日常のしあわせ

先日、友人からメールが入りました。
その内容は、「モニターでこれがもらえるよっ。ワタシも申し込んだけど、ちなみちゃんもどう?」というものでした。
はて?
なぜこんなメールが入ったんだろう?
と思っていると、ふと何日も前にこんな会話をしていたことを思い出しました。
友達「最近、ネットでモニターやってるねん」
私「へえ~、いいわね。どう?」
友達「いいものや大物は倍率が高いけど、けっこういいわよ」
私「私もやってみたいわ~」
それも会話と会話のつなぎのようなもので、話していたことすら忘れてしまうほどの短時間でした。
でも、彼女は覚えていてくれたんですね。
そして、わざわざメールをしてきてくれたのでした。
数日前に、お部屋の掃除をしていたときのことです。
後輩からの手紙が出てきました。
ちょっとでこぼこしていた封筒に何が入っているんだろう、と思って中身を取り出してみると、ネックレスでした。
かつて、私が彼女がしているネックレスを褒めたことがあり、そのときに、これ安いんですよ~、今度買ってきましょうか~、なんて話をしていたら、そのあとに本当に買ってきてくれたのでした。
「いつも悩みを聞いてくれるちなみさんに、ささやかだけれどプレゼントです」
という手紙を添えて。
さらに、こんな日記が出てきました。
もう何年前のことでしょうか。
飲み会の席で、
「私ね、ちなみちゃんに感謝してるねん」
いきなり、友人が切り出してきたのでした。
話しを聞くと、たわいもないような内容でした。
私は、全く、たいしたことはしていませんでした。
「えー、そんなこと」
「でもさ、うれしかったのよね」
「ふうん……」
「ちなみちゃんはさ、感謝するときにいついつにどこそこでっていう具体性が大切だというよね……。私もそのこと実感しているの」
続いて、彼女の口から出てきたのは、それがいつのことだったかということ。
7年前の○月は、彼女にとっては初めてのヒーリングワークショップ(母体のカウンセリングサービス)で、そのとき私と一緒だったが、
「××のとき、ちなみちゃんが○△って言ってくれたの」
私はびっくりです。
それまでなんとなく絵空事のように思えていたことが、〇年の〇月のこのとき、と聞いたとたんに、急激にリアルに私の心に食い込んできたのです。
本当に思ってくれているんだ、そんな実感がわきあがったのです!!!
そうでなければ、7年も昔の、本当に他愛もないことを、覚えているはずはないと感じたからです。
じ~ん。
全てに共通することは、「私の見ていないところで思っていてくれたこと」なんですね。
私は、知らなかったのです。
でも、ちゃんと、思っていてくれたんですよね。
心の大切なところに、私をしまっていてくれたのです。
そして、きっと。
私の知らないところで、もっともっとたくさんの思いがあったと思います。
このコラムをご覧いただいているあなたにも、似たようなことはないですか?
あなたの場合は、どんなことがありましたか?
私は、愛情の扉を開く鍵があるとしたら、それは「感謝」だと思っています。
ただ、なんの掛け値もなく、与えられた想いを受け取ること。
ただ、静かに受け取ったとき、それが力になる。
誰かに強制されるでもなく、扉が自然に開くような気がします。
だからどうしなくちゃ、とか、こうならなきゃ、ではなくて。
そんなこと考えなくても、自然にそれらはわきあがるんですね。
優しい気持ちになって、他のひとにも優しくしてあげたい、とか。
こんな優しい気持ちを誰かに贈りたい、とか。
私たちは嬉しいことがあると、それを誰かに分かちあいたいと感じる生き物のようです。
「受け取ることは与えること」
「受け取ったものしか与えることはできない」
そして、
「受け取り手に準備ができたとき、与えるものが現れる」
もっともっと、見逃さずに受け取りたいと思うのです。
私を思ってくれるひとは、テレやさんが異常に多いので、あまり大々的にしないんですね~。
だからこそ、見逃さずに、ちゃんと受け取って、ありがとう、といいたいです。
(*^^*)
そんな日常が、なんだか、嬉しいですね。

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