亡き祖父の愛とともに

こんにちは。心理カウンセラーのおだにひろみです。

私たちにとって大切な人が天に召されたとき、なかなかすぐには気持ちの整理がつかないかもしれません。
でも、いつか悲しみが癒えて、その大切な人からの愛に気づき、受け取れたら、どんなにしあわせなことでしょう。
今日はそんな私の体験を分かち合いたいと思います。

私は、母方の祖父が大好きでした。
祖父は山口県の出身です。私は小学2年生からは山口で暮らしましたが、それまでは愛媛にいたので、離れて暮らしており、祖父との思い出はあまり多くはありません。
でも、そのひとつひとつが鮮明に脳裏に焼きついています。

私が子どものころのある寒い日。
コタツに入っていたら、向かい側に座っていた祖父が、足の親指と人差し指で、私の足をつねってきました!
おどろいて祖父を見ると、知らん顔をしています。
「おじいちゃん何するの!痛いじゃんか!」と言って、私は祖父にじゃれついていき、ふたりでゲラゲラ笑いました。

タバコを吸っている祖父が、少し上を向いて、ほおを指でポンポンとたたくと、口から輪っかが出てきます。
祖父がタバコの煙で、まあるい輪っかをいくつもつくり出すのを、私は目を丸くして「うわ〜!すごい!!」と、ながめていました。

祖父は私にとって、何をしでかすかわからない、まるでマジシャンのように、とても楽しい人でした。

祖父は私に大切な話もしてくれました。
「茶碗の米は一粒も残さないように食べなさい」
「先生の話はしっかり聞きなさい。授業中に今日の晩ごはんは何かな?なんて、よそ事を考えていてはダメだぞ」と。

戦時中の大変な時代を生き、ごはんがままならなかった生活や、学べることのありがたさを、身をもって知っている祖父の話は私の心に響き、いまだに覚えています。

大好きだったおじいちゃんは、私が小学4年生のときに亡くなりました。
肺の病気だったと聞いています。

秋も深まったある朝、起きてリビングに行くと、父から「おじいちゃんが亡くなった」と聞かされ、私は悲しくて声を上げて泣きました。
私がワンワン泣くそばで、父も母も黙ってうつむいていました。

私はしばらく泣いた後、その日は学校に行かなくてはならなかったので、涙を拭いて、登校の準備をしました。
準備をしながら、母がひとりで泣いているのを見て、ハッとしました。
「お母さんは“お父さん”を亡くしたんだから、“おじいちゃん”を亡くした私よりずっと悲しいんだ」と思いました。
母は私よりも、祖父と一緒にいた時間が長いのだから、はるかにたくさん思い出があると気づいたのです。

私が泣くと、泣くまいと必死にがまんしている母もつられて泣いてしまうと思うと、母がかわいそうで、泣けなくなってしまいました。

そのころから私は、日記を書くようになりました。
書き出しは毎日「おじいちゃんへ」です。
おじいちゃんに向けて、その日あったことや心配事、人には言えないような自分の本当の気持ちを、何年も書き続けました。

おじいちゃん、今日友達とこんなことがあってね…
おじいちゃん、今日学校で先生に叱られたんだよ…
おじいちゃん、今日はこんないいことがあったよ!
おじいちゃん、お母さんの悲しみをなくしてあげてください…

そうやって祖父に、なんでもかんでも聞いてもらうつもりで書きました。
悲しみをこらえながら。
「おじいちゃん、なんで死んじゃったの。私をひとりぼっちにしないでよ。もっと生きていてほしかった。おじいちゃん、助けてあげられなくて、ごめんね」。

私に感情がなければいいと、何度思ったかしれません。
感情がなければ、こんなにつらい思いをせずにすむ。
感じてしまう自分がわるいんだと自分を責めて、「感情を感じるのは弱いこと」と自分に言い聞かせ、感情をなくそうと必死に努力しました。

そんな私を、もし祖父がそばで見ていたら、どんなふうに思ったでしょうか。
「わしが早く死んだばっかりに、つらい思いをさせてわるいなあ。身体がないから、何もしてやれないな。ひろみちゃん、助けてやれなくて、ごめんな」。
そんなふうに、きっと祖父も自分を責めることでしょう。

大人になったある日、悲しみにくれる日々は、もういいかなと思いました。
「もう十分に悲しんだ。私はおじいちゃんが大好きで、おじいちゃんも私が大好きだった。おじいちゃんと身体は早くに離れてしまったけれど、心は今でもずっとつながっている。それでいいのではないか」と。

話はそれますが、私は絵の教室をしていて、地域のイベントなどで講座を開くことがあります。
絵が得意な人はもちろん、「絵心がなくて…」と苦手意識のある人や、子どもたちなど、誰もが簡単にきれいに絵が描ける工夫をたくさん考えます。
「なんとかして、参加してくださる方に、感動して『わあ!』って言わせたい!」と、あれこれ考えます。

そして、考えた工夫が功を奏して、うまく「わあ!」と言っていただけたときの満足感といったら!

きっとおじいちゃんも、コタツの中で、足で私をつねったり、タバコの煙で輪っかをつくったりして私をおどろかせたとき、こんな気持ちだったんだろうなあと思います。
私の、びっくりしてまんまるな目を見て、大満足だったことでしょう。

私が人をよろこばせたり、笑わせたりすることや、楽しいことが大好きなのは、おじいちゃんゆずりなのだと思います。

心理学では“受け取ることは与えること”といわれています。
「大切な人をよろこばせたい、しあわせにしたい。」
そんな祖父の愛を私が受け取り、今度は私が、大切な誰かにその愛を差し出していく。
そんなふうに祖父の愛が受け継がれていくことは、祖父にとって最高にうれしいことでしょうし、なにより私自身がしあわせです。

あなたには、受け継いでいきたい、大切な誰かの愛がありますでしょうか?
もしありましたら、ぜひ、もう一度受け取り直してみてはいかがでしょうか。

祖父は戦争中に満州で祖母と出会い、戦後、大恋愛で結婚しました。
祖父は山口から、祖母の暮らしていた岡山に「結婚してください」と何度も出向いたそうです。
おじいちゃんが、おばあちゃんを大好きになって、情熱的なプロポーズをして、おばあちゃんもその愛に応えて、ふたりが結婚してくれてよかったなあと思います。

そんなふうに祖父は、私たち家族をいつも情熱的に愛してくれました。
悲しみやさみしさよりも、祖父からめいっぱい愛されたこと。
私もおじいちゃんのように、家族やまわりの人たちをめいっぱい愛したい!
祖父の愛は、私の中に生き続けています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

離婚危機を乗り越えた経験から、パートナーシップの問題を多く扱う。また繊細さと豊かな感性を持つことから、生きづらさを抱える方からのご相談を得意とし、誤解をひも解き、本来の姿へと導く。あたたかく親しみやすいカウンセリングで「物事の見方や考え方が変わり、気持ちが楽になる」と好評である。