スイスでの子育ての思い出

今から25年前のことです。
私たち家族は夫の仕事の関係でスイスに行くことになりました。
当時息子は生後4ヶ月、日本を出る直前まで無熱性けいれんで検査入院をしていました。

2ヶ月間の検査の結果は「とりあえず今は大丈夫…」。
今は?これって安心していいのだろうか?
不安な気持ちのまま出国することになったのです。

今のようにインターネットもない時代で、これからどんな場所に住み、どんな暮らしになるかは実際に行ってみないとわからないという状態でした。
わかっていることは住所くらい。

でもその住所を訳してみるとそれはなんとも可愛らしく「クルミの木の小道8番」。
不安の中にも心躍る気持ちがあったのを思い出します。

スイスに着くと、そこは「アルプスの少女ハイジ」のような山の暮らしではなく、クルミの木も見当たりませんでしたが、静かな住宅地に私たちが暮らすことになる3階建てのアパートはありました。
近くには小さな教会があり、15分おきにカランと鐘の音が聞こえてきました。

目にうつるすべてが美しく、少し前まで薄暗い病室で息子と不安な日々を過ごしていたのが嘘だったかのように感じられたのでした。

最初にやらなくてはならなかったことは、息子の病院探しでした。
知り合いに聞いて紹介されたのは小さな小児科のクリニックでした。
スイスに着いてからの息子は、けいれんは起きなくなっていたものの、運動の発達が遅いと診断されセラピーを受けることになりました。

異国でのはじめての子育ては大変ではありましたが、私たちはとても多くの人たちに助けられてなんとかやっていくことができたのです。

平日、私はひとりで息子をベビーカーに乗せて買い物に出かけていたのですが、バスの乗り降りは誰かしらがかならず手を貸してくれました。

また、ある朝ひとり部屋で寝ていた息子が起き上がり、あやまって内側から鍵をかけてしまったことがありました。
夫は出張中で携帯電話もまだなく連絡が取れません。
アパート中に響きわたる息子の泣き声。
私はパニックになり、ママ友に電話をかけてアドバイスをもらいました。
「朝7時ならスイスでは迷惑な時間じゃないよ。はやくアパートの人に助けを求めて!」

私は勇気を出して上の階のお宅に行き、身振り手振りで助けを求めました。
そこに住む女性は嫌な顔ひとつしないで、すばやく鍵を手配してくださり事なきを得ることができました。

「助けてください」
私はこれまでこの言葉をなかなか言うことができませんでした。
人に頼ることは迷惑だと思っていました。
でも、誰かの助けなしではとても息子を育てられませんでした。
私はこころよく手を貸してくださる人たちの好意を、ありがたく受け取ろうと思ったのです。

「人は、私たちが思っているよりも約2倍、誰かを助けたがっている」ということを聞いたことがあります。
好意に甘えてばかりいてはいけないと思うのですが、困っている時に助けを求めることは決して迷惑ということではないのですね。

受け取ることは与えること。
精一杯の感謝の気持ちを私が伝えたら、みなさん笑顔で返してくれました。

そして「今日、助けを求められたら、明日は誰かを助けることもできる」この言葉も私の救いとなっています。
当時、助けてもらった人たちに恩返しはできなくても、今、困っている人を助けることはできます。
そんな思いもあり、私はカウンセラーになろうと思ったのです。

スイスの暮らしは1年半という短い期間でしたが、はじめて経験することばかりで、とても長い年月を過ごしてきたかのように感じられます。

スイスを出る前に、お世話になった人たちを家にお招きして、ささやかなホームパーティを開きました。
スイスの人も日本の人もみんな心の温かい人ばかりでした。

15分ごとの教会の鐘の音がはじめ1時間くらいたったのではないか?と長く感じていましたが、日本に帰国してみると本当に同じ24時間だろうかと思うほど、日本の1日ははやく感じられました。

その後、息子はけいれんも運動の発達も問題がなくなり、現在27歳になります。
遠いむかしの、私のスイスでの子育てのお話でした。

この記事を書いたカウンセラー

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恋愛、夫婦関係、親子関係などの対人関係全般を幅広く扱う。 モットーは「母のように優しく、どんなネガティブな感情も否定しないで受け止める」であり、その包容力やきめ細やかなサポートに定評がある。 「とてもリラックスできる」「自分でいられる」など、安心感に包まれる時間を提供するカウンセラーである。