出て、父と母は祖母の家の近くに家を建てて暮らすようになりました。
高齢の祖母はひとり暮らしになり、私の母(祖母の娘)が、お世話をしに祖母の家に通っていました。
祖母が亡くなる1年前、私は山口の実家に帰り、祖母に会いに行きました。
祖母が食卓で、母が作った夕飯を食べていて、私はその隣の席に座っていました。
祖母は私に「あんたも食べんさい」と言い、そして、思い出したように「あ!ここにお寿司がある」と、すぐそばに置いてあるカゴに手を伸ばしましたが、カゴにお寿司はありませんでした。
99歳の高齢でしたから、認知症の症状が出ていたのです。
「あれ、巻き寿司があったのに」と、残念そうにしている祖母。
私はおもてなしの心をうれしく思いながら、食卓に置いてあったお菓子を食べました。
そして祖母が、母に言うのです。
「お父さんは仕事かね?」と。
祖母の言う「お父さん」とは、亡くなった祖父のことで、私は「おばあちゃんは旦那さんのことを気にしてるんだな」と思いました。
母は「そうよ、まだ仕事から帰ってこんよ」と返し、祖母は「そうかね」と言って、またごはんを食べました。
祖母が食べ終わり、ふたりでテレビを観ていたとき、祖母が私に「じゃけど、ひとりになったらさみしゅうなるね。まだその味わいはなかろう」と言いました。
あまりに突然だったので、何のことかとおどろきましたが、私はすぐにこう思いました。
「おばあちゃん、おじいちゃんがいなくて寂しいんだ。寂しくて寂しくて、旦那さんに会いたいんだ」。
私が祖父のことをたずねても、決まって「忘れた」と言っていたけれど、祖母は祖父のことを忘れてなどいなかったのです。
私は初めて、気丈な祖母の本音を聞いたのでした。
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これは母から聞いた話ですが、祖父母は戦時中に満州で出会ったそうです。
祖父は水軍の衛生兵として、祖母は看護師として、軍の医療に関する業務を行っていました。
終戦後、日本に帰ってきたふたりは結婚しました。
その結婚生活は約40年。
祖父が他界して約40年。
姿かたちはなくても、祖母は祖父を一途に愛し抜いて、添い遂げたのでした。
私は思いました。
「でもおばあちゃん、40年もの間、どれほど旦那さんに会いたかっただろう。どれほど旦那さんに触れたかっただろう。すごいな。愛するって、こういうことなんだ」。
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祖父母の結婚は“取り子取り嫁”といわれるものでした。
祖父は結婚を機に、跡取りのいない親戚の養子となり、祖母はそこに嫁いだのです。
ふたりで築いた新しい家庭。
2人の子どもに恵まれ、そこから私たち孫が生まれ、ひ孫が生まれ。
総勢16人。
祖母は生前、お盆やお正月に親戚で集まることを欠かしませんでした。
みんなを家に呼び、料理をふるまってくれるのです。
大阪で離れて暮らしている私は、その集まりにもほとんど参加しませんでしたが、祖母はやはり何も言いませんでした。
昨年の祖母の葬儀には、親戚一同(配偶者も含めて)全員が集まりました。
私たちのすべてを受け入れ、見守り、数々の悲しい出来事もいさかいも、どこ吹く風とばかりに軽やかに受け流すその強さ。
祖母の大きな愛のもとに、私たちは生きてきたのだと実感しました。
おばあちゃんが愛してやまなかった私たち。
祖母は私たちを“愛する人”で、そして私たちから“愛される人”だったのでした。
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子どものころ、祖母の愛に気づかず、「おばあちゃんから気にかけてもらえない、かわいそうな私」という物語を作っていたのは、実は私自身でした。
私が望むように、親身に話を聞いてくれたり、優しい言葉をかけてくれたりはしませんでしたが、黙って見守ってくれる祖母でした。
とことん相手を尊重し、「そのままのひろみさんでいいよ、ひろみさんなら大丈夫」と、ただただ無条件に深く愛してくれました。
これ以上ない祖母の愛し方。
「おばあちゃん、ありがとう。私、これがほしかったの」。
今度は私が、この愛のバトンをつないでいく番です。
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あなたの大切な人は、どんな愛し方をする人ですか?
その人の愛し方は、あなたがほしい形ではなかったかもしれないけれど、その人なりの愛を見つけて受け取ることができたら、心が満たされることでしょう。
すぐに受け取れなくても大丈夫です。
そんなときは、まずは傷ついている自分の心を大切にしてあげてくださいね。
それでも「相手の愛を見てみたい」と思い続けることで、その人への理解は少しずつ深まっていき、いつか必ず受け取れるときがくると思います。
あなたが、大切な人の愛を受け取り、心満たされますように。
私の体験が少しでもお役に立てたら幸いです。