お味噌作りと受け取れた愛のお話し

じぶんのしたことで、誰かによろこんでほしい。
じぶんのしたことで、誰かをしあわせにしたい。

っていうおもい。
それってわたしたちこころのおくに秘めているつよい願いなんじゃないかとおもうのです。

わたしたちは、 家族をしあわせにするために、おしごとをしたり、ごはんをつくったり、おせんたくをしたりします。

わたしたちは、誰かをしあわせにするために、便利なものを考えてみたり、おいしいものをつくってみたり、うつくしいものがたりを書いてみたり。歌をうたったり。わらわせてみたり。国と国が平和になるようにお話し合いをしてみたりしていますよね。

わたしたちがつくった生活のなかのすべて、誰かの「よろこんでほしい」「しあわせにしたい」っていうおもいからできている、といってもいいのかもしれません。

なにげなく生活しているけれど、わたしたちは、ほんとうにたくさんの誰かからの愛のおかげで生きているのだといえるのかもしれませんね。

でも、わたしたちは、ふだん、そんなに大切なことをあまり意識しないで生活しています。

わたしたちは、おとなになると「じぶん」が「誰かをよろこばせたい」とか「じぶん」が「誰かしあわせにしたい」って気持ちのほうがつよくなってしまうのかもしれません。
じぶんが愛を与えることばっかりに一生懸命になりすぎているところがあるのかもしれません。

そうして、もったいないことに、誰かからの愛を受け取ることをおろそかにしているのかもしれません。

そんなふうにえらそうにいっていますけど。
わたしもつい、さいきん「受け取っていない愛」に気がついてはっとしたことがあったのです。

わたしは、先月から、休日一日家にこもって、お味噌作りをしています。
大量につくるのです。ひとつひとつの作業は簡単なのですが、量がおおくなるとおおしごとになります。

大量につくるのは、母にわけてあげるためなんです。
去年、わたしの手作りお味噌をあげたとき、「ひろみのつくった、お味噌、おいしいねぇ。また食べたい。」とにこにこと大喜びしてくれたのです。

わたしの母は、わたしがなにかしてあげても、あまり喜びません。
あしがわるいので旅行も連れて行けないし、ほしいものもないのです。
お洋服も靴もほしがりません。
おいしいものも、ぽっちゃり型の母は、太らないようにしないといけないので喜ばないのです。

わたしが、遅ればせながら結婚したりなんかしたら、喜ぶかもしれませんが。
こればっかりはご縁というものですから、そう簡単にできるものでもありません。

年老いた母ひとりも喜ばせられないじぶん。
なんて残念な、できそこないの娘だろう。
そう思ってじぶんをせめてしまうこともあるのです。

めったによろこばない母が、わたしの手作りお味噌はよろこんでくれる。

だから、貴重な休日、家にこもって、お味噌作りという重労働をするわけなのです。

大豆をひとばん、おみずにつけてふやかして。
つぎのひ、大豆をアクを丁寧にとりながら、やわらかくなるまで煮て。
それをつぶして、麹とお塩とまぜる。
さいご、空気を抜いて、ジップロックにつめて。
ひとなつこえたくらいまで、熟成させるのです。

つくりかたはかんたん。
でも、大豆がうまいことやわらかくならなかったりして、圧力鍋につきっきり。
たきあがった大豆をつぶすのも大変。
朝からとりくんで、夕方やっと終わるのです。

もうちょっと簡単なことでよろこんでほしいよ~。もう休日がつぶれちゃったよ~。
なんて最後には、母に対してぶつくさいう文句で胸がいっぱいになってしまうくらいなのです。
じぶんが「わるいむすめ」とおもうから「いいむすめ」をついやってしまうのです。
こういうのを心理学で「犠牲」なんていったりします。

そんなふうに、ひとり、もくもくとお味噌をつくりながら、おもいだしたことがありました。

ちいさいころ、父方のおばあちゃんから、野菜とか、山菜とか、くだものとか、お米なんかが、定期的に送られてきました。
そのなかに、てづくりお味噌が毎回、たっぷりとはいっていたのです。

こどもがよろこぶようなおもちゃとか、おこずかいは、その荷物のなかには、はいっていませんでした。
おばあちゃんはお金持ちではなかったんです。

わたしの家もお金持ちではありませんでした。
おふろのない2部屋しかない独身寮に5人ですんでいました。
両親はいつもお金にくろうしていて、どうやって生活していこうか、いつも、悩んでいました。

おばあちゃんは、わたしの両親の苦労をよくわかっていました。

おさないわたしにとっては、おもしろくもない、地味な、おばあちゃんからの荷物。
でも、母にはその荷物がとてもありがたかったのだろうなぁって、そのときわたしは思えたんです。
母は「これで、今月なんとかやっていける」ってほっとしたろうなぁって。

おばあちゃんの作ったお味噌はお塩がきいていて、はっきりした味でした。
そぼくだけど、濃厚で、力がわいてくるような味。

じぶんでつくってみて、お味噌作りがどんなに大変かがわかると、おばあちゃんのお味噌のありがたさ、美味しさがあらためてわかったような気がしました。

おばあちゃんは、きっと。「がんばれよ~」「まけるなよ~」という思いを込めてしょっぱいお味噌をおくってくれたんじゃないかと思うんです。
その荷物にはおばあちゃんの愛がたくさんはいっていたのです。

おばあちゃんの愛。
ながいことうけとってこなかったんだなぁ。

もくもくとお味噌をつくりながら。おばあちゃんの愛をうけとって。じんわりとこころがあたたかくなったのです。

そもそも、母がお味噌はよろこんでくれる、っていうのも。たんじゅんに、お味噌がおいしいから、じぶんが食べたいからよろこんでるんじゃないのかもなぁ、って思いました。
だって太るのを気にしているんだから。

おいしい味噌があれば、おいしいお料理がつくれるからかもしれない。
そう思いました。

おいしいお料理で、父を、子供を、孫を、喜ばすことができるから、お味噌がうれしいのかもしれない。
誰かをしあわせにできるから、うれしいんじゃないかなぁ。
だってわたしも誰かに喜んでもらえるとうれしいから。

母はいつも与えたいひとなのです。
家族をしあわせにすることをむかしもいまもよろこびとしてくれてるんだなぁ。

母の愛も、やっぱりながいことうけとってこなかった‥。

もくもくとお味噌をつくりながら。母の愛をうけとって。じんわりとこころがあたたかくなったのです。
わたしは、じぶんの愛を与えようとするばっかりで。母の愛を受け取ることをおおろそかにしてきたのかもしれません。
おばあちゃんの愛も。
元カレとか。おともだちとか。きょうだいとかの愛だって、うけとっていないものがたくさんあったのかもしれません。

お味噌作りは大変だけれど。母が思いえがくおいしいお料理をつくれるように、みんなに喜んでもらえるように。休日を返上して、もくもくと、お味噌作りをするのが、さいきんのわたしのいちばんのたのしみなのです。

わたしたちは、愛を与える方が、立派なようにかんじてしまっているところがあるかもしれません。
でも、心理学では「受け取ることは与えること」っていう言葉があるんです。
ひとはみんな誰かをよろこばせたい、しあわせにしたい。愛したいって思っているみたいなんです。
すなわち、愛を受け取ってもらえると、ひとはさいこうにれしいってことなんです。

ようするに。もらうばかりじゃツマラナイ。あげるばかりは疲れちゃうってことです。
おたがいの愛をうけとったり、与えたり。できるってこと。
それがおたがいが、うれしくてしあわせな関係ってことなのかもしれません。

与え上手なみなさまには、うけとっていない愛、たくさんうけあるかもしれませんね。
でも、愛に賞味期限はないみたいです。
みなさまが、受け取ってこなかった愛、いまから受け取ってみてもいいのかもしれません。
ほどよく熟成されて、美味しくなっているかもしれませんから。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

自身が繊細さゆえの生きづらさに悩んだ経験から、繊細な方が、自分を愛し、自分を自由に表現できるようになるためのサポートを提供。パワハラの克服、がんの闘病の経験がある。深刻な状況でもユーモアを忘れず、高い共感力と繊細な感覚を使い、お客様によりそうカウンセリングを得意とする。