お母さんにごめんなさいが言えた日

去年の春、母が突然私に言ってきました。
「ウチ、スマホやろうと思ってんねん。」

「え?スマホ?本気で言ってるの?」
私はびっくりして母に言いました。

だって、母はガラケーの防犯ブザーが自分の操作ミスで鳴った時も、止め方が分からなくて、大音量の携帯電話をタオルにくるんで携帯ショップに駆け込み、勝手に壊れたって言うような人だし、自分の失敗は自分以外のせいにして、「失敗から学ぶ」ということを回避して生きてきた人だったし、それに母の年齢は78歳。
私は母がスマホを持つなんて絶対に無理!と思いました。

「何でまた、スマホなんて持とうと思ったの?」
私は一応動機を聞いてみようと思い、母に尋ねたところ、
「ウチはラインをやりたいねん。」
と、母は言いました。

よくよく聞いてみると、私の息子が去年の春から就職の為に一人暮らしになったため、孫に会えなくなったことが寂しく、ラインなら孫の邪魔をせずにいつでも連絡できるかも!?と思ったのが理由だそうです。

私は近くに住んでいる娘に母のスマホの件を相談しました。
私の娘は私に似ずにしっかり者なので、私は困った事があると娘に相談することもよくあるのですが、今回ばかりは娘も反対するだろうと思っていました。

「え?おばあちゃんがスマホ?やるじゃん!私、手伝うからやらせてあげようよ。」

まさかの娘も大賛成で、こうして母のスマホデビューが決まりました。
早速次の日、娘は母と携帯ショップに行き、スマホへの機種変更を済ませ私のところにやってきました。
色々な登録や簡単操作の設定も、娘が全部やってくれたおかげで、母のスマホは電話もラインもすぐに使える状態になりました。

「先ずはラインのマークを押してみて」と、娘が言いました。

母は頑張って押しますが、何度やってもラインを開くことが出来ません。
母の指は年老いて曲がってしまい、震えて指先に力が入らないのです。
ページも開けない奴が文字を打つなんて無理じゃん・・・。
二人の様子を見て、私はあの時反対しなかった自分に腹が立ち、二人に背中を向けて食事を作り出しました。

「お母さんみてみて!おばあちゃんライン打ってるよ!」

娘の声に振り返ると、まるでチンパンジーがスマホを触っているかのような母の姿。
笑顔の娘の隣で一生懸命に目を細めて、震える指を動かし、ゆっくりとゆっくりと文字を打っていたんです。

お母さん文字打てたんだ・・・。
途中で投げ出さなかったんだ・・・。

小さい頃の私は、よく母に怒られていました。
初めて挑戦することも上手くできないと、
「なんでそんな事も出来ないの!!!」
と怒られ、上手に出来ない私のことを母は決まってバカにしていました。
そんな家庭環境でしたので、私は小さい頃から新しいことに挑戦するよりも前に「どうせ母にバカにされるから」と、諦めてしまうような子供でした。

文字を打っている母の姿にホッとしたのも束の間、一生懸命な母の背中を見て、小さい頃にされたあんなことやこんなことといった悔しい思いが込み上げてきて、喉の奥がギュって閉まるような感覚になり、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえました。

私に酷いことをしたくせに、母を応援するなんて冗談じゃない!

私はそんな気持ちになり、一生懸命スマホを覚えようと頑張っている母の傍で、その母を一生懸命応援してやるものか!と、真逆の方向に頑張っていたのです。

* * *

私の師匠は、「人は、愛せないことが一番苦しい。」とよく言います。

一般的には愛してもらえないことの方が辛く苦しいと思われがちですが、心理学では、愛してもらえないことよりも、自らが愛を止めることによって、自らが抱える罪悪感の方が苦しいと言われています。

私は、子供の頃に母に愛してもらえなったことをずっと根に持っていたから、目の前で頑張る母を応援することが出来ませんでした。
愛してもらわなかったから、私も愛さない。
だけど、この時、母を応援できない自分のことを私はとても責めていたんです。
だって、本当はお母さんを応援したかったし、お母さんと喜び合いたかったから。

私はその後、ほとんど言葉も交わさずに、母と娘を見送りました。

その日の夜、私のスマホに母からラインが来ました。

「ゆきちゃんきょうはありがとうらいんがんばる」

一言のメッセージ、しかも全部ひらがな。
それを見たときに、一人暮らしの部屋の中で曲がってしまった震える指で、母が一生懸命に文字を打っている姿が私の目に浮かび、私は涙が止まらなくなってしまいました。

今日も私は母の事は許さなかったし、これからもきっと許さないし、許せなくても良いと思っていた。
腹の中で、母をいつも貶していたのは私の方だったよ・・・。
でも、母はどれだけ頑張ってもあの時のことを許してくれない、こんな私の為に一生懸命に文字を打ってくれたんだ。
私はその時、78歳の母の底力の愛を見たような気がしました。

母も私が小さかった頃、私の可愛さや頑張りをどう受け止めて良いか分からなかったのかもしれません。
本当は大好きなのに、恥ずかしさのあまりに、私をバカにしてしまったのかもと思ったら、
・・・なんだよ、なんだよ、もう仕方ないなー。
と涙がさらに溢れ、私はその夜一人布団の中で、
「お母さん今までごめんね。でもありがとう。」
と、やっと自分の言いたかった一言を母にラインすることが出来ました。

大人になってから母にごめんね。なんて言ったことなんてなかったのですが、ラインという顔も見えない、泣いても恥ずかしくない場所だったから、私は母にごめんね。が言えたのだと思います。
そのメッセージを送った後には、私の心はスッと軽くなっていました。
私はずっと母に謝ってもらいたいと思っていましたが、どうやらそれも誤解で、今まで母を許さなかった自分のことを、母に許してもらいたかったのです。

私は、家族と繋がろうと大きな一歩を踏み出した母の愛と勇気、そして、母がスマホを持つきっかけを作ってくれた息子の存在と、母の勇気ある決断を後押ししてくれた娘の愛にも心から感謝を送りました。

それからすぐに、私は母にタッチペンをプレゼントしました。
母は、そのタッチペンを器用に使いこなし、今では絵文字もスタンプも押せるようになり、毎日のように私や子供たちにラインで挨拶や応援メッセージを送ってくれています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

機能不全家族に育ち離婚や再婚、依存症を経験。自身の回復経験から繊細な感性と深い共感力でクライアントに寄り添い、痛みや抵抗を超え問題解決に導くサポートを得意とする。 パートナーシップや自己実現など、問題に隠れた才能や魅力を見つけ支えるスタイルで様々な問題のカウンセリングを行っている