罪悪感をもったまま幸せに生きていいのか

相談者名
氷菓
はじめまして。現在20代半ばの女です。
自分の過去の行動に対する罪悪感から、幸せに生きることへの葛藤に悩んでいます。

昔飼っていたハムスターを知識不足から殺してしまったり、今飼っている犬にも、以前散歩の時に強くリードを引っ張ってしまったり。
10代の頃は摂食障害で常にイラついて、母に迷惑をかけました。
落ち込んだ私を母が慰めてくれたときも、その優しい言葉を全否定する返答をして傷つけました。
私のことを大切に思い、心配してくれている母を傷つけてしまった…と凄く後悔するのに、また些細なことで怒ってしまう…の繰り返しでした(身内だからと甘えていたせいかもしれません)。

変な話ですが、傷つけているにも関わらず、当時は悪気も、ひどいことをしているという自覚もありませんでした。
むしろ飼っていたハムスターも今も生きている犬も大好きで、ずっと愛しています。
母も、10代の頃は苦手でしたが今は愛おしい存在です。
だからこそ、傷つけたことへの後悔が強くあります。

ちなみに、償いとして以下のことを行いました。
・怒りそうになったら3秒黙る
・母は私の幸せを願っている人だと改めて意識する
・摂食障害時にかかったお金を返す
・母への負担を減らすため、掃除を進んで行う
・動物と関わる際は、心地よく幸せに過ごせるよう、優しく接する
・動物愛護団体へ寄付をし、動物への苦痛が少ない方法で作られたものを買う

今は心も行動も改めています。
万が一の際も母を傷つけないように、最近一人暮らしも始めました。
しかし、まだ償いきれていない気がして、喉元が苦しくなります。
この苦しみを忘れないことが償いであれば、この状態でいることが正しいのか?とも思ってしまいます。

また、いろいろ恵まれて幸せでも、
「私は本来罰を受けるべきなのでは。けれども、苦しむのは嫌だし、今後も幸せでいたい…」
という具合に、罪悪感とそれから逃れたい感情が湧いて複雑な気持ちです。
本当は自分の幸せを喜んで受け取り、自分も家族も動物も、もっと幸せに出来る生き方をしたいのですが…こんなことを加害者が考える権利があるのか?と悶々としてしまうのです。
こんな私でも少しでも良く生きられるにはどうしたら良いのでしょうか。

ご助言いただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

カウンセラー
いしだちさ
氷菓さん、はじめまして。
カウンセラーのいしだちさと申します。
この度はご相談ありがとうございます。
本当に勇気を出してくださったのではないかなと思います。

氷菓さんがご自身の過去に本当に申し訳なく思い、たくさんのことを償ってこられたと思います。
それでも

>本来罰を受けるべきなのでは

と、ご自身を責め、幸せになってはいけないと思う葛藤はどれほどだったのでしょうか。
簡単には人にも話せず、一人で苦しんだ時期も長いのかもしれません。

でも、氷菓さんは家族や動物たちの痛みを感じてあげられる優しさや思いやりがあると感じます。
そして、
「もう傷つけたくない」
と、償い、行動してきたのは、祈りに近い願いを氷菓さんが持っているからであり、強さなのだと思います。

そんな氷菓さんが、どうしたら自分の幸せを喜んで受け取り、自分も家族も動物も、もっと幸せに出来る生き方をしていいと、心から思えるようになるのか、氷菓さんの心で感じているものはなにか、一緒に考えていきたいと思います。

■氷菓さんの過去は、本当に許されないものなのでしょうか。

>心配してくれている母を傷つけてしまった

と、書いてくださいました。
実は私も摂食障害に近い状態だったことがあります。
当時の私も、正直だいぶ母を傷つけたと思います。
同時に、摂食障害は自分自身の心も体も傷つけ、痛めつけました。

実は人が怒りを感じるのは
「助けてほしい、愛してほしい、理解してほしい」
と、思っているのに、素直に言えないときだと言われています。
氷菓さんにもそんな気持ちがあったのかもしれません。

■氷菓さんが本当にしたかったこと

幼いころから氷菓さんは我慢したり、自分のことをわきに置いて誰かの役に立とうとしたり、喜ばせようとしていたり、笑顔にしたかった方なのではないでしょうか。

10代になり、もうこのやり方で生きていけないとばかりに、限界を迎えてしまったのではないのかなと、思います。
それだけ、本当はとても傷ついた氷菓さんがいるのかもしれません。
だから、本当に大切に優しく丁寧にケアしてあげたり、接してあげてほしいなと、思います。

と、同時に、氷菓さんが過去をこれだけ後悔し、加害者意識を感じているのは、とても純粋で責任感が強いからこその、物事が白か黒かしかない白黒思考や完璧主義もあるのかもしれません。

ハムスターも、犬も、大好きだったし、お世話をしたからこその後悔なのかなと、私は思います。
だから、私は氷菓さんがした過去は、
「本当に許されないものなのかな?」
と、思ってしまうのです。

どんな人も、自分がいっぱいいっぱいなときに、人を心から思いやったり、お世話をすることは難しいものです。

■家族や動物も幸せにしたいからこそ

人が、周りの人にやってあげたいことは、本当のところ、自分がしてもらいたいことだと言われています。
だからこそ、氷菓さんが動物や家族に償ったことを、実は、ご自身にしてあげてもいいのかもしれません。

たとえば
・自分を怒りそうになったら3秒黙る
・自分と関わる際も、心地よく幸せに過ごせるよう、優しく接する
・自分のためにも、お金を使ってあげる
などです。

罪悪感がゼロになったら自分に優しくしてあげるのではなく、罪悪感がある今のままの自分に優しくしてあげてもいいのかもしれません。
自分に優しくできたとき、 自分を厳しく罰したり、監視するのではなく、自然と誰かに優しく、大切に接することができるのかもしれません。

■一人でなんとかできることの限界なのかも

とはいえ、氷菓さんは

>母を傷つけないように、最近一人暮らしも始めた

と書いてくださいましたが、どこかで他の人のことも傷つけないようにと、人との間に距離を取ろうとしたり、自分でなんとかしようと一人で抱え込んでしまうかもしれません。

でも、強い加害者意識は、幸せや、喜びを受け取ること、償い以外の、自分のまるごとの愛情を与えることに強い抵抗を感じさせるので、自分一人でここを乗り越えるのはなかなか難しいのかもしれません。

「もう氷菓さんは許されているし、幸せになっていい」
と、改めてお母さんや、誰かに見てもらうこと、つながることは、氷菓さんの人生を変えてくれる大切なことなのかもしれません。

■「ごめんなさい」は、「ありがとう」なのかも

氷菓さんは、誰かから見てもらえたり、つながることも
「ごめんなさい」
と、感じてしまうかもしれません。

でも、罪悪感が強いと、無意識的に使ってしまう「ごめんなさい」は
「ありがとう」
にも、変えることができるようなのです。

ありがとうは
「愛を受け取りました。あなたは私の喜びの存在です」
と伝えてあげることができます。

お母さんに一番伝えたい言葉も、氷菓さんの喉元の苦しさも、本当は
「ごめんなさい」
ではなく、
「お母さん、ありがとう」
を、伝えたいのかもしれません。

■こんなに苦しんだからこそ、氷菓さんができることがある

愛はあるのに上手に愛せないことは、本当に苦しいものです。

それを痛いほど感じてきた氷菓さんだからこそ、上手に愛することができず、自分は罰にふさわしいと苦しんでいる人を
「苦しいよね。でも、もう許してあげて。幸せになっていいんだよ」
と、伝え、癒すことのできる方なのかもしれません。

実は私もたくさん罪悪感に苦しんできて、たくさんの人に助けてもらいました。
どれだけ、氷菓さんが怖かったのだろう、苦しかったのだろうと思います。
だから、私は氷菓さんのご相談を伺えて、本当に心から嬉しく思っています。

でも、そんなふうに感じるのは私だけでなく、実はたくさんの人や動物たちが氷菓さんのことを見守ってくれていたり、氷菓さんの幸せを心から願ってくれているのだと思います。

氷菓さんの幸せを、心から応援しています。
お読みくださり、ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

発達障がい児の子育ての経験から、生き辛さの根っこにある未消化な思いや痛みに穏やかに寄り添い隣で支えることを大切にしており、 「話すことのすべてを大切に聴いてもらえる安心感」がある。 あらゆる人のなかにある豊かな才能・魅力に光をあてることで、生きる力を一緒に育てるカウンセラーである。