私にもう一度「許し」を教えてくれた、父の足

私の父は私が幼いころからアル中だったので、ずっと怖い憎い存在でした。
私が父を許すなんで父が生きてる間には到底できないだろう…とさえ思ってました。

私がカウンセラー活動してる“カウンセリングサービス”の母体となる、カウンセラー養成の学校の“神戸メンタルサービス”があるのです。
そこに私が入学した初めの頃に、うちの社長から聞いた言葉がありました。

「人の本質は、人を愛したいが全てです。許せない相手を許せるほど、大きな愛の自分になることを自分に許可出来たら、世界に怖いものなど無くなる…」とおっしゃいました。

私が父を許すことが大きな愛??
絶対に無理。
当時の私は、理解できずにもがき苦しみました。

しかしです。
時間をかけて、私は自分の過去の痛みと向き合い癒して癒して、父を理解していたらとうとう父を許せるようになれました。
父とハグをしたり、ライン交換したり、昔からは絶対に信じられない事だらけです。
「社長の言うとりだった。許せない相手を許せたら私が楽になったな~」と実感します。
父より私の方が感じてる幸せは、比べられない程に格段に大きいのです。

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そして、2020年の年末の出来事です。

実家に久々にかえると玄関がとても匂うのです。

臭いにおいの犯人は父の靴でした。
父の足がやたらと臭いので、靴を買いなおしたり、消臭スプレーをまいたりしていたのですが、もう耐えられず…

密かにずっと私が父にやるかやらないか散々悩んでいたことを、とうとう意を決して行動に移したのでした。

それは父の足を洗う事でした。
私の大切なとっておきの良い香りのアロマソルトで足湯をつくり、父の足を片足ずつ湯につけて、父の足の垢を綺麗に洗い流してあげたのです。
父は最初は「いいよ いいよ お父さんの足は汚いから」と抵抗をしていたのですが、なんとか私の説得に応じてくれました。
昔は父に口をきくこともできず、触れることもできなかった私が父の足を優しくもちあげて、そっと湯につけてあげました。

触れると父の足はおもったよりも柔らかかったです。
身体は自分で洗っても、面倒だから足先は洗っていなかったのでしょう。
優しく優しくひとなでするだけで父の足から垢がぽろぽろと落ちてきました。

なぜか急に涙がこみあげてきそうな私がいました。

この涙の成分は愛なのだと、とっさにわかりました。
私は父を憎みたかったのでなく、愛したかったのだと…
だから心が嬉しくて泣きそうになったのだと…。

私はその時「汚い」と感じることは無く
「父の足はずっと誰にもこうやって優しくされなかったのだな」
「この足は本人にも誰からも丁寧にあつかってもらってなかったのだな」
そう感じながら優しくなで続けました。

最初は単純に足が臭いのをとめたいのが少しありましたし、汚いものを触るようでとても嫌でした。

しかしやっていると途中からはなぜか
「父が死ぬまでに愛を少しでも受け取ってくれたら」という願いになっていました。
いつのまにか父の心の痛みが垢と一緒にながれていくことを本気で祈ってました。

「もういいよ もういいよ 十分だよ ありがとう」と何度も途中で申し訳なくなってやめようとする父でしたが、固くなって曲がっていた足の指の間も丁寧に洗いぴかぴかです。
冷たかった父の足は血色がよくなり、びっくりするほど綺麗な白い肌が現れて、別人のようなきれいな足に変わりました。
しあげにアロマオイルでマッサージもしました。

するとです。

父がもっと喜ぶとおもっていたのに…

照れてるのか、くすぐったい気分なのか「ありがとう、なんか不思議な気分だったよ」の一言で、父はいちもくさんに部屋に退散していったのでした。

心理学を学んでいたおかけで助かりました。
「なんだよ!!もっとよろこべよ!!」と昔の私のように怒らないですみました。

でもそのあと、父はひそかにご機嫌でしたね。
父はお酒をのんで苦労をかけた娘に優しくされて、自分が許されてることが受け入れられなくて、嬉しいより、とまどっているだけだったのですね。

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私は父を許せたといっても、あれほどの憎しみを抱いてた父への怒りの残りかすがまだ在ったのは自覚していました。

それが父の足の垢が落ちていくときに一緒に流れおちて、私が許されていく感覚がしたのです。

それは、私にもう一度「許し」を教えてもらってる感じでした。

私が父を恨み憎んだ罪悪感(罪悪感=自分は罰せられるのが相応しいと感じる)が再び許されて流れる感じだったのでしょう。
私の心がまた一段も二段も軽やかに明るくなってました。

「本当にリアルだな…」と実感でした。

「許せない相手を許せるほど大きな愛の自分になることを自分に許可出来たら、世界に怖いものなど無くなる…」と昔きいたあの言葉がまた蘇ってきました。

許せない相手を許したときに、実は一番楽になるのは許された相手ではなく私だった。
父を憎み続けることで、私は永遠に罪悪感を持ち続ける羽目になるところだったのです。

あれほど憎んだ父、指一本も触れたくもなかった父に、その父の臭い足に慈しみを届けれた。
そんな成長した自分が少し誇らしく、自分の愛に自信が持てた感覚がありました。

「許し」というのは、とても難しいテーマなのですが、実際自分がやってみて許せるようになった時の恩恵の大きさや深さは計り知れません。

私が自分自身を責める罪の意識から救われ、大きな愛を持ってもいい、自信をもって人に使ってもいいと許される感じでした。
「あぁこれがあの、世界に怖いものが無くなる感覚なのかもしれないなと…。」

もっともっと、大きな愛になってみたい。
今みることができていない大きな愛を感じてみたいものだと思ったりもしました。

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